第10話「死闘」


 タタタタタッ……


 ケラントは暗闇の中、時々取り付けられた淡く光る石を頼りに駆け抜ける。


 正直、彼は今の状況を把握しきれていない。

 帝国軍が突然攻めてきた。

 父の態度がいきなり豹変し、殲滅から逃亡へと目的が変わった。

 それも気になるが、何より疑問なのが──


 父の言っていた強力な「敵」。


 本当にそんな奴がいるかも疑問だが、どうしてそれが来ることが分かったのだろうか。

 あの様子だと、まるで誰かにそうなることを教わっていたかのよう──


(余計なことを考えるな)


 首を振って彼は邪推を追い出す。

 そうだ、今は彼の頼みを遂行するとき。

 メテラルシアに向かって走るのだ。


 そうして彼が走りのギアを上げた時。

 後方からものすごい爆発音が響いてきた。

 それに驚き、ケラントはピタリと走るのを止める。


(なんだ!?)


 間違いなく先程までいた部屋からだ。

 つまり──


(戦っているのか……?)


 さっき言っていた、強力な敵とやらと。


 ここでケラントに、迷いが生じた。

 果たして本当にこれを無視してもいいのか? 家族を見捨てて逃げてもいいのか?


 父のできれば言葉には従いたい。だが、良心がそれを許さない。

 暗闇の中で佇んだまま、ケラントは1人葛藤する。


 そして再び爆発音が轟いた時。

 ケラントは元きた道に引き返すことを決意した。

 

 今、この良心に抗ったらきっと後で後悔する。

 ケラントは、そう言った悔いを残すことを何より嫌っていた。

 

 やらぬ後悔より、やる後悔。


 入り口へと向けて、彼は来た時以上のスピードで駆け出した。

 ──この判断が、後のケラントの人生を大きく決定づけることとなる。




**




 入り口にはすぐに着いた。

 ここに近づくにつれて何かがぶつかり合う音は大きくなってきたので、ここでタンドラが戦っているのは疑う余地がないだろう。


(さて、どうしたものか……)


 ケラントは再び悩む。

 ここで一気に躍り出て父に加勢してもいいのだが、それはあまり得策ではない。

 共闘するための訓練は受けていないので、下手に加勢すると逆に足を引っ張る可能性があるのだ。


 悩んだ末、ケラントはタイルをわずかに持ち上げてその隙間から父の様子を窺うことにした。

 これなら相手にバレることもないし、父が不利になったのを見計らって助太刀することもできる。


 頭上のタイルに両手を当てると、ケラントはグッと力を込めた。

 タイルは意外と軽く、ほとんど抵抗なしに持ち上がった。そしてできた隙間から、少し背伸びをして彼は目を覗かせた。


 長さ20メートルの立方体の形となっている、謁見の間。

 まず目に入ったのは父だ。

 真剣を抜き、基本の型を構えている。


 そんな彼と向き合うように、金髪の男が立っていた。その後ろに大きな斧を持った男。

 そして少し離れたところ紫髪の女と小柄な男が立っていた。


(あれは──)


 ケラントは我が目を見張る。

 彼らに見覚えがあったからだ。


(ナラマイル……?)


 この国最強のパーティの連中だ。

 国からいくつもの任務を賜り、国王にも忠誠を誓っていた連中である。

 そんな奴らがなぜ……?

 

「……さすがエプシルの長。お強いですね〜」


 剣を構えながら、金髪のゼンゲルが言う。


「正直もっと簡単に倒せるかと思ってましたよ。何か特殊な訓練でもされてるんですか?」


 ゼンゲルが問う。

 だがタンドラはそれを無視し、黙ったまま間合いを見計らうようにジリジリとその距離を詰めていった。

 そんな彼の様子を見て、ゼンゲルはわざとらしくため息をつく。


「……お話をする気はないんですね。遺言くらいは聞いてあげようと思っていたんですが……まあ、こちらもあまり時間がないですし、仕方ないので本気でいかせてもらいますねっ!」


 最後の言葉が終わると同時に、ゼンゲルは一気にタンドラとの距離を詰めた。

 そしてそれと同時に、彼はものすごい速さでその剣を振る。


 だがタンドラは慌てずにそれを軽く受け止め、それによってできた間に拳を打ち込もうとした。

 だが勘付かれ、拳が届く前にゼンゲルは大きく後ろに引いた。


(早いな……)


 そんな彼の様子を見ながらケラントは思う。

 タンドラには及ばないとは言え、行動の一つ一つに無駄がなく、速い。相当強いと言えるだろう。


 だが単体ではやはり父の方が圧倒的に強い。

 そのはずなのに、タンドラはだいぶ押されているようだった。


(何故だ?)


