11. 尾張の虎、激怒する

 帰ってきたら、仁王像が門前に立っていた。

「よくものこのこ顔を出せたものだな、この大うつけめが!」

「へぶっ」

 なにか大きくて熱いものが顔にクリティカルヒットした。

 そして空飛ぶ俺、アイキャンフライ。

 なんだかな、人間って羽がなくても空を飛べるらしい。利家じゃないが、一つ賢くなった気がする。いや、違うだろ。脳に悪い刺激ばかり与えて、これ以上馬鹿になったらどうするんだ。

 ちなみに落下したところに一益がいた。

 広げた腕に、ちょこんと収まるもやしっ子三郎。

 ああん、ときめいちゃう! って思うか阿呆。礼を言うのも忘れ、思いっきり暴れて下ろしてもらった。ふう、嫌な汗をかいちまったぜ。

 アワアワしている恒興を宥めていると、門前の仁王像が怒鳴る。

「それほど城は窮屈か! 縁談が嫌ならば、そう言え。わしの前でばかり従順なふりをしおって、馬鹿にするのも大概にせよ」

「親父殿、何を仰ってるか分かりません」

 父として尊敬はしていないが、デキる武将として認識している。遊びたい盛りの子供に仕事ばっか寄越しやがってとか、せめて夫婦仲良くせーやとか言いたいことはなくもないが、俺としては日常生活に不満はない。

 縁談も嫌だって言ったことない、よな?

 すると怒り心頭の仁王像がボロボロのサンドバッグを取り出した。コレを殴れっていうことかなんて考えているうちに、地面に投げ捨てられる。ひどい。

「昨日、貴様の部屋を訪ねたらコレがあった」

「げ」

「病で伏せているなどとわしに嘘を吐いたな、三郎?」

 地を這うような声は、俺の脳内を素通りする。

 夜なべして作った抱き枕ちゃん一号が、見るも無残な姿になってしまったのが悲しくて仕方ない。綿入りの布団一枚を贅沢に使った一品だというのに。

 俺は、これがないと眠れないのだ。

 夜に忍び込む暗殺者の凶刃も防いでくれるスグレモノである。

 前世を通じて、俺に手芸の嗜みなんてあるわけもない。慣れない手作業で縫い目はガタガタ、度重なる襲撃であちこち穴だらけ。なあんだ、地面に転がされて汚れているだけだった。

 いや、待て。なんだこれ。

「……顔が書いてある」

「若様の代わりに床で伏せている影武者がいなかったので」

「恒興いいいぃ!!」

「八つ当たりは止めてください。発案は一益ですっ」

「一益ううううぅ!!」

「茶番はもうよいっ」

 はい、ごめんなさい。

 憤怒の仁王像改め親父殿の顔が赤黒くなっていて、浮き出た青筋がぴくぴくしている。あれって血管だよな。ぷちって切れたら、大変なことになるんじゃないのか。

 それだけ怒らせたのは俺だということに、やっと気付いた。


『国境とはいえ、往復に何日もかかりますよ?』

『よし、明日から流行り病で寝込むぞ』

『死にますよ!?』

『悪運が強いから死なない。ちゅーわけで、寝床の偽装ヨロ!』


 思い出したよ、完全に俺のせいだよちくせう。

 軽い気持ちで偽装依頼した俺も俺だが、まさか親父殿が見舞いにくるなんて思わなかったんだ。硯事件と縁談の話以外で顔を合わせたことないから、渋柿もらったこともすっかり忘れていた。やっぱり舎弟どもも誘うべきだったか。そうだ、マムシのおっさんに天才軍師もらっていいか聞いてみよう。

「聞いておるのか、三郎!!」 

「申し訳ありません」

「謝って済む問題か! このわしを謀った罪、どう償うつもりだ」

「……っ、俺にできることなら何でも致します」

「言ったな、三郎」

 声の調子がガラッと変わり、俺は生唾を飲み込んだ。

 また何か飛んでくるかと身構えているのだが、親父殿は素手だ。今気づいたんだが、親父殿の後ろに何人か取り巻きがいる。林のジジイの軽蔑しきった顔、なんかムカつくなあ。平手の爺がいなくて、背筋がひやりとする。自刃の準備してないだろうな?

「三郎」

「はっ。い、言いました!」

「ならば、申し付ける。ここから十数里先の村が飢饉であえいでおるそうだ。こちらとしても年貢を納めてもらわねば困る。三郎、織田家嫡男としてこの問題を解決せよ」

「……へ」

「期限は翌年の秋とする。失敗すれば廃嫡である。よいな?」

「しょ、承知いたしましたあっ」

 修羅の国の人怖い。視線で殺せる。

 ジャンピング土下座する俺の後ろで、一益と恒興が慌てて土下座している。地面に額をこすりつけ、這いつくばる姿はさぞ滑稽でおかしなものだったのだろう。頭上から嘲笑がいくつも降り注いでくる。

