第12話「覚悟」


 少年は崖の淵に立つと、呆然としながら常闇に沈む街を見下ろした。


 本来だったら町中に灯る明かりが美しい夜景を生み出すのだが、今街を代わりに照らしているのは、所々で上がる火の手。

 街中が炎によって橙色に染められている。


 あそこで何が起こっているかさえ知らなければ──それは美しい夜景として記憶に刻まれていただろう。


 そんな街から目を逸らすように、少年はグッと目を閉じる。

 その瞬間脳裏に思い浮かぶのは──今日聞いた声。


『たす……けて……』

『おかぁあぁあぁぁさあぁん』

『いやだあぁあぁあぁぁあぁぁ』

『いやっ、いやあぁあぁあぁぁあぁあ』


 ──にげろ……


 あの凄惨な光景が再び目の裏に蘇り、彼はたまらず空っぽになった胃袋から胃液を搾り出すようにその場で吐いた。


「けほっ、ゲホッ」


 胃が圧縮される痛みに抗うように咳をしながら、少年は目を開く。


 目につくのは、雑草と混じり合う胃液。

 朝食として食べたとうもろこしが原型を留めたままぐにゃりと横たわっている。


 朝食。

 家族と一緒に和やかにとった、朝食。

 まだ何も知らなかった頃。

 同じような日々がずっと続くと思っていた頃。


 だが、それはもう消えた。

 父も母も死んだ。

 もう手の届かない場所へと旅立った。


 なぜ? なぜ?

 あの冒険者たちのせいか?

 奇襲をしかけた軍隊のせいか?


 違う。違う違う違う。


 己が、弱かったから。

 もし自分があの冒険者と戦っていたら?

 少なくとも父は助けれたかもしれない。

 軍隊と戦い、街を救えたかもしれない。

 国を──守れたかもしれない。


 だが自分は動かなかった……否。

 

 なぜだ?


 あの冒険者に打ち勝つ能力がなかったから。

 経験がなかったから。

 自信がなかったから。


 父が命懸けで自分を救おうとする中、自分は何をした?

 国民が助けを乞う中で、自分は何をした?


 ──


 ただ子鹿のように震え、胃液を撒き散らしながら逃げ惑うことしかできなかった。


 父との修行との日々は──無駄だった。

 外っ面だけを強くしたところで、中身はいつまでも幼い自分のまま。

 命を懸けて守ろうとすることはおろか、まともに逃げることすらできない弱者。


 なのに、こうして生き延びた。

 父を見捨て、国民を見捨て、我が身可愛さのまま全てを無責任に投げ打って。


 自分は、生き延びた。


 ──卑怯だ。

 

 卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ卑怯だ──


「わあぁあぁあああぁぁぁああぁああ」


 突然取り乱したように叫び出した少年は、おもむろに懐から短剣を取り出した。

 そしてカチカチと鋒を震わせながらその刃を自分へと向け──


 彼は自分の左目、予知眼を突き刺した。

 何度も、何度も、何度も。


「こんな目! こんな目! こんな目ぇえぇえぇ!」

 

 狂ったように叫びながら、血が溢れ激痛が襲うのを構わずに彼は自分を刺し続ける。


 予知眼? 最強の魔眼?

 こんな弱っちい自分が持っていて何になる?


 憎かった。

 神から素晴らしい贈り物を与えられたのに、何の役にも立てなかった自分が。


 そして左眼の原型が完全に失われたところで、少年は一旦その動きを止めた。

 痛みに耐えかねるようにその場でうずくまって、彼は小刻みに震える。


 血が溢れたからか、意識が怪しい。

 世界がぐらりと歪む。


 だが少年は現実と意識を何とか繋ぎ止めようと自分の手の甲を突き刺し、無理やり意識を覚醒させた。


「んんんんんんん!!!」


 堪らずうめき声が漏れる。

 しかしそれに構うことなく、彼はすぐに短刀を引き抜き、もう一つの目──神眼に手をかけようとする。

 だが、その瞬間。


 彼の脳裏で、たった一つの言葉が囁かれた。

 聞いたこともない声。

 だがそれはまるで生まれた時からインプットされていたかのように、脳内で自然と再生された。



『……お父さんを裏切ってもいいのかい?』



 少年の動きがピタリと止まった。

 震えながらも握られていた短刀がバサリと音を立てて雑草に沈む。


「あ、あ、あぁ」


 そうだ、そうだよ。

 自分がここにいるのは、父からの最後の頼みを果たすため。

 経験を積むため。

 国を取り戻すため。


 今ここで自分を殺したら、父の死が無駄になる。

 国民の犠牲も無駄になる。


 自分が犯した罪は確かに計り知れない。

 だが、それへの贖罪は死ぬことではない。


 ──国を、取り戻すことだ。


 そのためにはどうすればいい?

 何を果たせばいい?


 少年はおぼつかない足取りで立ち上がると、潰れた左眼を手で抑えながら再び街を見渡した。

 罪悪感から思わず目を逸らしそうになるが、その衝動をグッと抑え込む。


 冒険者は言った。

 母と一緒に同い年くらいの子を殺した、と。

 いつだったか父が言っていた。

 帝国から暗殺者が派遣された時のため、少年には常に影武者が立てられていた、と。


 冒険者が言っていたのは、きっとその影武者のことだろう。

 つまり事実上、【ケラント皇太子】という存在はその時点で死んでいる。


 つまり今の少年は、ケラントであってケラントではない。

 偶然逃げ延びた、ただの名無しの少年。


 心優しい少年、ケラントは──


 死んだのだ。


「……ははっ」


 思わず少年は笑う。

 自分がこの世界のどこにも属さない存在であることが、いかにもを表している気がしてひどく滑稽に感じられたからだ。


 ……ふと、彼は影武者だった子供のことを考える。

 自分の代わりに死んでいった、哀れな子供。

 彼は死ぬ前、何を考えただろう。


 きっと、少年への恨みだ。


 再び罪悪感を感じる少年。


 だがいくら自分の罪を悔いても、結局には何の意味もない。

 行動で報いなければならないのだ。


 そのためにやらなければいけないことは、たったひとつ。

 最もシンプルで、達成困難な答え。


「……してやる」


 歯を食いしばり、右目から一筋の涙をこぼしながら、少年は胸に仕舞われていた余計なものを吐き出すかのように言った。


「──復讐してやる……!」

 

 青年は、闇夜に向かって何度も叫んだ。

 

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