第13話

 ――途端、鈍い音と共に画面に血飛沫が散る。


 つい数秒前まで怪奇現象を打倒して暖かな家族が演出されていたホームビデオはそこで途切れる。寸前に映ったのは、物語の主人公役だった次女が血で錆びた鉈を持った姿だ。そんな衝撃的な結末を目撃した紗季は、臓腑が委縮するような恐怖を感じて震えあがる。


 つまり、親友の死に涙を流しながら犯人への断罪を願った悲劇のヒロインは、実は自分の凶行で泣いただけの猟奇殺人者であった訳だ。


 そんな考察を巡らせて背筋が冷たくなる紗季。


 ふと、若菜はどんな反応をしているのかと、ソファの隣に座っている若菜を見る。しかし、先程までは確かに居たはずの若菜はそこには居ない。「あれ?」と先程のホラー映画を思い出しながら彼女の姿を探そうと振り向いた瞬間、吐息が耳を撫でる。


「わっ」

「うわぁぁっ!?」


 いつの間にか紗季の背後に忍び寄っていた若菜が、紗季に高い悲鳴を上げさせる。


 あまりにも古典的な驚かせ方ではあるものの、あまりにも効果的な一撃に、紗季の心臓はバクバクと生命の危機を訴えるように警鐘を鳴らし、目を見開いて絶句して、心臓を押さえ続ける。言葉を紡ぐ余裕も無く、ただ若菜を見詰めるしかなかった。


 そんな瞳を糾弾の瞳と解釈したらしい若菜は、あまりの驚き様もあってにこやかな笑顔に幾らかの焦りを浮かべるも、「……ごめ!」とお茶目に笑う


 そんな気の抜けた謝罪を聞いた紗季は、胸を撫でおろして呟いた。


「……見たがってたの、若菜さんじゃないですか。最後まで楽しみましょうよ」

「いやぁ、映画の楽しみより脅かす楽しみの方が先行しちゃって」


 機嫌を取るようにチョコ菓子の袋を差し出してくる若菜。それに流された訳ではないものの、紗季は留飲を下げて「……いただきます」と一つまみだけ貰う。


 若菜も菓子を一つ取りながら、「でも、楽しかったね!」と、本当か否か判断に悩むような感想を語る。しかし、彼女は適当な嘘を吐くような性格ではなく、途中まで、若菜の様子を窺っていた紗季は、それが嘘でないと確信できた。


 若菜はテレビに接続していたスマートフォンを手に取ると、上機嫌に鼻歌をこぼす。


「次はどうする? アクションでも観ようか?」


 次の映画を見繕う若菜だったが、紗季は時計を一瞥して申し訳なさそうな顔をする。


 夕刻、紅葉の帰宅から二時間の家庭教師に加えて、夕飯、そして映画を一本。時刻は二十一時を過ぎようとしている。もう一本も見たら、帰る頃には日付が変わってしまいそうだ。


「いえ、そろそろ良い時間なので、お暇しようかと」

「えー!? もう少しだけ居ようよ、帰りは送っていくからさ」

「そう言われましても、あんまり遅いと危ないですから。お互い」


 紗季がそう言い宥めると、若菜は少しだけ未練がましそうにしながら「じゃあ、泊まって行ったりとか……明日土曜日だし」と食い下がる。紗季は苦笑をしながら「着替えが無いですし、迷惑でしょうから」と丁重に断った。


 少しだけ悩ましそうに瞳を瞑って唸った若菜だったが、仕方がないと悟ったようで、溜め込んだ空気を吐き出して頷いた。


「……分かった。分かりましたー」


 心底残念そうにしながらも引き下がる若菜に申し訳なく思いつつ、紗季は「すみません、ありがとうございます」と配慮に感謝した。手早く身支度を整え、帰宅の準備を進める。


 そんな紗季の傍らで、若菜も防寒着を羽織りだす。どうしたのかと彼女を見れば、「送っていくよ」と笑った。断ろうかとも思ったが、厚意を受け取ることにした。


「そういえば、紗季ちゃんの家ってどの辺りにあるんだっけ?」

「ここから駅で四つです。そう遠くはないですね」

「乗り換えは?」

「ありません。一本で」

「素晴らしいね」


 何がかは分からないがお褒め頂いて光栄だった。


 それから、紗季よりもずっと早く身支度を整えた若菜は、不意に紗季へと静かに視線を投げる。何かを伝えようとする意志の感じられる視線に紗季が目を返せば、彼女は口を開く。


