第276話 蜚蠊包囲包囲

真っ白だった部屋の壁は砕け落ち、辺りは闇に覆われている。


ロランは、力なく横たわるピーちゃんを掌に載せ、もはや畳一枚分くらいの広さしかない白く輝く床に座り込み、外の世界の様子を眺めていた。


高橋文明を名乗る前世の自分と瓜二つの男に肉体の主導権を渡してしまったので、もはやここから観戦を決め込むしかない。


サビーナさんにしたことや数々の恥ずかしい厨二病的なセリフには耐えがたいものがあるが、デカい口を叩いていただけあって実力は自分より上のようだ。


高橋文明は、ロランがどんなに頑張っても外せなかった≪緊箍禁縛輪きんこきんばくりん≫を簡単に外してしまったし、命を落としかねないほどの重傷をその操る闇の力によって、瞬く間に直してしまった。



どの道、死にかけて絶望的な状態だったし、これ以上事態が悪くなることは無いだろう。

危機を脱したら肉体を返してくれるという話であったし、 ここは藁にもすがる思いで高橋文明に託そう。



「ギィ、ギギッ。貴様、その幼さで、何という魔闘気を身にまとっている。やはり、ここで倒しておかなければ後々、我らの災いとなるは必定……」


魔蟲王フージョガはそう言うと巨体に似合わぬ素早さ踏み込むと、凶悪な魔力がこもった右の前蹴りを高橋文明に向かって放ってきた。


高橋文明はそれをいとも簡単に躱すとサビーナを抱えて、宙に逃れた。


魔蟲王フージョガの蹴りは空を切り、そのまま岩壁を砕く。


「あ、イテ~」


砕けた岩の破片が辺りに飛び散り、クー・リー・リンの頭にぶつかったようだ。

見るとそのつるつるの頭にぱっくりと傷が出来て血が出ている。


高橋文明の背には闇でできたエネルギー状の羽のようなものが生えており、それが浮力を発生させているようだった。

羽ばたいたりしているわけではないのに本当に不思議だ。


「あ、あん……」


高橋文明はサビーナさんの両脇の下から抱きつくようにして胸を揉みしだいた後、そこから少し離れた場所に静かに降り立った。


「あとでたっぷり可愛がってやるから、ここで少し大人しくしてろ」


サビーナさんは頬を赤らめながら、その言葉に無言で頷く。


あ~、自分の体なのにおっぱいを揉んだという感触が伝わってこない。

しかも何だろう。

なんかサビーナさんを取られてしまったかのような悔しさを感じる。


人のこと言えない気もするけど、その子供の中身は小汚いおっさんですよ、サビーナさん!


高橋文明は魔蟲王フージョガの前に飛んでいき、不敵な笑みを浮かべながら、かかってこいと挑発した。


その挑発に鬼気迫る形相になった魔蟲王フージョガが全力のラッシュを繰り出すが高橋文明にはかすりもしない。


「よくもさっきは俺様の大事な体を滅茶苦茶に痛めつけたくれたな。今度はこっちの番だ」


高橋文明はそう言うと地面に掌をつけニチャアと笑みを浮かべた。


蜚蠊包囲包囲ゴ〇ブリホイホイ!」


地面を掘り進んだ魔闘気が離れた場所に立っている魔蟲王フージョガの足元から出てきて、八本に分かれたかと思うと全身を縦縛りにするような動きでその体を締め付けた。


「ぐおおっ」


八本の鞭状になった魔闘気が魔蟲王フージョガの黒鎧を割り、肉に食い込む。

緑色の体液が噴き出し、辺りに飛び散る。


「うお~、汚ねえ~。これだから虫は嫌なんだよ。直に触って攻撃しないで正解だったわ」


高橋文明が本当に嫌そうな顔で吐き捨てる。


やっぱり高橋文明と名乗るこの存在もやっぱり俺の一部なのかもしれない。

俺もやっぱり虫が大嫌いだし、攻撃するにせよ、やはり直には触りたくない。


「テ、変身テランスフォーム!」


魔蟲王フージョガがそう掛け声をかけると襲来してきたときと同じ、ゴキブリに似た虫の形に変形した。


どうやら、こっちが本当の姿であるようで、体の体積が増し、さらに身にまとう魔闘気の量が増大した。


内側から無理矢理、蜚蠊包囲包囲ゴ〇ブリホイホイとかいう技の拘束を解く。


引きちぎられた八本の魔闘気の鞭は、飛び散った魔闘気の断片を引き寄せ回収しながら、するすると高橋文明の体に戻っていった。


なるほど、魔闘気にはこんな使い方もあるのかとロランは素直に感心した。

かつてロランが考えなしに放出したのとは違い、この高橋文明は体外で武器とした魔闘気をそのままにせずちゃんと回収している。


考えてみればシーム先生の魔闘気の剣も使い終わったら身の内に戻していたし、有限の生命エネルギーである魔闘気を無駄にしないのは当然のことのようだ。


「くそっ、せっかくゴキブリ野郎に相応しい新技を開発したのに……、空気読んで大人しく死んどけよ!」


高橋文明がいらいらしながら、吐き捨てたように言う。

さっきの蜚蠊包囲包囲ゴ〇ブリホイホイは、どうやら高橋文明が即興で生み出した技であったらしい。


「この……魔蟲の頂に立つこの魔蟲王フージョガを侮るなよ!」


怒気をはらんだ八つの瞳を赤く光らせ、再び突進してくる。


今までで最速のタックルだった。


人型の二本足では出せない四足歩行による初速。


本来、普通のゴキブリは六本ある脚のうち、常に三本の脚が地面につくように走るため、身体が非常に安定するのだ。


この魔蟲王フージョガは足が四本のため、その安定感は無いものの、異常に発達した太い足と接地している足の本数が倍になったことで格段の速度を実現した。


主人公がゴキブリを師匠にした格闘漫画が前世ではあったが、主人公が体得した技を魔蟲王フージョガが目の前で実践したようなものだ。


これには高橋文明も虚を突かれたようで、直撃をもろにくらう。


魔蟲王フージョガはそのまま、覆いかぶさるようにしてその鋭い大顎で高橋文明の首を食いちぎろうとする。


それをすんでのところで魔闘気を纏った右腕で防ぎ、渾身の力で下腹を蹴り上げる。


「くそっ、人生の初戦闘で戦うような相手じゃねえぞ」


地面を転がるようにして、魔蟲王フージョガの巨体の下から逃れ、すぐに体勢を整える。


高橋文明の消耗が激しい。

肩で息をしているし、汗もひどい。

それに先ほどガードに使った右腕はどうやら骨折したようだ。


高橋文明の≪天魔王≫としての体は酷く燃費が悪いように見えた。

スタミナ切れを起こしかけているし、強敵相手の慣れない戦闘で精神的にも消耗しているのかもしれない。




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