 純粋に疑問に思うケラント。

 だがその問いも、戦いが進むにつれて自然と解消されていった。

 

 敵はゼンゲル1人ではない。

 彼らは4人の「パーティ」なのだ。


 長年共に戦ってきたのだろう。そこから繰り出されれコンボは確かに圧倒的だった。


 ゼンゲルが主な攻撃を与えつつ、不意を見計らってバールがその斧を振り下ろす。

 そしてわずかに体勢が崩れたところはヘレンの魔法が向かい、それを交わすとバイロンの毒が牙を剥く。


 そんな攻撃が入れ替わり立ち替わり与えられ続けるので、それらを全て交わすのは確かにかなり消耗するはずだ。


 だがタンドラは決して取り乱すことなく、ひたすら交わしつつ隙を見て攻撃を与え続けた。

 なので戦況はこう着状態だが……体力のあるタンドラの方に分があるといえるだろう。


 このままの状態が続けば、タンドラが場を制する──はずだった。


 事態が動いたのは、体力のあまりないバイロンとヘレンが疲れを見せ始め、コンボに先が生まれ始めた頃だった。

 それを見抜いたタンドラが攻撃にさらに磨きをかける。


(これは勝ったな)


 そうケラントが思った時。

 ここで、ゼンゲルの狡猾さが発動した。


 彼はタンドラがやや大きく距離を取ると、攻撃をバールに任せたまま、呟くように言った。


「そういえば、外にいたブッサイクな女。あれってあなたの奥さんですか? 最期にいい声上げてましたよ〜」


 その一言を聞いた瞬間。

 タンドラの動きが一瞬ぴたりと止まった。


「──は?」


 タンドラの思考がわずかな時間フリーズする。

 その隙を、ゼンゲルは見逃さなかった。

 そして彼は一瞬で間合いを詰め──


 次の瞬間。

 彼の刃が、タンドラの腹を貫いた。



「ガハァッ……」


 腹を貫いた剣が抜かれると、タンドラは血反吐を吐きながらその場に崩れ落ちた。

 ヒュー、ヒューと苦しそうな息を漏らしながらその場にうずくまる。


(……?)


 それを全て見ていたケラントはしばらくの間、何が起きたのか理解できなかった。


 父が…‥。


 ──負けた……?


(嘘だ)


(嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ──)


 全身がガクガクと震え、目が時々白目を剥く。

 彼は今、状況を理解できていないのではない。


 受け入れたくないのだ。


 だが間違いなくこれは現実。

 それを信じまいとするあまり、体に拒否反応が出ている。


 そんなケラントの状態なんて知りもしないゼンゲルは、地面に力なく横たわる彼の様子をしばらくハエの死骸を見るような目で見下ろしていた。

 だが突然。


「あはははっあははあぁあははははははっ」


 彼は壊れたように笑い始めた。


「ははっ、亜人如きが、いっ、一丁前に他人を愛してんのか? いひひっ、こりゃ傑作だ。

 な、なあ? あの醜女の最後、き、聞きたくないか? ひひひっ」


 タンドラは今にも剣を持って斬りかかりそうな目でゼンゲルを睨みつけながら唸った。


「だ……まれ……」


 言葉と共にまた血反吐を吐くタンドラのすぐそばにかがみ込むと、ゼンゲルはなおも腹の底から笑い続けながら、


「そ、そんなに聞きたいんですか? いいですよ、喜んで話しますよ。いひひっ、思い出しただけで笑えますね……あの醜女の脇にいた15くらいのガキ、あれってあなたの子供ですか? くくっ、害虫の幼虫なんて興味もないんで知りませんが……。

