3章:始まりの街へ

第13話「盗賊」


 自由都市メテラルシアとテルヘン王国の首都キュートルを結ぶ【雪の街道】は、古くから交易が盛んな道である。


 普段は多くの行商人が行き交うこの道だが、テルヘン王国の情勢が芳しくないことを商人たちが嗅ぎ取ったため、近頃の人影はまばらだ。


 どこまでも静けさが漂う道。

 そこに1人、ローブのフードを頭にすっぽりと被った男が歩いていた。

 腰には剣を携え悠々と道の真ん中その様を、もし武道をわずかにでも齧ったものが見たら──


 その隙のなさに、目を見張るだろう。


 彼──青年はキュートルを発ってから丸5日、ひたすら徒歩でメテラルシアに向かっていた。

 道中に転々と宿はあるが、あいにく金を持ち合わせていないので野宿しながらでの移動である。


 すでに400キロ近く歩き、さすがのエプシルでも若干の疲労感は否めない。

 メテラルシアまでまだ300キロ近くあるため、そろそろ宿で身体を癒したいころだが……。


「お金がなぁ……」


 ポツリと彼は呟きを漏らす。

 時々宿に顔を出しながら収入源になりそうなものを探っているが、目ぼしいものは見つからない。


 別に野宿を続けることは構わないが、敵がいつ攻めてくるかが分からない以上、体調は常に万全な状態を維持したい。


 なるべく早くベッドにありつきたいところだ。


 そんな調子でトボトボ歩いているうちに日が徐々に傾き出し、やがて次の宿に着いた。

 辺りの森から切り出したであろう丸太で組み立てられた、質素な造りである。


 青年は半ば諦めつつも、入り口の戸に手をかけた。


「らっしゃい!」


 入店を知らせる鈴がなると同時に、髭面の店主が青年を迎える。


「お客さん、1人かい?」

「いえ、宿泊ではなく。何かお金になることがないかと思って来たんですが……」


 青年が申し訳そうに言う。

 店主は「ふーむ」と髭をさする。


「金、ねぇ……あいにく今は客足が減ってるし、すまねえが仕事は特にねえな。他を当たってくれ」

「そう、ですか。ありがとうございます……」

「悪いな兄ちゃん。なんなら値段まけといてやるが……?」

「あいにく一銭も持ち合わせていなくて」

「それは気の毒だな。うちも商売が厳しいんで、泊めるわけにはいかないな」

「お気になさらず。野宿にはもう慣れたので」


 そう言って青年は店から出ようとする。

 だがそんな彼を、店主が「ちょっと待った」と呼び止めた。


「何か……?」


 くるっと振り返って青年は訊ねる。


「野宿すんなら、盗賊に気をつけな」

「盗賊?」

「近頃この辺りを荒らし回っている連中だ。野宿してる奴を狙って金目のものを無理やり奪うらしい」

「あまり僕は心配しなくてよさそうですが……」

「まあ金がねえんならな。でも人殺すことを厭わないらしいし、気をつけるに越したことはない」

「厭わない……」


 店主の言葉を青年は口の中で何度か唱える。

 そんな彼の様子を訝しみつつ、店主は訊ねる。


「不安なら馬小屋を貸そうか? 流石に金は取らねえぜ」


 考え事をしていたのか、青年は返事をすることなく顎に手を当てたまま黙り込んでいたが、店主が「おーい?」と声をかけるとハッと我に帰ったように慌てて返事をした。


「あ、いえ! お構いなく」

「そうか、気をつけろよ」


 ドアを押し、青年は外へ一歩踏み出す。

 だがそこで彼は思い出したように振り返った。


「ところで店主さん」

「おう? どうした」

「その盗賊って──」


「懸賞金がかかってたりしますか?」




**




 夜。

 切り株を枕に眠る青年の脇に、音も立てずに忍び寄る者がいた。

 頭にバンダナを巻き、両手には剣が握られている。


 彼はこの辺りを根城とする盗賊団、【白兎団】のメンバーであるリゴルドだ。

 足の速さを買われ、寝込みの旅行者を襲うことを主な任務としている。


 そんな彼の今日の獲物は、なかなか値段の張りそうな剣を携えた青年。

 無防備にもいびきをかきながら眠っている。


「けひひひ、こりゃいいカモだぜ……」


 近頃獲物の数が減っていることに悩まされていたリゴルドにとって、今日の獲物はまさに丸焼きにされる豚のようなものだった。


 思わず汚い笑いが溢れる。


「失礼しますよっと」


 彼が青年のたもとに置かれている剣に右手を伸ばそうもした──その時。


 リゴルドは右手に妙なを感じた。


(なんだ?)


