引っ掻き傷

ミドリ/緑虫@コミュ障騎士発売中

第1話

 アメリカ在住中の高校三年生。日本語補習校で出会った彼への初めての恋は、塗り固められた嘘で呆気なく散った。


 私に告白された彼は、今は受験勉強があるから誰とも付き合わないと言った。


 相談していた親友だと思っていた彼女は、彼に告白した。


 私は招かれなかったカラオケで、二人は堂々と友人達に交際を宣言した。


 その話を後から聞いた私は、それでも笑顔を絶やさずにいた。次に会った時、おめでとう、そう言ってやった。


 ――その方法しか、その場を乗り切る方法を知らなかった。



 私には、同じ高校に通う日本人の別のグループがある。私を軽々と裏切って幸せ一杯の奴らがいる品行方正なグループとは違い、酒も飲む。煙草も吸う。なんなら車内での絶好のヤリ場なんていうのすら教えてくれる。私には縁のないものだったが。


 だから、そのグループといた。私が経験したことも、あいつら馬鹿だよと怒ってくれた。笑い飛ばしてくれたから。


 そこへやって来たのが、キョウだった。


 キョウは私達とは違う高校の生徒だが、グループにいる男友達マサの友人だという。私が笑顔を続けないといけない補修校グループに、私が入るより前に所属し、去っていっていた人だ。背の高い私よりも少し高く、短髪で笑顔になると急に幼く見える、不思議な雰囲気の人だった。


 あの人達とはうまくいってなかったからだろうか、キョウと私は馬が合った。


 私と同様タバコは吸わず、ただ居心地いいからここに共にいる。強要なんてしないけど、されるのも嫌い。そういう種類の人間だ。


 日本でいう学年では同級生だが、こちらでは私の方が一学年上。私とマサはもうすぐ帰国、マサの彼女のアヤとキョウはもう一年残ることが決まっていた。


 私が住んでいる地域は、車がないと生活が成り立たない。滞在年数が長い私は英語の試験もパスできたが、日の浅いマサはパス出来ず、免許がなかった。


 だから、彼を送り迎えするのが私の役目になった。マサはアヤを乗せるからだ。


 四人で遊んでいる内に、キョウの私を見る瞳に熱が籠り始めたことに、経験の浅い私は気付いてなかった。


 キョウをドラッグストアの前で降ろし別れる時に、運転席の窓を開けろと仕草で言われ、開けた。


 ファーストキスだった。


 何も反応出来ず、バイバイと言われて手を振り返した。


 告白はなく、付き合おうかという言葉もないまま、私達は二人で出掛ける様になった。


 遊園地に行った時に、どうしても落ち着かなくて手すりをトントン触っていたら、


「汚いよ」


 と手を握られた。そこから、いつも手を繋ぐ様になった。


 忘れられない思い出がある。高校も補修校も卒業し、補修校グループで、ボウリング場で卒コンをすることになった。


 私は、誘われたが断った。だが、私を裏切った彼女が押し付けがましく貸してくれていた本を返却するのを忘れており、その機会はこの日が最後であることに当日の朝気付いたのだ。


 あんな女に借りパクして、後から腹いせだとか何とか言われたくはない。


 キョウと会う約束をしていた私は、キョウをピックアップしてから、ボウリング場の入り口にキョウを待たせて自分だけ入った。キョウは、あいつらとは反りが合わない。嫌な思いをするのは私だけでいい、そう思ったからだ。


 彼女は、彼と並んで楽しそうにはしゃいでいた。私を見た瞬間、彼から離れたのがわざとらしい。周りの私を見る目は、同情か、それとも嘲笑か。


 私は笑顔で借りていた物を返却し、やっていきなよという言葉に返事を濁して立ち去ろうとした。


 そこへ、キョウがやってきた。


「エミ、遅いよ」


 そう言って、私の手を握った。


 ざわついていた彼らが、一瞬で静まり返った。


 爽快だった私は、笑いながら皆にさよならを言った。もう会うこともないだろう。


 最後まで、振り返らなかった。



 ある日、四人で夜景を見に行こうという話になった。車は二台。


 キョウは、ワイングラスをふたつに白ワインのボトルを持参してきていた。私が赤は飲めないと言ったことを、ちゃんと覚えていてくれたのだ。


 丘の上は真っ暗闇で、だけど電線のない空は果てしなく広大で、星が今にも降ってきそうで私は感動していた。


 マサとアヤは別の場所に行くからまた後で、とそこで別れ、ボンネットの上に座り星を見上げながらワインを飲んだ。


 だけど、私の心は落ち着かなかった。


 キョウの大きな目が、私を物欲しそうにじっと見つめている。分かっていた。彼が何を求めているのかは。


 マサ達は、気を利かせてくれたのだろう。勿論自分達もヤリたいという目的はあろうが。


 好きになっても、もうあと数週間で離れることになる。だから好きとはお互いに言わなかったと思っている。


 ――でも。


 キョウの手が、私を車の中に誘導する。どうしていいか分からなかったが、キョウを拒むことだけはしたくなかった。


 私の肌に触れるキョウの身体の熱さは、きっと一生忘れない。


 背中に付けてしまった引っ掻き傷を笑い飛ばしてくれたことも、熱を冷ましに外に出た時、外から見た自分の車の窓が真っ白に染まっていたことも、きっと死ぬその瞬間まで覚えていることだろう。



 それから二週間後、いよいよ明日が帰国となり、私とマサの送別会が仲間内で行なわれた。


 私とキョウは、連絡先を交換しなかった。


 しても意味がない、何故か二人ともそう思ってたに違いない。


 その集まりに、最近こちらへやって来たひとつ下の女の子も参加した。私に懐いてくれている子だ。


 キョウが初めてのその子を見る目は、以前は私に向けられていたものと同じ熱さを持っていた。



 日本に帰国し、マサから時折キョウの話を聞いた。


 あの子と付き合ったけど、すぐに別れたらしいこと。いつ頃日本に帰ってくるのか。今受験をしているらしいよ。あそこの大学に通うらしい。恐らくは、本人から聞いた話なのだろう。


 マサは、どういうつもりで私にそれを伝えたのかまでは、私は分からない。


 マサは、アヤと離れ離れになり、寂しさを共有しようとしたのかもしれない。


 その一年後、帰国したアヤが一人暮らしを始め、そこが汚部屋だったことで別れた様だが。


 マサとは、大人になった今でも繋がっている。だけど、キョウのことはお互い聞かない。言わない。アヤのことも、同じ様に聞かない、言わない。


 今でも、時折ふとキョウのことを思い出す。あの記憶に引っ掻き傷の様に刻まれた夏の夜空のことを。


 何も考えられず、ただキョウにしがみつき痛みを堪えきれず泣いたあの時のことを。


 もしいつか会えたら、聞こうか。


 私のこと、好きだった?


 きっとキョウは、答えないだろう。


 だからそれが分かっている私も、やっぱり聞かないのだろう。

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