「あのさ、今度、紗季ちゃん家に行ってもいいかな?」

「……私の家ですか?」


 紗季は驚きに目を見開く。急な申し出だった。


 数秒だけ思案するも、特に断る理由は無かった。秘密は多くても、家に隠したいものなど無い。暖房も無し、真冬は人様を呼べるような環境ではない反面、門前払いをするのも憚られる。嫌ならば帰るだろう。何よりも、彼女の家に邪魔しておいて、自分の家には来るな、等とはとてもではないが言えなかった。


「断る理由はございませんけど……寒いですよ? 暖房無いので」

「え、この時期に?」

「寒いので毛布にくるまって寝てます。エアコンどころかストーブも電気毛布、電気カーペットも無いので、正直、人様をお招きできる環境ではないかと」


 どこか申し訳なさそうに告げれば、わーお、と若菜は驚いた様子だった。


 彼女は悩むどころか紗季を案じるような視線を向けてくる。


「あの、そろそろ電気カーペット買い替える予定だし、あげようか?」

「捨てるくらいなら頂きたいというのが本音ですけど、寒さには慣れているのでお気になさらないでください」


 「じゃあ、捨てる時に連絡するよ」と若菜は笑う。有難い限りだったが、この話のせいで買い替えが早くなったら非常に申し訳ない限りだった。それでも、有難いことには変わりなく、紗季は「すみません」と謝意を告げた。


「まあ、寒さは気にしないよ。住むのは辛いかもだけど」

「そういうことでしたら、是非いらっしゃってください。ただ――あの、家には娯楽になりそうなものが小説以外に何も無くてですね、凄く退屈かもしれません」

「テレビとか観るだけでも楽しいよ!」

「テレビも無いんです」


 若菜は額を押さえながら呻いた。紗季も額を押さえ、申し訳ない気持ちを抑えた。


「いえ……若菜さんを招きたくないということではないんです。私も本音を言えば、ここまで良くしてくださる貴女に、できる限りのお返しをしたいと思っています。腕を振るって料理をご用意させていただきたいな、とか考えています。しかし、ロクにもてなせないのが我が家の現状で……申し訳ないです」


 繰り返して謝意を告げる紗季だったが、若菜はそう易々とは折れない。


 腕を組んで思案していた彼女は、しばらくして何かを決意したように頷く。「よし!」と言うや否や、笑みを浮かべて拳を握った。


「鍋パをしよう!」

「……なべぱ?」


 聞き慣れぬ単語を耳にした紗季は、懸命にその言葉が示す意味を頭の中から見つけ出し、それがポット・パーティーの意味であることに気付く。「鍋パですか」と何食わぬ顔で得心した素振りを見せた紗季に、「家から持って来る」と若菜は頷いた。


「いいこと尽くめなんだ! 先ずは温かいでしょ、次に食事を取れる。そして美味しい鍋を囲みながら私のスマホで映画を観れば楽しい!」

「お、おお……!」


 何やら急に魅力的な話に聞こえる。


 確かに、コンセントなら紗季の家にもある。彼女がグリル鍋を持ってきてくれるのなら、あとは材料さえ揃えればいい。現実味を帯びてきたご馳走の話に、腹の虫が鳴きそうだった。


「いいですね、鍋。この冬にはとてもよく合いそうです」

「でしょ!? 鍋パしようよ、前から友達とやりたかったんだ」


 彼女が『友達』と呼んでくれることを嬉しく思う反面で、ずきりと胸が痛んだ。


 けれども、痛みには慣れて笑みを取り繕うことは得意になっていた。紗季は微かに拳を握りしめ、そっと力を抜いて心に平静を取り戻す。


「それなら冬の寒さも堪えられそうですし、是非そうしましょう。そうと決まれば、詳細な日程についてですね。材料の方はこちらで揃えておきますので」


 そう言いながらスマートフォンのカレンダーアプリに予定を記入しようとする紗季だったが、ええと、と試行錯誤するのも束の間、若菜が待ったをかける。


「いや、材料は私が用意するよ。お家に上がる訳だし」

「い、いえいえ、今回の鍋パーティーは日頃からお世話になっていることへのお返しという側面もありますので、そこまでご迷惑は掛けられないです。私が用意を」

「いやいや、経済的に大変だって言ってる人の家に上がり込んで飯まで用意はさせないよう。そういう話になるなら、私だって抗戦の意を辞さないよ!」


 今回ばかりは互いに折れるつもりが無いようで、若菜はむ、と頬を膨らませながら紗季と対峙する。対する紗季も、どう説得するべきかと思案する。――彼女からの誘いを断るのは、彼女を傷付けかねない行為だ。厚意を無下にするのは、礼に失する。


