#11

仮の宿へと戻ったドミノは、馬を荷台から引き離して自由にしてやる。


それから庭にあった井戸から水を桶へと移し、荷物から出した干し草と豆をたっぷりと与えた。


水を飲んで干し草をむ馬を撫でながら、ドミノは言う。


「ここまでありがとうな。もしよかったらまたうちへ来い」


そして馬へ別れの挨拶をした彼女は、荷台に置いてあるゆりかご抱いて家の中へと入る。


ドミノはレオパードと別れた後に、すぐにでも依頼主であるジャド·ギ·モレーの住処へと行こうと思ったが。


急ぐ必要もないと思い直し、馬へのねぎらいと赤ん坊を休ませることを選択した。


それとまだ彼女自身、大型の魔獣との戦闘や旅の疲れも残っている。


赤ん坊を届けるのは夜でいいだろうと、ドミノは殺風景な部屋にあるベットへと腰を下ろした。


これまで疲労が一気に身体に圧し掛かる。


だるさが自分がもう若くないことを教えてくれる。


今回の仕事だけでなく、今までの無理もたたったのだろう。


実際にドミノの歳は三十代後半へと入っている。


普通に考えれば、同年代の賞金稼ぎのようにパーティーを組んで活動するべきなのだろうが。


生まれつきの仏頂面や、元々人付き合いが苦手のもあって、ドミノは他人と協力して仕事をする気にはなれなかった。


しかし、そんな生活ももう終わる。


身体は悲鳴をあげているが、今回の依頼――この仕事が終われば一生遊んでいけるだけの報酬が手に入ると考えれば、十分に割の良い仕事だった。


危険な賞金稼ぎ生活も辞めることができる。


その後はどうするかと、ベットに座ったまま床を見つめた状態でドミノは考えていた。


「仕事以外に……することなんてないな……」


両親を戦争で失い、孤児となったドミノはガナー族に拾われた。


彼女を育ててくれた一族の者たちは、ガナー族の力を恐れたまだ滅亡する前のハーモナイズ王国によって皆殺しにされている。


世界中にいるかもしれない同胞を捜す旅にでも出てみるか。


ドミノがそう思いながら鼻を鳴らすと、いつの間にか赤ん坊が彼女の前にいた。


その小さな手でドミノに触れながら、どこか寂しそうに「あうあう」と声を出している。


「起きたのか? ったく、ゆりかごから出たらダメだろう」


ドミノがその身体を抱き上げると、赤ん坊が嬉しそうに笑い始めた。


その無邪気な笑顔を見た彼女も、赤ん坊につられてつい笑ってしまう。


「うん? なんの臭いだ? あッ……まさかお前……」


ドミノは異臭に顔をしかめると、その臭いのもとが何なのかを理解した。


赤ん坊がお漏らしをしたのだ。


尿はドミノの身体を濡らし、床にも垂れてしまっている。


さらに尿と一緒に大便も出たのか、ただでさえキツい臭いがさらに強くなった。


「そういえばずっとしてなかったよな……。考えてみれば当然のことだった。とりあえず風呂に入ろう。もちろんお前も一緒にな」


ドミノがそういうと、笑っていた赤ん坊は、彼女の腕の中ではしゃぎ出す。


何がそんなに嬉しいのやらと、ドミノはため息をつきながら、仮宿の中にある浴室へと向かうのだった。


ドミノは湯を沸かし、汚れた衣服を脱がせて赤ん坊の身体も洗う。


ぬるま湯の入った桶に入れる前、身体を拭いてやる。


赤ん坊の身体が小さいので、浴室にある手桶の中にすっぽりと収りそうだ。


桶に入れる前に、赤ん坊の尻などをざっと洗っていく。


湯を足からかけたら、赤ん坊を膝の上で抱え、顔、頭、体の前側を順番に優しく磨く。


首回りや脇の下、股など皮膚が重なってしわができているところは汚れが溜まりやすいので、指先をしわに差し込むようにすることでしっかり洗うことができる。


体の前側を洗い終わったら、うつぶせにして背中や尻を洗う。


赤ちゃんを半身浴の状態にすると背中や尻、足の部分も洗いやすい。


しばらく身体を洗っていなかったのだろう。


赤ん坊の身体はかなり汚れていた。


それはドミノも同じだ。


彼女は赤ん坊を洗い終えると、大きなシーツで簡易ベットを作って寝かす。


次に自分の身体を濡らした布で拭いていく。


その様子を笑っている赤ん坊を見て、ドミノが不可解そうに訊ねる。


「何が楽しんいんだ、お前?」


赤ん坊が答える代わりに、頭を揺らしながらさらに笑みを作っていた。


どうしてだが、キャッキャッとはしゃいでいる。


ドミノは、泣かれるよりはいいかと、さっと身体を拭き終わると、事前に用意していた清潔な布で赤ん坊を包んでやった。


実際にこの赤ん坊は、彼女が出会ってから一度も泣いていない。


普通の赤子は泣き喚くものだと思っていたドミノからすると、何かおかしく感じていた。


大型の魔獣に襲われたときもそうだ。


凄まじい魔獣の咆哮を聞いても、この赤ん坊は怯えるどころから、不思議な力を使ってドミノのことを助けたのだ。


あのときの赤ん坊が使った力――おそらくは魔法といい、どうもこの子は普通ではないと、彼女は考えていたが――。


「詮索はよくないな……。さあ、少ししたら依頼主のところへお前を連れて行っていやる」


すぐにその考えを打ち消して、自分も新しい服に着替えた。


それから赤子をゆりかごに入れて抱き、仮宿を出て、賑わう街の中を抜けてさらに奥へ進む。


裏路地にある、まるで廃墟のような朽ち果てた建物――ハーモナイズ王国の残党であるテンプル騎士団らの住処へと辿り着く。


ドミノが建物の扉をノックすると、扉の隙間から人の目が現れる。


以前に来たときとまるっきり同じだと思いながら、ドミノはその猜疑心あふれた目を見返して答える。


「こないだ来た賞金稼ぎだ。お前たちのリーダーに取り次いでくれ」


その一言で扉が開き、彼女は扉の側にいた小男の手招きで中へと通される。


歩を進めながらドミノがゆりかごの中を一瞥すると、先ほどまで笑っていた赤子の顔が強張っていた。

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