 反射的に彼は右手を見る。

 そして、全身から血の気が引いていくのを感じた。

 

 右手だけが、宙を飛んでいたのだ。

 血飛沫を撒き散らしながら。


「──え?」


 状況を理解できず、リゴルドは思わず腑抜けた声を漏らす。


 右手は宙を何回か舞った後、芝生にゴロリと横になった。目的地を失った動脈血がピュッピュッと腕から噴き出る。


「あ、あ、あぁあぁぁ」


 徐々に事態を把握し、彼は震え声をこぼす。

 リゴルドは震えるまなこで眠っていたはずの青年を見た。


 彼は横になったまま、いつの間にか鞘から抜いた剣を宙に振り上げていた。

 その側面にはべっとりと生々しい血液が付着している。


「わあぁあぁぁあぁぁあぁぁあぁぁああ」


 彼はその場で尻餅をつき、そのままズリズリと後退した。この得体の知れない青年から一刻も早く逃れるために。


 そんなリゴルドの様子とは対照的にのろくさと怠そうに立ち上がった青年は、ガクガクと震える男を蠅を見るような目で見下ろすと、氷よりも冷めた声で言った。


「……言うことを聞かなければ殺します」


 そのあまりに冷たい声に、リゴルドはゾクゾクと全身に鳥肌が立つのを感じた。


 こいつは、ヤバい。

 

 本能がビンビンと生命の危機を伝える。

 職業柄、何度か身の危険を感じたことはある彼だが、これほど死に対するストレートな恐怖を感じたことはなかった。


 例えるなら、虎に睨まれた兎の心地。

 青年の挙動一つ一つが、リゴルドを死へと導きかねない。


 そして次の瞬間。

 リゴルドはその場から逃げ出すように駆け出した。


 何としてでもあの青年を振り払わなければ、死ぬ。


 本能のままに、リゴルドは森を駆け抜ける。

 幸い足の速さには自信があるし、ここは彼にとって庭のようなもの。

 なんとか逃げ切れる自信はあった。


 きっと追ってきているであろう相手を混乱させるために、彼は右へ左へとランダムに曲がり、なんとか目印となる小川の側へとたどり着いた。


 息を荒げつつ、リゴルドはバッと振り返る。

 追ってくる気配はない。

 逃げ切れたようだ。


「はぁっ、はあっ、よかった……」


 安堵の言葉を漏らしつつ、止血のため彼は簡単な回復魔法を腕にかける。

 逃げれたとは言え、いつここが見つかるか分からない。

 早く本拠地に戻ろうと一歩を踏み出そうとした、その瞬間。


 リゴルドは背中に強烈な衝撃を受けて、その場から倒れ込んだ。


「ウッ……」


 腕を強く打ち、思わず呻きを漏らす。

 そんな彼の背中を、踏みにじる者がいた。


 まさかまさかまさか──


 冷や汗を溢れさせながら、リゴルドは背中を顧みる。


 いた。

 先程の青年が。


 寝ている間に被られていたフードが取れ、その顔が露わになっている。

 何より目を引いたのは──彼の眼。


 左目が、空っぽだったのだ。

 その虚空から睨まれるのは、恐怖以外の何者でもなかった。


 銀色の瞳を持つ右眼で男を見下ろしながら、青年は言う。


「チッ、余計な手間かけさせないでください、消しますよ」

「あ、あぁ、ああぁ」

「……まあいいでしょう。そんなことよりあなた、盗賊ですよね? 本拠地さえ教えてくれたら、逃げたことは許してやってもいいですよ」

「……い、嫌だ」

「うん?」

「だめだだめだ、それはだめだ!!」


 盗賊に入る時に契りを結んだ。

 絶対に他人に本拠地を教えてはならないと。

 教えたら、待ち受けているのは死。


 頑なに要求を拒むリゴルドに、青年に呆れたように「しょうがないな……」とため息をついた。


 そして次の瞬間。


 リゴルドの左手の親指が飛んだ。


「ぎゃああぁあぁあぁああああ!!!」


 堪らず叫び声を漏らすリゴルド。

 そんな彼の背中の上でしゃがみ込むと、青年はリゴルドの耳元で囁くように言った。


「これ以上体斬られたくなかったらとっとと教えな。疲れてるんですよ、こっちは」

「あ、あぁ、ああ」

「はい、もう一本追加ー」

「あぁあぁああああぁぁぁぁぁ!!!」



 ……その数分後。

 とうとうリゴルドは口を割った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る