第7話「卒業試験」


 魔獣討伐の2日後。


 折れたあばら骨を回復魔法で体を癒したケラントは、タンドラと共に普段修行を行っている森に足を運んでいた。


 普段だったらもっと打ち解けた話をしているはずだが、今日はやけに静かだ。

 無理もない。

 ケラントは緊張しているのだ。


 間もなく始まる卒業試験に対して。


「始まる前にもう一度簡単にルールを説明しておく」


 タンドラは懐から小さな砂時計を取り出しつつケラントに話しかける。


「試験の合格条件は俺から一本取ること。手段は問わないが、あまり森にはダメージを与えないこと。期限は今日の日没までだ」


 しゃがんで手に持った砂時計を地面にそっと置くと、彼はさらに言葉を連ねる。


「俺は先に森に入っている。この砂時計が完全に落ちてからお前は動け。分かったか?」


 ケラントは何も言わず、何回かコクコクと頷いた。


「よし」


 すくっと彼は立ち上がる。

 そしてケラントの前まで歩み寄ると、ポンと彼の頭に手を置いた。


「……背、伸びたな。もう私とほとんど変わらない」


 頭を撫でつつ、彼は父親としての優しい微笑みを息子に向ける。


「言っておくが、私はお前を逃げる相手ではなく相手として認識している。そこはしっかりするように。

 では、健闘を祈ってるぞ、ケラント」


 最後にタンドラは師匠として弟子を鼓舞した。

 やはりケラントは何も言わなかったが、代わりに力強い視線を父に向けた。


 そして瞬きした次の瞬間にはもう、彼の姿は森の中に消えていた。


 その数分後。

 後を追うように、ケラントも森へ入って行った。




***



 

「なんだぁ? ありゃあ」


 適当な木に隠れて気配を消していたタンドラは、森の中で蠢く異質な魔力の乱れを見つけた。

 ちょうど彼がケラントと話していた辺りか。

 ということは……。


(ケラントか?)


 乱れを隠しもせず、その場からも動かないとは。

 タンドラに「殺してくれ」と懇願しているようなものだ。

 諦めたのだろうか。


(やっぱり早かったか……)


 卒業試験は通常18歳ごろに行われる。

 タンドラもそうだった。


 だがケラントはまだ15歳。

 普通だった魔力の扱いに体を慣らしている頃だ。

 いくら1人で魔獣を蹂躙したとは言え、やはり卒業するには早かったか。


 そんな事を考えつつ、彼は息子の動きを注視する。


 それから程なくして、彼はケラントがまだ諦めていないことに気づいた。

 時々、明らかに乱れ方がおかしくなっている。


 神眼の能力を使っているのだろうか。

 あそこまで大きく乱れたら、きっと森の端にいても気づけるだろう。

 まるで、見つけてくれと叫んでいるかのような──


「……なるほどね」

 

 そこでやっと、彼はケラントの狙いに気づいた。

 あれはわざと誘っているのだ。


 通常だったら絶対にやらないことだろうが、しかし今は卒業試験。

 森の中をしらみ潰しに捜索するのは妥当ではないと判断したのか。


 おそらく先程タンドラが言った言葉の意味を汲み取っての行動だろう。


「参ったな」


 頭を掻きつつ彼はぼやく。


 タンドラとしてこの行動は本意ではない。

 できれば、所々に残した痕跡を辿ってこの場所を見つけて欲しかった。


 だが「戦う相手として認識している」と断言した以上、一度は攻撃を仕掛けねばなるまい。

 きっとその事を信じてあれをやっているのだ。


 タンドラはこういうところで変に義理堅い。

 10分ほど悩んだ末、彼は一回だけ攻撃を与えることにした。

 こちらの居場所は割れるだろうが、それは向こう方も一緒だ。

 正々堂々のタイマン勝負になるだろう。


 背中から弓と矢を取り出し、つがえる。

 この弓は森の中を駆け回るために作られたやや短いもので、コンパクトな分飛距離は出づらい。


 ケラントとの距離はおおよそ150メートルというところか。

 正直届くか怪しいラインだ。

 だが。


(いける)


 彼には絶対に上手くいくという、今までの経験から得られた自信があった。

 失敗したら失敗しただ。

 次の手を考えれば良いのである。


 弓を構え、つるを引っ張り、矢を放つ。

 弦から解き放たれた矢は螺旋状に回転を描きつつ、森の澄んだ空気をかき分けて進んでいく。

 そんな矢の行く末をタンドラはじっと見守った。


 そして矢がケラントに到達しようかという時。

 ケラントがふとその頭を後ろに動かした。

 矢は本来頭があった場所を虚しく通過していく。


「当然避けられるよな……」


 もちろん避けてもらわなければ困る。

 もしあの威力で頭を直撃していたら普通に死んでいただろう。


 だが、避けられてしまったことへの悔しさを感じるのもまた事実。

 なんとも言えない複雑な気分を彼は噛みしめた。


 ──なんて考えながら一瞬よそ見をし、次にケラントの方を見た時。

 なんと彼の姿が消えていた。


 見失ったかっ! と一瞬焦るが、それからすぐにこちらに向かう魔力の乱れを見つけた。

 間違いなくケラントだろう。


「おいおい、正気かよ……」


 いくらお互いの居場所がバレているとはいえ、乱れを消さないのは自殺行為に等しい。

 先程発生させたのをうっかり消し忘れたのか。

 これでは彼がどのような経路、スピードでこちらに向かっているのかが筒抜けだ。


(やはりまだ未熟だったか)

 

 こんな初歩的なミスを犯すとは。

 試験だからよかったものの、実践だったらおそらく死んでいただろう。

 こんなレベルでは、合格点は到底与えられない。


 とりあえずケラントの予想進路の途中にある適当な木陰に隠れたタンドラは、懐から鋭く輝く短刀を取り出した。

 これで一気に不意打ちをかけようという魂胆だ。


 90メートル……。

 60メートル……。

 30メートル……。


 乱れとの距離は徐々に縮まっていく。

 それに伴ってタンドラの集中力にも磨きがかかっていく。


 そして予想通り乱れがタンドラが隠れた木のすぐ側を通り過ぎようとした時。

 タンドラは大きく一歩を踏み出して行く手に躍り出て、その短刀を乱れに向けて振り下ろした。


(もらったっっ!!)


