第278話 醜く歪んだ泣き笑い
全身がバラバラに砕け散るという魔蟲王フージョガの壮絶な死によって、ひとまず危機は去ったかに思われた。
しかし、魔蟲王フージョガが高橋文明を地面に叩き落としたときの衝撃や≪
間一髪、谷底には落ちなかったもののあと少し崩壊の範囲が広ければ、どうなっていたかわからない。
寝返り一つ打ったら、もうそこに地面は無い。
魔蟲王フージョガとの決着同様、本当にギリギリだった。
『……さん、ロランさん……』
掌に載せていたピーちゃんの声が聞こえ、再び闇に囲まれたあの小部屋に意識が戻る。
見るとピーちゃんは力なく横たわったままで口は動いていなかった。
やがて黄色い鳥の姿が光の粒子を漂わせ始め、輪郭が
「えっ、ピーちゃん。どうしたの? やだよ、しっかりしてよ!」
ロランの呼び掛けもむなしくピーちゃんの体は霧散し、やがて目の前に透き通った若い女性の姿が現れた。
日本人にはいないような目鼻立ちのはっきりした美少女。
衣服などは身に着けておらず裸身で、金色に輝く長い髪がとても魅力的だった。
『ロランさん、ついに私のこと、カリストって呼んでくれませんでしたね』
その美少女は少し困ったような笑みを浮かべながらそう言った。
「えっ、カリスト? ってことはピーちゃんなの?」
『はい、ピーちゃんです。訳あって、小鳥の姿でしたが、これが私の本当の姿です。名はカリスト、ここではない違う世界から先の神々の戦いで遣わされた女神です。女神と言っても序列は最下位で、
驚いた。
人の言葉を理解したり、不思議な力を持っていたからただの鳥ではないと思っていたが、まさか神様だったとは……。
『詳しい事情を説明したかったのですが、どうやらもう時間があまり無いようです。闇の浸食を防ぐことに力を費やした上、先ほどの魔蟲王なる闇の者が放った魔闘気から、ロランさんの魂魄を守るのにかなりの力を消耗してしまいました』
確かに、その姿は徐々に薄くなっていき、身にまとっている光もどこか儚げだ。
「そんな……、俺のために……」
『気にすることはありませんよ。この世界を救いうる可能性を持った者を見つけ、力を託すのが私の最後の役目。ロランさんを守ることができて本望なのです。私は残されたの力の全てを持って、闇の力と対を為す光の力の種火となります。私の自我はおそらく失われ、ロランさんの一部になってしまうと思いますが、私の力を受け継いだロランさんなら、あのもう一人のあなたから肉体の主導権を奪い返せるはずです』
「ピーちゃん……いや、カリスト。どうしてそこまでしてくれるんだ。自分の身を投げうったところで何も良いことなんかないだろう」
『そうでもないですよ。私はロランさんの一部となって存在し続けることができますし、もしロランさんがこの世界を闇の眷属たちから守ってくれれば、その功績で天界に復活させてもらえることだってあるかもしれません!』
「そうなんだ。でも守るって言っても具体的にどうすればいいんだろう?」
『ディヤウスが創りかえたこの世界と彼によって生み出された全ての命が闇の勢力の者たちによって脅かされぬように、三悪神を倒し、彼らに連なる闇の眷属たちを全て滅ぼしてください。そのためにも≪魔世創造主≫アウグスの復活だけは何としても阻止しなければなりませんよ』
「俺にそんな大それたことできるかな?」
『できるかではなく、やってもらわなければ困ります。光と闇は決して相容れぬ存在。太古の昔から両陣営は絶えずぶつかり合い、相手の勢力を滅ぼさんと幾多の戦いを繰り広げ続けてきたのです。この≪カドゥ・クワーズ≫において今日のような事態に陥ったのも全ては光と闇の癒着によるもの。≪カドゥ・クワーズ≫の原初の創世神たる闇の神が、光の女神と恋に落ち、そしてあの四兄弟神が生まれました。上の三人は闇の神としての性質を持ち、ディヤウスだけが光の属性を帯びた。当然両者は折り合わず、神々の大戦の端緒となりました。いいですか、ロランさん。あなたは一人ではありません。我らが傭兵として雇った百七魔星や光に属する者たちと手を携え、目的を果たしてください。せっかく奪い取った光の版図を、闇に返すようなことがあってはならないのです』
「う~ん、俺にできるかな。 それに百七魔星は闇側の勢力に属しているんじゃないの?」
『確かに百七魔星は、元は闇より出でし魔王たちです。しかし、彼らは改心し、光の神々の序列に加わるため、様々な時代、場所を越えて研鑽を積み、闇と戦い続けている我らの同志です。闇の属性を持つ彼らが光の属性神へと昇華するためには、彼らを導く
この話聞かない方が良かったかも。
肉体の主導権は取り返したいけど、ピーちゃんの力を受け継いでしまったら、きっとこの訳が分からない抗争に完全に巻き込まれてしまいそうだ。
『ああ、もう時間がない。もっと詳しく説明したいところなのですが、外界でも危機が迫っているようです』
外界でも危機?
