第8話 覚醒前⑧
俺を助けたのは中学生か小学生の大きいほうかと思うような小さい体の人物だった。マスクとフードで顔を隠し、目にはゴーグルをかけている。
「ありがとう」
助かったことに礼をいうと軽くうなずいて踵をかえして走り去ってしまった。
あとには鉄筋数本に首や胴を貫通された暴漢の痙攣する体だけ。
この状況の説明に自信が持てない。あれほど待ち望んだ警察が来る前にここを立ち去ることにした。
自宅玄関についたところで遠くサイレンが聞こえる。やっとお出ましのようだ。
家に帰ると灯りはついているが誰もいない。何かあわてて荷造りした様子がある。自室に戻ると机に走り書きのちぎったメモ用紙が文鎮で抑えてあった。
「避難命令が出ました。小学校に避難してます」
携帯にかければいいのに、と思って出してみたらさっきの通り魔の時にどこかにぶつけたらしい。蜘蛛の巣状のひびのはいったガラス面はなんどボタンを押しても光のともることがなかった。
まさか、本当にゲームの世界が現実に出てきているというのだろうか。
どこかで急ブレーキ音と車の衝突するらしい破砕音が聞こえた。サイレンはなりやまない。
何がおきているにしろ、やばいことに間違いはない。
着替え少し、空き巣にはやれない大事なものを急いでまとめた。寝袋も一つもっていく。これで夜を明かすことになってもかなり安心だろう。いろいろ不足しているのはわかるが、とにかく急いだほうがいい。ゲームのヘッドセットをちらっと見る。本体はともかくこれも結構高いものだ。リュックに押し込み、念のため登山用のストックを妹の部屋から拝借した。丈夫だが軽量ではなはだたよりないが、いかにも武器の木製バットなどもっていくよりおかしな誤解を受けないだろう。
あとでめちゃくちゃおこられるとは思うが。
あとは家の人の忘れ物がないか確認。通帳一冊とハンコのセットがでてきた。たぶん母のへそくりだ。
再び路上にでると、ドアのあきっぱなしになった車が乱雑に乗り捨てられている。
衝突の痕跡があったりなかったりだが、一番目をひいたのは巨大な生きものと衝突して半分つぶれてしまったトラック。運転手がどうなったか、あの運転席と思われるあたりから垂れてる黒いのが何かは考えないようにしよう。
問題は衝突した生き物だ。
知ってる生き物だ。何度も倒したことがある。ただし、ゲームの中で。
一つ目熊とよんでる、ヒグマの毛を青くして目を一つにしたような魔獣だ。もちろん一人で倒せるものじゃない。
だが、それも四トン車のおそらくかなり速度が出ていたのに衝突されては無事にはすまない。あおむけに大の字に倒れたその口、尻、へそからは何かはみだしていた。内臓が破裂し、押し出されたのだろうか。
こんなもの、現実にいるわけがない。だが、実際そこで死んでいて異臭を放っている。
とにかく、と俺は気をとりなおして、昔かよった小学校を目指した。
小学校の裏の校門が見えるまでは特におかしなものは見えなかった。
死体がころがっている。
校門の前に野犬四匹、山猫一匹、そして引き裂かれたジーンズをはいたずたぼろの人間の死体らしいものが一つ。
登山用ストックというはなはだ頼りない武器を手に、俺は慎重に近づいた。
避難してきた人たちはどうなった? ここに魔獣が襲ってきたのなら逃げ散ったのではないか。運の悪い誰が犠牲になったのか。
校庭には誰もいなかった。校舎に人の気配はない。廊下を山猫が闊歩しているから、生きてる人は少なくともいないだろう。そのかわり体育館からはくぐもった声や物音など人の気配で満ちている。そのしめきった扉の前を犬のような姿がうろうろしている。野犬だ。
どうやら、避難してきた人は学童ともども体育館に立てこもって救助を待つようだ。今から合流は無理だろう。
野犬どもに気付かれたら面倒だので、一度その場を離れることにした。
こうなったら、家に帰ったほうがいいだろう。