 しかし今回は、そのどちらでもない。故に紗季は譲れなかった。


「別に、紗季ちゃんのそういう境遇を哀れんだりしてる訳じゃないんだよ。でもさ、私は紗季ちゃんと遊びたいし、長く付き合っていきたいと思ってる。大変だっていうのは理解してるからこそ、友達の負担になる行為は避けたいんだよ」

「私は……遠慮はする性格ですけど、本当に困ることは素直に言います。現に、今日だって若菜さんの頼みを断って早めに帰ると言いました。負担だなんて思っていません」


 正論を突き付けられた若菜は、ぐぬぬと悔しそうに唸る。


「……じゃあ、半分は出す」

「いえ、私が用意します」

「折れないな!」

「折れません! 今回は!」


 徹底的に主張を崩さない紗季を前に、先に折れたのは若菜だった。


 彼女は悔しそうにしながら「なんでだよぉ」と弱々しく漏らす。


 そんな彼女に罪悪感を抱きつつも、紗季は小さな嘆息を漏らすと呟いた。


「私の気持ちも考えてください」


 その言葉に、若菜は言葉を詰まらせる。そして、怒らせてしまったかと不安に駆られたような表情を見せるが、その不安を払拭するように紗季は微笑んで続ける。


「若菜さんが私と友人で居続けたいからと言ってくださるのは嬉しいです。でも、それは私だって。私も、初めての友達を大切にしたいんです。確かに経済面に余裕は無いですけど、片方が片方に頼りきりの関係は健全じゃないですよ」


 そう言うと、若菜は少しだけ申し訳なさそうに眉尻を下げる。


「……迷惑だった?」

「いえ、気持ちは確かに受け取りました。凄くうれしいです」


 紗季がそう告げて笑えば、若菜は安堵をする。


 嘘ではない。彼女が自分のことを考えて色々な提案をしてくれていることは、とても嬉しかった。だからこそ、返さなければいけない気持ちもあるし、それに頼りきりではいけないという思いもある。何よりも――自分と彼女の本質的な関係が、加害者家族と被害者遺族という関係性が、毒のように紗季を蝕んでいるのだ。


 本来は償うべき立場である自分が、彼女から多くの物を貰い続けている。


 その現状を少しでも改善するための手段でもあるのだ。その為なら、自分の生活など投げ捨てるだけの覚悟はあった。無論、微かでも匂わせれば彼女は気付きかねない。そんなことは少しも表面には出さない。


「若菜さんを大切に思っている気持ちを分かってください――ってことです。若菜さんだって、友人から一方的に何かを受け取り続けたら、返したいって思うんじゃないですか?」

「……思う」

「私も、そうしたいんです」


 どの口で抜かしているのかという自嘲が頭の中で囁く。


 若菜はむむむと唸りながら瞳を瞑って、溜息と共に頷いた。


 ほんの少しだけ元気を取り戻した、けれども申し訳なさそうな笑みを浮かべる。


「分かった。ごめんね、けっこう自己満足に浸っていたのかも」

「そんなことないです、私を想ってくださっていたのは分かります。寧ろ私こそ、普段から色々なものを貰ってるくせに、意固地でごめんなさい」

「ほんとだよっ、まさか私が折れることになるとは」


 頬を膨らませてそっぽを向く若菜。場を和ませてくれているのだろうなと気付いた紗季は、声を出して笑う。そんな紗季を見て、少しだけ嬉しそうに若菜も笑った。


「それじゃあ、そろそろ私は失礼します。詳細な日程は後日」

「うん、駅までは送っていくよ」


 紗季は頃合いを見て帰宅の意を示し、若菜はそれに同行する。

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