第18話

 一週間後、クリスマスの日に東京スカイツリーにてディナーの約束を取り付けた。


 そんな十二月十八日の薄暮。


 二人はそれからチケットの記載文や内容を確認した後、鍋の片づけをして解散した。


 表面上はごく普通の、親しい友人に行楽の誘いを受けた女学生を装いながら彼女を駅まで送り、そして帰宅をする頃には十八時を迎えようとしていた。


 冬の暮れは早く、外は既に真っ暗だ。


 家に戻ると、真っ暗な部屋に見慣れぬ電気毛布がソファに残っている。


 彼女が新しいものに買い替えるという理由で残していってくれたものだ。寒い部屋で大変だろうから、と。紗季は照明を点けるのも億劫に、つい先刻まで彼女と共に過ごしていたソファにドサリと倒れこむ。手を伸ばして電気毛布のスイッチを入れる。


 じんわりと温かくなってくる毛布を抱き締めながら、紗季は延々と脳裏を闊歩し続ける自己嫌悪の言葉と対峙する。『何で約束を取り付けた』『何で断らなかった』『自分が何者なのか忘れたのか』『お前は誰だ。誰の家族だ』よく聞き馴染んだ自分の声が詰問してきた。


 筑紫家の方々を傷付けないために、と、紗季は何も話さない道を選んだ。しかし、どう足掻こうとも自分は筑紫明人を殺害した麻薬中毒者の娘であり、全てを隠して友人のままでは居られない。しかし、それでも。けれども、彼女が傷付いた顔をするのは同じくらい嫌だから、彼女の誘いを引き受けた。


 ――それだけではない。


 そう、それだけではないのだ。


 紗季が若菜の提案を聞き入れたのは、彼女のためだけではない。綺麗な理由で表面を飾り付けただけで、その本質は自分の為でもあるのだ。彼女と触れ合った時、彼女と瞳を交えた時、彼女のすぐ隣で同じ時間を過ごした今日、内に眠る感情を紗季は知った。


 酷く跳ねた心臓と、彼女の誘いに沸き立った心がそれを裏付けていた。


 ――島津紗季は筑紫若菜に恋愛感情を抱いてしまった。


 明るく前向きで、真っ直ぐな彼女の生き様に惹かれ、憧れていた。


 そして、それは決して抱いてはいけない感情だ。同性間での感情であることは令和初期の日本社会においてそう大きな問題にはならない。何よりもこの関係を否定するのは、島津紗季が、かつて白崎紗季であったことに他ならない。


 紗季は心臓に針金が巻き付いたような感覚を覚える。心拍の度に鈍い痛みが胸を襲い、締め付けられるような苦しさを抱く。その度に彼女の置いていった毛布を抱き締めると、痛みが和らぐような感覚がした。


 彼女は自身を大切な友人と呼んでくれた。


 けれども、紗季は彼女に抱いてはいけない感情を抱いた。


 幸福とは――多様であるべきだ。しかし、恋愛感情を抱いた相手と結ばれる行為は、恐らく多くの価値観において幸福なことだ。他でもない白崎紗季が、筑紫若菜との関係において幸福になっていい道理が無い。たとえ彼女の為にと友人関係であることを甘受していたとして、その先に進むことだけは許されない。


 この感情は、ここで終わりにしなければいけない。隠さなければいけない。


「……若菜さん」


 彼女の顔を思い出す度に、その後ろに筑紫明人の遺影が映り込む。


 先日に面会した父親の顔が過る。何も知らず、笑みと共に自分を受け入れてくれた筑紫家の面々を思い出して、紗季は激痛を胸に覚えた。唇を噛み締めるも堪え切れず、双眸から涙がじわりと浮かぶ。弱々しく小さい嗚咽と共に「若菜さん」と彼女の名を呼んだ。


 この世で最も卑劣な屑だと自身を罵り、自傷行為の衝動に駆られる。


 島津紗季がこの世で誰よりも嫌うのは、他でもない島津紗季だった。


 ――クリスマス。スカイツリーでのディナーデート。


 彼女と過ごす時間が楽しみな反面で、決して、この感情を表面に出してはいけないと自身に釘を刺す。あくまでも自分と彼女は友人関係で、今も、これからも、何一つそれを変えずに過ごしていく。


 そう自分に言い聞かせる傍ら、紗季の脳裏に過ったのは、手首を握った時に感じた激しい脈拍と、頬を染める彼女の顔。そして、触れあった指先の熱さ。


 それらからは目を背け、きっと、彼女も自分を友人だと思ってくれている筈だと、そう言い聞かせる。この関係は、ここから先には進ませない。


 この恋は、隠さなければいけない。

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