第19話「勝利演説」


 メテラルシアは主に東西南北の四つのエリアに分けられ、どのエリアにも「中央広場」が存在する。

 いずれも真ん中に立派な噴水がそびえ、それに寄り添うように都市の独立に貢献した人物の銅像が置かれている。


 普段は市民の憩いの場だが、北側広場には何故か一面を埋め尽くすような人だかりが形成されていた。


 テルヘン国王を倒した冒険者一向が勝利を記念して演説をするとの噂を聞きつけ、野次馬に来た者たちである。


 始まりは正午とのことだったが、まだ10時ごろだというのに広場は既にいっぱいである。

 広場の中央、銅像の側に臨時に据え置かれた高台を中心に、群衆は同心円上に広がっている。


 中心を占めるのは、純白のマフラーを巻いた一団。

 敬虔なガルド教徒である証だ。

 長年目の敵にしてきたが討伐されたとの朗報を耳にして駆け付けたのである。


 2時間前に着いたら充分だろうと鷹を括っていたライムントは、流石にこの人混みには目を見張った。

 人混みをスルスルと抜けてなるべく前進してみたものの、半径の真ん中くらいまでしか進めない。


 田舎上がりの普段の彼だったら「すげえ!」と言っているところだろうが、今の彼の顔は険しい。

 当然だろう。


 もうじき親の仇が目の前にやって来るのだから。


(落ち着け、落ち着くんだ……)


 荒ぶる気持ちをなんとか抑えようと彼は大きく深呼吸をする。

 今、仇を取ろうとしたところで返り討ちにされるのは自明だ。


 一瞬の気持ちに任せて全てを台無しにしてはいけない。父が命を投げ打って守ってくれた、この世にたった一つしかない命なのだ。


 理性はなんとか冷静になろうとするが、身体はいつだって素直だ。

 拳はギュッと握られ、今にも血が溢れ出しそうである。顔も険しく、もしフードがなかったら不審者として通報されていただろう。


 そんな自分と戦っているうちに時間はあっという間に過ぎていき、とうとう正午を知らせる鐘がなった。


 会場のざわめきと期待が頂点に達した時。

 とうとう壇上に、3人の男女が姿を見せた。


「わあぁあぁあぁあぁ!!!!」


 前方のガルド教徒を中心に、歓声が巻き起こる。

 かつて最強と名高かった冒険者グループが、王の首を討ち取って帰還したのだ。

 ガルド教徒でなくてもテンションは上がるだろう。


「あ、あぁ、あぁあぁ」


 そんな歓声にかき消されるように、ライムントは震え声を漏らす。


 間違いない。

 家族を、国を滅ぼした──


 あいつらだ。


「〜〜〜〜!!」


 思わず取り乱しそうになるのを、口元を手で抑えながらなんとか防ぐ。

 そんなライムントの様子を隣の男は訝しく思ったが、すぐにその視線は壇上へと吸い寄せられていった。


 壇上の金髪の男──ゼンゲルは歓声に応えるようににこやかに手を振っていたが、やがて静かにするようジェスチャーで訴えた。


 それに合わせて波紋のように沈黙が広がっていく。


 そして場が完全に静まり返ったところでゼンゲルは「コホン」と咳払いをし、大きく声を張り上げながら話し始めた。


「諸君! 私はバイヤーズのリーダーであるゼンゲルだ! たった今、魔王討伐の依頼を果たし帰還したところである!」


 再び沸き起こる歓声。

 だがそれもすぐに止み、ゼンゲルはまた話を続ける。


「まず、依頼の完遂が遅くなったことをお詫び申し上げたい! そして、諸君の中には疑問に思った方もいるだろう! 1人足りないのではないか、と!

 その事も含め、事の次第を簡単に説明させていただきたい!」


 ゼンゲルは一旦舌で唇を湿らせた後に、さらに言葉を連ねる。


「12年前に皇帝陛下直々に依頼を賜った我々は、約10年もの間地獄の悪魔共の中に潜伏し! 愚かな魔王からの信頼を得た!」


 おぉ、とあちこちから声が漏れる。

 ライムントはうっかり剣を持って彼に襲い掛からないようなんとか自分をコントロールしながら、彼の話に耳を傾ける。


「そして1週間前! 我々は帝国軍の援助の元、精鋭たちの街への襲撃に翻弄される魔王へ奇襲を掛けた!

 魔王は驚くほど弱く、本来だったらものの数秒で戦いは終わるはずだった……!」


 ──は?

 父上が、弱い?


 ライムントは一瞬頭が真っ白になる。


 ……弱かったのはお前らの方じゃないか。

 あんなに醜く卑劣な事さえしなければ、勝っていたのは父の方ではないか。


 それを、弱い?

 ものの数秒で終わる?


 どれだけふざけたことを言えば気が済むんだ?


 ワナワナと震えるライムントをさらに煽るように、ゼンゲルは話す。


「だが魔王は弱者故に狡猾だった! 彼は我々を言葉で惑わし、その隙に我らの仲間──バールを人質に取った!

 化け物と呼ぶのすらおこがましい、卑劣で、醜い行いだ!」


「……ふざけるな」


 思わずポツリと呟くライムント。

 小さな声には、聞くものを怯えさせるはっきりとした殺意が含まれていた。


 父上を言葉で惑わし、隙をついた攻撃を仕掛けたのはお前らだ。

 父上がそのような醜い行いをするはずがない。


 はずがないのに。

 嘘デタラメを並べて、さも自分の手柄かのように言いふらす。


(こんな奴らに、家族は、国は……!)