何か起きてるのだろうかとロランが体外の状況に意識を向けると、ロランの横たわる肉体の傍に誰かやってきた。
クー・リー・リンだった。
『あなたの同行者のようですが、今、あの者から発せられているのは悪意。あなたに対する仄暗い闇の感情のようです。急ぎましょう。ロランくん、短い間でしたが、楽しかったですよ。本当のことを言うと、まだ少しあなたに力を託して良いのか
ピーちゃんこと、カリストはそう言うと光の球体となって、ロランに向かって飛び込んできた。
仕方ないって言われるとちょっとテンション下がるけど、状況が状況だし、まあいいか。
力だけもらって、争いには関わらんでおこう。
光の球体はロランの中で輝きを取り戻し、そして全身に行き渡っていった。
気力というか、何か言葉にできない活力のようなものが湧き上がる。
そしてロランの中に、光と闇という相反する二つの属性が混じり合うことなく共存していることが感じられたが両者の比率はかなりアンバランスだった。
高橋文明がもともとロランが持っていた闇の大半を引き継いだ影響もあるだろう。
闇は太陽の黒点のように小さく、それに反して女神カリストから引き継いだ光はあまりにも強大であった。
やがてロランがいた内在的世界を表していると思われるこの場所の様相も変わり始めた。
ロランを取り囲んでいた闇が消え、どこまでも果てしなく続く白一色の地平が現れた。
闇は怯えた様に一所に集まり、そしてそれが高橋文明の姿になる。
高橋文明は力なく項垂れ、罪人のように光の檻に閉じ込められた。
ここで、肉体の方に意識が戻った。
全身に激痛が走り、疲労で身体が動かないことに気が付く。
高橋文明のやつ、こんな状態で戦っていたのか。
全身の筋繊維がズタズタで、関節が軋む。
骨もあちこち折れているようだし、とても起き上がれない。
恐らくだが、闇の浸食率が足りず、≪天魔王≫としての体が不完全だったため、出力に体が耐えきれなかったのではないだろうか。
「ロ、ロラン。お前が悪いんだ。いつも俺の前ばかり歩くから……」
もうクー・リー・リンが傍らに来ていた。
俺を谷底に落とそうと全体重込めて押してきている。
サビーナさんはこのことに気が付いていないのだろうか。
シーム先生でも誰でもいい。
クー・リー・リンを止めてくれ!
ロランは辛うじて動く指先で地面を押さえ、必死の抵抗をする。
「お、おい。リー、やめろ。身体が痛くて動けないんだ。こんな状態で川に落とされたら……、溺れて死んでしまう……」
ロランは息も絶え絶えで、かすれた声を出すのがやっとだった。
クー・リー・リンの瞳はもはや何も見てはいなかった。
返事も無く、ただ黙々と押し続ける。
「リー、頼むからやめてくれ」
体の三分の一ほどが崖からはみ出した辺りでようやく、クー・リー・リンはこっちを見た。
醜く歪んだ泣き笑いだった。
クー・リー・リンはトドメとばかりに精一杯の力で、ロランの体を谷底に突き落とした。
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