2章:惨殺
第9話「戦いの狼煙」
朝。
いつも通りの時刻に起きたタンドラは、
いつも通りの身支度を済ませ、
いつも通り朝のトレーニングに励み、
いつも通り家族と朝食をとり、
いつも通り家臣との会談を乗り越え、
いつも通り執務室での職務を執り行い、
いつも通り『謁見の間』での面会をこなした。
いつもと何も変わらない、平凡で、充実した1日。
そうなるはずだった。
謁見の間のドアがなんのノックも無しに開けられるまでは。
──ドンッ!
勢いよく開け放たれたドアが大きな音を立てる。
ある商人の話を聴き終えて退出させ、ボーッと暇をしていたタンドラ。
突然のことに驚き一瞬ビクッと体を震わせたが、すぐに戸の方へと視線を向けた。
そこにあったのは、息を切らしながらドアにもたれ掛かる執事の姿だった。
「どうした、何があった!?」
執事の様子からただならぬ事態を感じ取ったタンドラは、声を荒げながら訪ねた。
執事は、息も絶え絶えに答えた。
「ベラトーク帝国が……帝国軍が、首都に攻撃を仕掛けて参りました」
「──は?」
タンドラは一瞬で頭が真っ白になった。
「陛下! 気をお確かに!」
そして執事の声でタンドラはハッと我に帰った。
呂律の回らない舌で彼は執事に訊ねる。
「と、とりあえず被害の状況は?」
「我々の方も把握しておりませんが、多くの民間人が殺害されたものかと……」
「そうか、敵の戦力は?」
「非常に少なく、200もいないと見られます」
「少数精鋭での奇襲か……」
話しているうちに、タンドラは段々と冷静になってきた。
「今、誰が敵の相手をしている?」
「自警団と都市近郊の兵が相手しておりますが、苦戦している模様です」
「相当鍛えられているようだな……よし分かった、城の警備隊を派遣しろ。この辺りで一番優秀な連中だろう」
「ですが、万が一城に攻め込まれたら……」
不安げに言う執事。
そんな彼を諭すようにタンドラは言った。
「大丈夫。私が何のために修行をしてきたと思ってるんだ? 100人くらいなら相手できるさ」
その言葉に安心したのか、執事は落ち着きを取り戻して「かしこまりました」と頭を下げた。
「それでは私は警備隊に指示を伝えて参ります」
そう言って執事が退出しようとした時。
タンドラは「ちょっと待て」と彼を呼び止めた。
「いかがなさいましたか?」
「ついでで構わないから──」
「ケラントを呼んでくれ」
**
「父上! 一体どうなっているのですか!?」
執事が退出した数分後に謁見の間はやってきたケラントは、足を踏み入れるや否や声を荒げた。
非常事態を感じ取り、武装してでの登場である。
装備を身につけ所在なさげに部屋をうろついていたタンドラは、ピタリと歩くのを止めるとクルリとケラントの方を向いた。
「簡潔に言う。帝国軍が首都に侵入した」
「なッ……!」
ケラントが絶句する。
「そんなっ! あいつらとは休戦しているはずじゃ──」
「前回は彼らが勝手に撤退しただけだ。休戦条約を結んだことは一度もない。常時彼らとは開戦状態なのだよ」
「そんなこと言っても、これは卑劣です!」
「分かっている」
話しつつタンドラは唖然と立ち尽くすケラントの方へと歩み寄る。
そしてピタッとケラントの目の前で立ち止まった。
「……しかし攻めてきたとはいえ、敵の数は少ない。200もいないそうだ。これくらいなら対処できる」
「そうは言っても、国民の被害が……!」
「……言うな」
タンドラは苦しそうな顔で言葉を絞り出した。
その様子から彼の心中を察したケラント、はぐっと言葉を飲み込む。
「仕方がないこと、ですね」
ケラントは昨日の言葉を思い出す。
その言葉に父は力無くハハッと笑った。
「昨日の話はまだ覚えているな?」
「当然です」
「じゃあ、お前に足りなかったものはなんだ?」
「経験、です」
なぜそんなことを訊ねるのか、と言わんばかりの目でケラントは父を見る。
そんな彼に父はニヤリと笑いながら言った。
「今のお前には家族や国を守るための経験がいる。いざとなったら他人を犠牲にするためにな……今がそのチャンスだとは思わないか?」
「……!」
ケラントは顔をハッとさせた。
「それはつまり……?」
「帝国軍を殲滅せよ、と言うこと──」
その時だった。
途中で声を失ったかのように、タンドラは話すのを止めた。
ケラントが訝しげに彼の方を見る。
タンドラはまるで
「……父上?」
心配になってケラントが声をかける。
だが返事はない。
代わりに滝のような冷や汗が溢れるだけだ。
「父上!」
声を大きくしてもう一度声をかける。
しかしそれでもタンドラは動かない。
だが、口だけは何故かパクパクと動いている。
──まるで、誰かと話しているかのように……。
「父上ッ!」
肩を揺さぶりながらさらに声をかけたところで、タンドラはやっとハッと我に帰った。
「どうしたんですか!? いきなり黙って!」
「え? あ、いや……」
タンドラは困惑したように辺りを見回す。
もちろん誰もいるわけがない。
なのに彼は、誰かを探しているかのようにキョロキョロしている。
「……誰かいるんですか?」
そんな父の様子を怪しく思い、ケラントは訊ねる。