ふいに背後で軽い足音が聞こえた。あきらかに人間のものではない。ふりむき身構えると野犬らしい犬が二匹、俺を無視して小学校のほうへ走っていくのが見えた。
いつのまにあいつらが接近してきたのかわからない。ゲームの中では肌感覚である程度の察知ができるが、やはり現実ではそうはいかないのだろうか。そしてなぜ俺が襲われないのかは不思議だ。
気をとりなおし、再び家路を急ごうとしたとき。
「ログインして」
ふいに隣から声をかけられてびっくりした。
ぼさぼさ髪の、ジャージ姿の化粧っけのない若い眼鏡の女。たぶん二十歳くらいが竹ぼうき持って立っている。地味顔だが、目はぱっちりしているし何より色が白い。ちゃんとすれば結構きれいになりそうな女性。
「ど、どちら様」
「木山祥子、アストリーデといったほうがわかるわね」
中の人にあうのは初めてだ。実名も聞いてしまった。
「ええと、リアルでは初めまして」
「はい、初めまして。思ったよりましな外見ね。もっとでぶで不健康な顔をしてるのかと思った」
いろいろ情報量多すぎる。なんでここに? 初対面でなんでわかる? そもそもあの兄妹はもっと遠いところに住んでいたはずだ。引っ越してきたのか。結構失礼な感想は、実は俺のほうも同じなのであいこだ。
「説明を」
「その暇も惜しい。まずはログインして、できればこの場で」
「いや、ヘッドセットしかもってきてないよ」
「それかぶるだけでいいから」
いいわけないだろう。
押し問答をしているとぞくっと殺気を感じた。
野犬が一匹、こっちを睨んでいる。あ、これは殺る気だ。
「とりあえず、あれなんとかしよっか」
身構えたときにはもう野犬はこちらにむかって走ってくるところだった。狙われたのは木山アストリーデ。彼女は竹ぼうきの柄をむけてかまえるが、それで抑えきれるものではないと思う。
竹ぼうきが折れるのと、思った以上に強い殴打に野犬の頭がそれるの、俺が登山用ストックを野犬の口の中に突きこむのと、ほとんど同時のできごとだった。
野犬の牙は木山アストリーデの肩のジャージの生地を少し食いちぎるにとどまった。その喉にはひんまがったストックが深々と刺さっている。
俺のほぼ目の前に落ちたそいつの腹を、俺は思い切り踏みつけた。いろいろつぶれる感触が足の裏に伝わる。
野犬は息絶えた。
ここまで、俺も木山も常人の動きをしていない。とくに野犬の横面張った竹ぼうきの一閃には魔法による加速の気配があった。
「ログインして」
それでもいうことにぶれはない。
こうなったらいう通りにするしかないだろう。
家に戻ったら、固定電話で家族の誰かの携帯にかけて家に立てこもることにしたことを伝えようと思ったがそれはやめにした。
魔獣がうろつく現状、木山アストリーデを路上に放り出すのもできない。これは緊急事態だからと家にあげ、玄関だけ施錠する。
客間で待てといったのに、彼女は俺の部屋までついてきた。
「頼むから何もいうなよ」
興味津々に見回すので釘をさす。
「いいじゃない」
「お前、襲われてもおかしくない状況だって理解しろよ」
「そんなことやってる場合じゃないから、ログインして」
いや、それこそゲームに入ってる場合じゃないんだが。
ヘッドセットを本体につなぎ、急いで起動。電気が切れてなくてよかった。停電がおきてもおかしくない。
入るとログアウトした酒場の隅っこだった。
アストリーデがそこにいて、ルキフェが虎と一緒に少し離れたところにいた。他に人はいない。店の人間さえもだ。
なにやら違和感を覚える。
一つは物音とにおい。この町が賑やかなのはいつものことだが、聞こえてくる音が違う。肉を打つ重い音、悲鳴、人と魔獣の断末魔、そしてたなびく煙と焦げ臭いにおい。
もう一つはアストリーデ。
「なんでいるんだ」
ログインしたのは俺一人。てっきり木山アストリーデは俺の部屋でエロ本でも発掘してるのかと思った。
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