 勝利を確信するタンドラ。

 だがそこで彼が見たのは──


 虚無。


 ケラントの姿は

 その場にあったのは──ただの「魔力乱れ」だけだった。


「なッッ!!?」


 本来いるべき場所にケラントの姿がなく、混乱するタンドラ。


 どういう事だ。

 何故いない。


 今までにない事態を処理しようと限界を超えた速度で回転する脳。

 その結果。

 ある1つの解が導き出された。

 まさか──


「神眼……!」


 意図的に魔力乱れを生み出していたのか。

 本体から意識を逸らすために。

 なら本体はどこへ……?


 その時。

 頭上から何かが降ってくる気配がした。

 反射的に上を仰ぐ。

 そこで彼が見たのは──


 剣を構えた状態で空から降ってくる、ケラントの姿だった。


 なんとか反応しようとタンドラは体を捻る。

 だが間に合わない。

 ケラントが着地するのが先だ。


 そして着地したケラントはそのままの勢いで体を一回転させると、その剣先をタンドラの首元に向けて振った。


 それをなんとか防ごうとタンドラは手に持った短刀を首元まで持ち上げようとする。

 だがその抵抗も功を成さず──


 首元スレスレのところで、きっさきの動きは止められた。


 唖然とするタンドラ。

 未だに何が起こったのかを把握しきれていない。


「父上」

 

 言葉を失った父。

 そんな彼に、ケラントは勝ち誇った顔で言った。


「僕の勝ちです」


 タンドラは諦めたようにフッと力無く笑いながら、軽く息を荒げているケラントに告げた。


「……合格だ」




**




「それにしても、私の勘も鈍くなったものだな」

「いえいえ、父上はまだ僕より全然強いですよ。今回は偶然勝てただけで……」

「どうだろう、意外と五分五分だったりするかもな」

「ははっ、まさか」


 試験終わりの帰り道。

 馬をパカパカ緩やかに走らせつつ、2人は談笑していた。

 日もすでにだいぶ傾き、世界は淡い朱色に染められていた。


「……さて、これでお前も晴れて卒業だ。明日から私が稽古をつけることもないし、あれこれ指図することもない。1人のとして扱うことになる」

「はい、承知しています」

「だがお前はまだ未熟だ。これで慢心することのないように」

「よく自分に言い聞かせておきます」


 それから2人はしばらくの間、特に会話もなくひたすら馬を走らせた。

 気まずい沈黙ではない。

 そこにあるべくしてあるような静寂だ。


 だがふと疑問が湧いたケラントが、その沈黙を切り裂いた。


「……父上」

「なんだ?」

「先程父上は僕がまだ未熟だと仰いましたね?」

「あぁ、言ったな」

「未熟な僕に足りないものって、一体なんなのでしょう?」


 タンドラは迷わず答えた。


「それは一つしかない──だ」

「経験?」

「そうだ。確かにお前には十分技量はある。だがそれをどんな状況でも活かせるようになるために経験が足りてない」

「一応いかなる状況でも対応するための訓練は積んできましたが……」

「それとは違う。例えばお前は家族が暴漢に襲われた時、相手を躊躇いなく殺せるか? 自分の命と引き換えにしてでも守れるか?」


 ケラントはウッと答えに詰まった。


「それは……」

「断言しよう、できるわけがない。お前には人の心がある。人を殺すときに躊躇うのは人として当然だ」

「では、父は?」

「どうだろうな。まだ残ってはいるはずだが……私はいざとなったら、それを意図的に消す」

「消す?」


 タンドラがこくりと頷く。


「スイッチを切り替えるんだよ。人としての自分と、鬼としての自分。これができなければ、お前はいつまで経っても半人前のままだ」

「そのために経験が必要だ、と……」

「そういうことだ」


 タンドラは遥か遠く、もう見ることのできない世界を思い出すかのようは目つきで言った。


「父に同じ事を言われて、私は傭兵として色んな国を駆け回った。色んな人が死んだよ。敵だった者も、親しかった者も。

 最初は辛かった。殺されるのもそうだし、殺すのもひどい苦痛だった。だがある時、突然気付いたんだ」


「これは仕方がない事なんだ、と」


「人が争う限り人は死ぬ。自分も、周りの奴らも、結局はその1パーツに過ぎないんだってな。

 お前が命を奪う事を今後どう捉えるか分からない。一生苦痛に思うかもしれないし、私のように割り切るかもしれない。

 いずれにせよ、経験がなければ答えが出ることはないからな」

「……なるほど」

「私はまだしばらく健在だろうから、一度世界を見てくるといい。きっと大きな糧になるはずだ」


 そう言ってタンドラは徐々に暗くなっていく空を見上げた。

 渡鳥の群れが美しい隊列を成して悠々と飛行している。


「……もうすぐ日が暮れるな」


 そして視線をケラントに移し、


「暗くなる前に戻らないとエルロに叱られる。馬を飛ばすぞ」

「はいっ!」


 そして2人は馬の尻に鞭打ち、林道を勢いよく駆け抜けていった。


 ──これが、2人が和やかに話した最後の会話となった。

 

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