タンドラは顎に手を当てて何やら考え込んでいたが、それからすぐに返事した。
「いや……もちろんいない」
「だったらどうしたんですか?」
「気にしないでくれ、ただちょっと嫌な予感がしただけだ」
ケラントはまだ疑っていたようだが、やがて諦めたのかハァっと息をついた。
「……それで、僕は街に行って敵の相手をすればよいのですね?」
ケラントが溜息混じりに聞く。
タンドラはそれには答えず、代わりに「ついて来い」と踵を返した。
一瞬呆気に取られたケラントも慌てて後を追う。
やがて2人は部屋の隅に着いた。
「ここに何があるんです?」
ケラントの問いを再び無視しながら、タンドラは何も言わずに床のタイルを一つ持ち上げた。
そしてそこに現れたのは──ひと1人分ほどの高さがある空洞だった。
「降りろ」
彼の指示のまま、ケラントはそこに飛び降りる。
どうやらこの空洞は通路になっているらしく、ずっと奥まで暗闇が続いているのが確認できる。
「これは……?」
「非常事態のための秘密通路だ。ここを走っていけば、いずれ大通りの脇に出る」
「なるほど、ショートカットというわけですね。これでより早く敵を殲滅できる……」
「いや、そのためではない」
え? とケラントはタンドラを見上げ──そして目を見張った。
彼は泣いていたのだ。
ひどく苦しそうな顔で。
「父上、一体どう──」
「ケラント、大通りに出たらそのまま南に走ってメテラルシアに向かえ」
「え? なんのため──」
「
「……は?」
混乱するケラント。
彼は何とか状況を整理しようと喚き出した。
「そんな、さっきは敵を殲滅しろって──」
「考えが変わった。いいか、今から言うことは一回しか言わない。反論は一切認めないから、よく聞け」
父の気迫に押され、ケラントは口をつぐむ。
タンドラは苦しそうに声を絞り出しながら言葉を続けた。
「この部屋には間もなく敵が来る。強力な敵だ。正直、倒せる自信はない」
「だったら一緒に戦えばいいじゃないですか!」
「だめだ」
タンドラがピシャリと言う。
「お前の守るべきものは国だ。私ではない」
「そんなこと言ったって──」
尚も噛み付くケラント。
そんな彼に、タンドラは諭すように言った。
「言うことを聞いてくれ。最後の頼みだ」
その声音から父の覚悟を読み取ったケラントは、ハッと再び口をつぐんだ。
やがて彼も意を決したのか、こくりと頷く。
「ありがとう。時間がないから手短に伝える。最後のアドバイスだ、よく聞け。
さっきも言ったが、まず大通りを南下して《雪の道》に出て、そのままメテラルシアに向かえ。
あそこはどこの国にも属さない中立都市だ。きっとエプシルでも受け入れてくれるだろう」
「分かりました、メテラルシアですね」
「そこに着いたら、冒険者組合に向かえ。冒険者になるんだ。お前の実力なら、Sランクにも問題なくなれるだろう。そしてそこで経験を積むんだ」
そこでタンドラは一息つき、さらに話を続ける。
「最後のアドバイスになるが──人を愛しろ。家族を作れ。身近に守るべきものを持て。この人たちのためなら生きていたい、と思える相手を見つけるんだ」
そして最後に悲しそうな顔を浮かべながら、
「多分私は死んで、そのまま帝国に乗っ取られるだろう。だが焦らないでくれ。お前が死んだ時が、この国の本当の終わりだ。
生きて、経験を積んで、時期を身図ってこの国を取り戻すんだ。お前ならきっとできる。私からの最後の頼みだ」
最後まで言い切ると、彼は何も言わずにケラントの頭をくしゃくしゃと撫でた。
ケラントは黙ったまま、時々肩を震わせつつ俯いている。
そんな彼に、タンドラは優しく声をかけた。
「大丈夫。ケラントなら上手くやれる。何てったって、父さんの息子だからな」
「……はいっ」
そしてタンドラは名残惜しげに立ち上がると、タイルを元あった場所に戻した。
こうして暗闇には、ケラントだけが残される。
「……よしっ」
やがて掛け声一声と共に、ケラントは暗闇に向けて駆け出した。
***
「……さて」
ケラントを何とか逃し、部屋の中央に戻ったタンドラはくるりとドアと向き合った。
ドアは重苦しい沈黙を放っている。
それから数十秒後。
ドアが勢いよく開け放たれた。
開けたのは先程出て行った執事だ。
激しく取り乱した様子で、肩が大きく揺れている。
「陛下、冒険者様がご乱心──」
何があったのか、彼は伝えようとする。
だがその言葉が最後まで続くことはなかった。
なぜなら──
言い終わる前に、その首が飛んだからだ。
激しい血飛沫を上げながら、生首がゴロリと床を転がる。
だがタンドラは一つも表情を変えない。
何度も何度も何度も何度も──
見慣れてきた光景だ。
そしてその後に、コツコツとわざとらしく足音をたてながら男が入ってきた。
金髪の男──ゼンゲルである。
「ごきげんよう、陛下」
無念そうに床に転がる生首に片足を乗せると、彼はニヤリと笑いながら言った。
「──最後の
血と共に黄色い液体を撒き散らしながら、頭が踏み潰された。
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