「うつけ殿も、大殿には敵いませぬなあ」

「左様。さすがに廃嫡は怖いのでしょう」

「最近は特に目に余る行動ばかり……。苦言を呈しても聞いていただけず、ほとほと困っていたところです。さすがは大殿。償いの方法も、理に適っておられる」

「いっそ信行様に次期当主の座を譲られては」

「ははは、気の早いことを。大殿は未だ壮健であられる。慌てることはあるまい」

「それもそうですな、ははは」

 耳障りな笑い声が遠のいていくのを待って、俺はようやく顔を上げた。

 もう、そこには誰もいない。

 門前の騒ぎを聞きつけてか、警備の兵士や小作人たちがそこかしこに見える。俺が首を巡らせると、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。暇か。

「あの調子だと、今日中に噂が広まっているな」

「止める?」

「いや、放置。信行には悪いが、浮足立ってくれた方がやりやすい。手筈はいつも通りに」

「御意」

 軽く頭を垂れた一益がその場から消えた途端、恒興が叫んだ。

 ずっと我慢していたらしい。顔が赤くて涙目だ。

「若様!! 何故、そのように落ち着いておられるのですかっ」

「まあ、腹は立つよな。好き放題に言ってくれたし」

「仮にも嫡男に対する言葉ではございませぬ!! あろうことか、廃嫡まで決定事項のように話すなど。不忠者の誹りを受けてもおかしくない所業でございますぞ」

「親父殿も止めなかったし」

「ですがっ」

「しくじったら廃嫡決定。何も間違っちゃいない」

「わ、若様ぁっ」

 ほとんど悲鳴である。

 恒興は声変わりがまだ終わっていないため、声がキンキン響く。

 よし、こいつは伝令役に抜擢しよう。メガホン作ろうか迷っていたが、当面は恒興ボイスで何とかなりそうだ。でも二日酔いだったら頭に響くから、酒が飲めるようになったら別の者に伝令役を任せるべきか。

 この時代にハタチから、なんていう法律はない。

 だって俺たち、とっくに元服してるし? 前世では酒が唯一の愉しみだった。ビールは確か、ホップが必要なので無理だとして。南蛮船でエールやワインを運んできてくれないものかな。いいじゃん、やろうぜ南蛮貿易。どこにいるんだ南蛮人!

 いや、とりあえず酒だ。日本酒はある。

 親父の無茶ぶりをさくっと終わらせて、祝い酒で宴会してやろう。

「よーし、やるぞ!」

「若様」

「んだよ、恒興。気合いを入れるのに付き合え」

「いえ、飢饉の村を救う方法にアテがあるのかと思いまして」

「…………」

「…………」

「あるわけないだろ、そんなの」

「はああぁ!? ど、どうするんですか。廃嫡されますよ。廃嫡されたら、嫡男じゃなくなってしまうんですよ。若様が若様じゃなくなったら、これからどう生きればいいんですかっ」

「まあ、落ち着け」

 懐を探ったが、空振りだった。

 あのハリセンはマムシにプレゼントしたんだった。

 興味深そうにいじってたし、早速使っているのかもな。嬉々として臣下に使い倒すか、存在すら忘れていくかのどちらかだろう。あげたものを返せというのもおかしいし、また作ろう。今度は色々なサイズで研究してみるのもいい。

 仕方ないので、恒興の額をべしっと叩く。

 俺ばかり頭にダメージを追うのは不公平だからな。

「痛いですよ、若様……」

「あいつらに招集をかけろ。まずは情報を集める。あと猿を城に呼べ」

「猿? 芸でも仕込むんですか」

 芸は芸でも腹芸だ。

 人たらしで有名な奴なら、役に立つに違いない。

 以前から年貢関連で考えていたこともある。飢饉で苦しんでいるという村は、農村のモデルケースとして生まれ変わらせようじゃないか。あくまでも俺の計画が上手くいけば、だが。

「転生者としての底力、見せてやんぜ……」

 クククと笑う。

 この時の俺は、まだ何も知らなかった。

 この時代の飢饉がどんなものか、貧しい農村がどれほど悲惨なことになっているのか。たかが城の周辺を見廻っただけで、俺は農村の実態を詳しく知っているつもりになっていた。

 すぐにでも向かおうとした腕を、恒興が掴む。

「お待ちください」

「なんだよ?」

「すごく言いにくいのですが、お顔が倍ぐらいに膨らんでおります」

「なるほど」

 俺は頷いた。

 確かにさっきから顔がおかしい。そっと触ろうとして、止めた。そうして誘導されるままに井戸まで歩いていき、桶に映った顔を見て思わず叫んだ。

「ア○パン○ンは、お前だ!!」

「ううっ、若様……認めたくないんですね、おいたわしい」

 恒興の声が震えている。

 ああ、さっきから目を合わせない理由を言ってみろ。怒らないから言ってみろ。首を振ってちゃあ分からんじゃないか。さあ言え。ぱんぱんに膨らんだお顔が大層おかしすぎて腹がよじれてしまいますってなあ!!

 ちくしょう、泣きたいのはこっちだ。






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本作では一里=36町(約4km)として統一

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