 ただ僕の剣を見た時、あ、あの女なんて言ったと思います?」


 ゼンゲルがおちゃらけた調子で訊ねる。


「……黙れ」

「くくっ、『私のことは好きにしていいから、この子だけは助けて』ですって。はははははっ! 獣の家族ごっこってこんなに滑稽なんですねぇ!」

「黙れ」

「えぇ、だから頼まれた通りたくさん痛ぶってやりましたよ〜。犯すだけでは物足りないんで、あちらのバイロン君から特別なお薬をもらって顔面にぶっかけてやったんですよ。

 その時の叫び声ったら! あぁ、あんなに美しい奏、それまで聞いたことがありませんでした……」


 ゼンゲルはうっとりとした表情を浮かべる。

 これ以上ない快楽を味わったかのように。


「お薬の効果は強烈でしてね〜、くくくっ、まあ顔面はぐっちゃぐちゃ! あれはまだ魔獣の方がくくっ、マシな顔してますね〜」

「黙れ」

「でもそれだけじゃ物足りなくなって──」

「黙れ」

「剣使って指とか──」

「黙れ」

「切り落としてみたんですよ〜」

「黙れ」


「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ」


 首を猛烈な勢いで振りながら、タンドラは壊れたラジオのように同じ言葉を繰り返す。


 そんな彼の叫びをゼンゲルはしばらくの間無視して話をしていたが、やがて鬱陶しくなったらしい。

 にわかに手に持っていた剣をタンドラの口の中に突っ込むと、それまでの笑いが嘘のような冷めた表情で言った。


「──黙れ。僕が話してるだろ? ドブネズミらしく僕の足元で這いつくばってろよ。ママに習わなかったんでちゅか?」


 剣を突っ込まれたことで言葉を話せなくなったタンドラは、代わりに「んー! んー!」と喉で叫び声をあげ続ける。

 そんなしぶとい彼にゼンゲルはチッと舌を鳴らす。


「くそっ、これだから害虫は。こんな簡単な命令にも従えないんですか……ママがめっめっをしないとでちゅね〜」


 そしてジュルリと舌なめずりをすると、彼は持ち手にギュッと力を込め──

 

 次の瞬間。

 彼はタンドラの頬を一気に引き裂いた。


「ああぁあぁあぁああああぁあぁあああぁあぁぁ!!!!」


 タンドラの絶叫が辺り一面に響く。

 血がボダボダと垂れ、腹から溢れる血と混じった。


 喉から叫びを振り絞りながら悶えるタンドラを眺めつつ、ゼンゲルはポリポリと頭を掻いた。


「あちゃー、黙らせるつもりが逆効果でしたかね……まーいっか! 僕は話したいですし、勝手に話させてもらいますね!」


 彼はおもむろに立ち上がると、身をよじらせるタンドラの周りをぐるぐると回りながら、さらに話を続けた。

 

「んで色々可愛がってあげたんですけど、なんか痛めるだけじゃ足りなくなってきたんですよね。くくくっ、それで僕たちどうしたと思います?」


「──そこら辺でちびってたガキを目の前で殺してやったんすよ! ははははははっ、その時の叫びようったら! ズタボロだったはずなのに僕に飛び掛かってきて『殺してやるぅぅぅ』って。面白すぎて殺されちゃうんじゃないかって思いましたよ……」


 タンドラの叫びが弱まるにつれてゼンゲルの歩みも遅くなる。

 そうして声が完全に途切れたところで、彼はピタッと歩くのを止めた。

 そして囁くように、


「……亜人如きが家族ごっこすんじゃねえよ。反吐が出る」


 そこでバイロンがポンとゼンゲルの肩を叩いた。


「それくらいにしておけ……もう、完全に壊れてる」


 その言葉にゼンゲルは再びタンドラを見下ろす。


「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ──」


 虚な白目で地面を見ながら、引き裂かれた顔でニチャアと笑いつつ彼は同じ言葉をひたすら繰り返していた。

 そこから正気を感じ取ることはできない。


「……ふんっ、所詮亜人か。この程度で壊れるとは」


 くるりと踵を返してタンドラに背を向けると、ゼンゲルはボソリとつぶやく。


「……僕の両親はこの程度では済まなかったのに」


 そして彼がコツコツと歩き始めたとき。

 

 タンドラの目に突然生気が宿った。

 その右目は爛々と輝いている。

 魔眼が発動しているのだ。


「ゼンゲル! こいつまだ──」


 タンドラが何かをしようとしていることに気づいたヘレンが声をかける。

 だがその言葉が最後まで続くことはない。

 それより前に、タンドラは最後の力を振り絞って叫んだからだ。


「……炎柱フレイムバーン!!」


 辺り一体が、巨大な火柱に包まれた。

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