第120話 安らかに眠りたまえ

「幼子を救うために命を投げうつとは、まさしく≪剣聖けんせい≫、騎士の鏡でしたな」


「ああ、食えない爺さんだったが、散り際は見事だったぜ」


「シーム殿、あなたのこれまでの事績と共にこの美しい最後は後世まで語り継がれることでしょう。さようなら」


シーム先生が聖櫃せいひつの中に飛び込んでからしばらく経ったが、戻って来る気配はおろか、何の変化も無かった。

残された一同はシームの死を確信し始め、≪ヤッサラホイ≫で勝ち抜けできずにいた者たちは、箱の中身を確かめる役をやらずに済んでよかったと内心胸をなでおろしていたようだった。


「偉大なる剣聖シーム・リヒテナウワー、安らかに眠りたまえ」


その場にいた全員が聖櫃せいひつを囲み、黙祷もくとうをささげる。



「勝手に人を殺すな。たわけどもめ」


突然シーム先生の声が聞こえ、振り返ると大剣使いのダントンが後頭部に手刀をくらって、頭を押さえていた。


シーム先生は左手に抱えていたベアトリスを地面に降ろすと誇らしげな様子で顎髭を撫でた。


よかった。

どうやらベアトリスは怪我けが一つなく無事だった。


「それにしても、シーム様。どうやってあの箱の中から出られたのですか。我らは箱の前にいましたが、全く気が付きませんでした」


「ジョルジョーネ、百聞は一見に如かずじゃ。細かい説明など儂にはできん。それに、お前の知りたいことのすべてがあの箱の中にはあるぞ」


駆け寄るジョルジョーネの肩をポンと叩くとシーム先生は不敵な笑みを浮かべた。




シーム先生によるとあの聖櫃せいひつは別の場所につながっていて、中に入っても体には何も異常は見られなかったのだという。

中がどうなっていたかや、どうやって外に出たかについては聞かれてもニヤニヤと笑みを浮かべ、何も答えなかった。

皆を安心させるためであろうか、手本だとばかりに、シーム先生はベアトリスをお姫様抱っこしたまま、再び聖櫃せいひつの中に入り、その後、皆もそれに続いた。


ロランは聖櫃せいひつの中に一人また一人と消えていく様子を眺めながら考えていた。


どうしてみんな、そんなに簡単に聖櫃せいひつの中に入っていけるのだろうか。


脳みそが筋肉でできているかのような単純さである。

先ほどまであれほど嫌がっていたのに、無事に帰還してきたシーム先生の「大丈夫だいじょうぶだ」の一言で何のためらいもない様子だ。


箱の開口部かいこうぶは黒いもやのようなものがうごめいているし、どう見ても禍々まがまがしい感じがする。


正直、俺は行きたくない。


この聖櫃せいひつからは、嫌な予感しかしないのである。


シーム先生とベアトリスが怪我一つなく戻ってきたのを見て安心しているのだろうが、何せ魔物が大量に溢れ出てきた元凶かもしれない箱である。

危険ではないと考える方がおかしいのだ。


そもそもこの調査隊に同行すること自体、本当はあまり気が進まなかった。

自分が原因かもしれないこの一連の事件の真相を知りたい気持ちは当然あるが、魔物の発生源に自ら近づくなど正気の沙汰とは思えなかったのである。

おそらくだが、シーム先生に強引に連れ出されなければ、自分はこの場に来ていなかった。


国や人々を救うために真相を究明するというのはというのは素晴らしい任務だとは思う。

しかし、それは≪剣聖≫の呼び声高きシーム先生や貴族であるジョルジョーネにとってはである。騎士爵ワーゴンやその配下の騎士たちにしても国王に忠誠を誓っているわけだし、そのための職業軍人なのだから仕方ないと言えるだろう。


だが、俺は違う。


この高橋文明おれにそんなものを期待されても困る。


はっきり言って自分は場違いなのである。


俺は小説家になりそびれた、ただの中年ニートだったし、この異世界でも騎士の家の養子にはなったものの、今はただの六歳児だ。


正直、俺はこの聖櫃せいひつの中が恐ろしい。

もし、溢れ出た魔物の残りや例のリヴィウス神とやらがまだ中にいたら、みんなはどうする気なのだろう。


この場にとどまり、聖櫃せいひつの蓋が誰かに閉められないように見張ってましたっていう言い訳は通用しないのかな。



気が付くと頭の上にちょこんとまったカリストと自分一人だけが取り残されていた。


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