第441話 最初からいなかった
狭い自室に閉じこもっていた時とは異なり、今、俺を取り巻く世界は果てしなく広い。
その超人的な五感や
普通の人間だった時もそうだったが、脳というやつは自らの興味がある対象以外については普段は、そちらの方に意識が向かないようになっていて、そうなることを防いでいるのだろうが、思わず「あっ!」と思うことが続けざまに起きた。
ジョルジョーネたち≪魔星≫の中から、シーム先生に続く新たなる神の誕生によりカドゥ・クワーズの勢力図は再び変化を見せることであろうし、何といってもスキル≪カク・ヨム≫の熟練度アップは俺自身の更なる可能性を切り拓く意味でとても喜ばしい知らせだった。
今は何と言ってもヤルダバオート教団の本拠地におり、その暇は無いのだが、ロランとしては早くこの件を解決し、新たに得られた力の詳細を確かめたくて仕方なかった。
「では、行くぞ。ティモン、お前も来い」
ティモン?
誰のことだろう。
ヤルダバオート教団の教主アンリ・プッティーノがそう声をかけると、石造りの壁がゆらりと動いたような気がして、そこから突然、一人の男が現れた。
中肉中背で、特徴がすぐに浮かんでこないような不思議な顔をしていた。
顔のパーツのひとつひとつが大きすぎも小さすぎもせず、形もこれと言って特徴がない。
そして、売れっ子漫才コンビのじゃない方芸人と呼ばれる芸人よりもさらに影が薄かった。
ロランは一瞬ぎょっとし、身を固くして、警戒したが、それが悟られぬようにできるだけ平静を装った。
やはりこの場でアンリ・プッティーノと戦わなくて正解だった。
正直、真正面からぶつかっても負ける気はしないでもないが、得体のしれない能力者それも二人同時の相手では間違いが起こらないとも言えない。
相手の強さも不明だが、実は俺自身の強さがどの程度なのか、まだ完全には把握しきれていないのだ。
今の自分の強さの物差しは≪天魔王≫だった時のもので、現時点ではリヴィウス神よりも速く、そして力が上だったという体感しかない。
自分が確実に強いと言い切るにはこの体での実戦経験が少なすぎる。
俺は強いという漠然とした自覚はあるのだが、その強さの底が自分でもわからないという奇妙な状態にあるのだ。
「その男の名はティモン。私の護衛だ」
アンリ・プッティーノが紹介すると、ティモンと呼ばれた男はフンと鼻を鳴らし、死人のような目でこっちを見た。
こいつの能力はたぶん≪
ティモンは、壁際からこっちに向って静かに歩いてきて、ロランの隣に立った。
「ふぅん、おたく、あんまり強そうに見えないけど、オレたちと同じ≪転生者≫なんだよな。悪いけど、隙だらけだし、少なくとも五回は殺せたよ」
ティモンはその手に持った不気味な装飾のナイフを舌でなぞるような動きをして見せ、不気味に笑った。
「おい、ティモン。いい加減にしろ。これから我らの仲間になるのだ。無礼な真似はするな」
「オレは何となくこいつが気に入らねえ。この見た目、物腰。お前さぞモテるんだろうな~。オレなんか百人の女に声をかけて、百人に無視されるんだぜ。せっかくこの世界に転生できたのに神様ってのは不平等だよな。その整ったいけ好かねえ顔を切り刻んでやりてえなあ~」
ティモンは異常なほど顔を近付けて臭い息を吐きかけてくる。
クソッ、このアンリ・プッティーノとかいう黒人神父コスプレの野郎もそうだけど、何で人と話をするときに無駄に顔を近付けてくる人種って、一定数いるんだろうな。
まあ、いいや。無視しておこう。
「おい、アンリ。こいつ、ビビってるぜ。俺に目を合わしもしねえ。それともお前、シカトしてんのか? おらぁ!」
ティモンは俺の肩をどついて見せた。
「やったな? この野郎……」
ティモンにどつかれた場所は俺の≪しゅびりょく≫とこいつの≪こうげきりょく≫の関係でまったく痛くは無い。
だが、何かむかついた。
何で初対面の相手にこんな態度を取られなきゃならんのだ。
よく見るとこいつ、没個性だと思ったけど、表情のせいか何かむかつく顔してるなあ。
「お前、なんでやねん!」
ロランは、自分がやられたのと同じように肩をどつき返した。
ティモンの眼球はピクリとも動かず、ロランの押し出した手の動きが見えてはいなかったようだった。
ロランの手のひらが肩に触れた瞬間、ティモンの肩の肉は波打ち、そしてその衝撃が全身に伝わったかと思うとそこから一瞬で壁まで吹き飛んだ。
ドンッという、まるで大型ダンプが何かにぶつかったような鈍く大きな衝突音だった。
ティモンの体は宙を飛び、そのまま激突した壁を破壊して、はるか先までさらに飛んでいく。
怒りに任せて、敵意を持った状態でどついたので、どうやら攻撃であるという判定であったらしい。
ティモンの体が飛んでいったと思われる先から、いくつか悲鳴が上がった。
「あれ……、あのティモンっていう人、大丈夫だったよね。かなり
ロランは、恐る恐る振り返ってみると、アンリ・プッティーノが爪を噛み、素数を数え始めていた。
実は、ロランの超人的な視力は、吹き飛ぶ途中でひしゃげながら変形したティモンの肉体が血を吹き出し原形を留めなくなっていく様を、スローモーションの再生画像のように捉えていた。
だが、ロランはそれを自分の見間違いだと思うことにした。
そんなグロい光景を、後々、悪夢で見るのが嫌だったからである。
僕は何もしていない。
ティモンなんていう男は最初からいなかったんだ、いいね。
ロランは自らにそう言い聞かせた。
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