 あまりにが浮かばれず、ライムントは怒りを超えてもはや悲しみが湧いてきた。


 こんな外道を作り上げる神の気がしれない。


「……我々は何とか彼を救い出そうとした! だが、勇敢なバールはこう言った……『俺のことはいいから、この男を殺れ』、と。

 あぁ、かつて私はあれほど勇敢な男を見たことがなかった! そこにあったのは、確かな覚悟だった! 我々は泣く泣く、彼ごと切り捨てた。

 今一度私は彼に──最大の勇者に、最上の敬礼を送りたい!」


 そう言ってゼンゲルはピシッと最上級の敬礼の姿勢をとった。

 聴衆のあちこちから祈りを捧げる声が続く。


「……こうして魔王は、勇敢な1人の男の命と引き換えに呆気なく奪われた!

 だが魔王は最後まで惨めだった! 顔をぐちゃぐちゃにしながら泣いて私に媚を売り、国なんてどうでもいいから自分の命だけは助けるよう、死ぬ間際まで何度も請願していた!

 人類──いや、生物の風上にすら置けない、下劣な行為だ! まだハエの方が潔いだろう!」

 

 ライムントの拳から血が垂れる。

 唇を強く噛み締めすぎるあまり、ダラリと顎を血が垂れる。


「とんでもねえやつだな、魔王って」

「あぁ、やっぱ亜人は亜人だな。国はどうでもいいから自分は助けろだなんて……一国の王、いや生き物としてあまりに情けない」


 周りの人たちがゼンゲルの話を鵜呑みにし、ヒソヒソと話す。


 だが彼は──それに気づかない。


 彼の脳裏は今、目の前でとんだデタラメをベラベラ喋り続ける男への殺意で完全に埋め尽くされていた。


 剣を抜き出して彼に襲い掛からなかったのが、奇跡と言えるだろう。


「諸君は今、魔王の醜さに呆れ、嘲笑しているだろう。だが喜んでほしい! そんな生き恥晒しは呆気なく死に、今ここに! その哀れな生首がある!」


 生首という言葉に化学反応を起こした聴衆が、最高の盛り上がりを見せる。


 そんな彼らの様子を満足気に見回しながら、彼は後ろに控えていた、目出し帽を被った役人にその手に持った箱を渡すよう指示した。


 そして渡された小箱を蓋を取り、それをひっくり返して手のひらが蓋になるようにすると、彼はそれを宙高くに示しながら言った。


「それでは諸君! 世にも醜く、無様で、哀れな魔王の最期の表情をご覧頂こう!」


 そして小箱が取り払われ──


 紫色に爛れた、タンドラの苦悶に満ちた最期の表情が白日の元に晒された。


 同時にそのあまりに酷すぎる有様に聴衆から呻きが漏れ、中には失神する者すら現れた。


「なんと醜い……!」

「同じ人間とは思えない……」


 そんな声があちこちから溢れる。


「──違う」


 ライムントはガタガタと震えながら言う。


「違うんだ」


 あれはタンドラではない。

 あの冒険者どもによって歪められた姿だ。


 彼は決して醜い化け物なんかではない。

 国より自分の命を優先する男なんかではない。


 心優しく、良識に富み、その上最強な力を持つ完璧な男だ。


「違う、違う、違う」


 壊れたラジオのように同じ言葉を繰り返しながら彼は後ずさる。

 人にぶつかり、彼は白い目で見られるが一向に気にする気配はない。


 ただ現実を受け入れかねるように、力なく首を左右に振って「違う、違う…………」と繰り返している。


 そして突然。

 彼は気が狂ったようにその場から駆け出した。


 目の前にいる人を押し倒し、父の生首に背中を向けるように走る。

 倒された人が悲鳴を上げ、或いは怒鳴り散らかす。

 だが彼はそれに構わない。

 ただ走る。


 その場から逃げ出し──同時に現実からも逃げ出そうとするかのように、彼はひたすら宿向けて走った。


 人混みを抜けるのにそう時間は掛からなかった。

 途中腕を掴まれたりもしたが、そんなものはどうだっていい。

 適当に投げ捨て、彼はがむしゃらに走った。


 ──憎かった。

 事実を歪める冒険者も、何も分かっていない聴衆たちも、何もできない自分も。


 全てが嫌になって、その鬱憤とした思いを吐き出すように「うぉぉおおぉ!!」と叫びながら、人通りを避けるように彼は裏路地に入る。


 日光の当たりづらい路地裏は暗い。

 その中を、彼は無心に駆け抜ける。


 そしてある程度奥まった場所まで来たところで彼は走るのをやめ、その場にうずくまった。


 気づいたら彼は泣いていた。声に出して泣いていた。


「なんでだよ……」


 しゃくり上げながら独りごちる。

 この世のあらゆる理不尽への、たった一つの思いである。


 嫌い。嫌い。嫌い。

 何もできない自分が、嫌い。


 激しい呵責の念に押しつぶされながら、彼はボロボロと涙を流した。


 だが涙と共に胸の中の余計なものが流れていったのか、次第に彼は冷静になってきた。


「……強くなりたい」


 そう呟く。

 たった一つの本心、願い。


 強くなりたい。


 そのためにはどうすればいいか。


 父の最後の頼みを遂行するのである。


「冒険者、か」


 今日はたった一つ、いいことが確認できた。

 あの冒険者共が、救いようもないクズだったことである。


 これで嫌々やらされていたのだったら、多少の同情は寄せられる。

 だがあそこまでクズに全振りしているのだったら──こちらも本気で挑めるだろう。


「やってやるよ」


 国の恨みを晴らすため、父の遺言を果たすため。

 自分は何をすればいいか。


 分かりきったことだ。


 涙を拭い、すくっと立ち上がると、彼は建物の合間に姿を見せる空を見上げた。

 そして一言。


「……あいつらに地獄を見せてやる」

 

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