じぬしじぬされ生きるのさ

 目覚めると外は春らしいいい天気だった。清々しい気分で窓の外を眺めていた若地主だったが、昨夜のことを思い出して少し憂鬱になった。

「じぬしっ!」

 むしゃくしゃした気持ちで枕を壁に叩きつけ、若地主は自室を出て朝食のため食堂へ向かった。屋内移動用のセグウェイに乗り食堂を目指した。

「じぬし。」

 食堂には父地主がいて挨拶をしてきた。母地主の姿は見えなかった。母地主は早起きなので家のどこかで家事をこなしているのだろう。

「じぬし…。」

 若地主は小声で応じると、食卓の自分の席に腰かけた。

「じぬしじぬしじぬしじーぬしじぬしじぬしじぬしじっぬし。」

「じぬしじぬし…」

 父地主から昨夜の件だが学校には行く気にはなったか、と言われ若地主はよくわかんないと応じた。

「じぬしじぬしじぬしじぬしじぬしじぬしじぬーしじぬしじぬしじぬしじーぬしじぬしーじぬし。」

 自分が子供の頃は自宅学習なんかなくて幼稚園から他の子たちと一緒に通っていたと父地主。若地主は頬を膨らませ下を向いて黙っている。

「じぬしじぬし、じーぬしじぬしじぬしじぬしじぬーしじぬーしじぬしじぬしーじぬし。」

「じぬしっ!」

 若地主の意思とは関係なく高校に行くことは決定事項だと父地主。そんなぁと若地主。

「じぬしじぬし。」

「じぬしっ!」

 明日からだと父地主。そんなぁと若地主。

 運ばれてきた朝食に手を付けながら、二人は無言だった。若地主の大好きな焼き鮭に具沢山の味噌汁だったが、放心状態のままただ機械的に箸を進め、気づいた時には空の茶碗を持ったまま箸で空気を運び空気を咀嚼していた。

 父地主も同じ状態だった。これまで我が子の厳しく接したことのなかった彼は気付いた時には大理石で出来た食卓に歯を立てていた。

「じぬし。」

 若地主はご馳走様を言うと、食堂を出て庭へ出た。広大な広さの庭に敷き詰められた芝生が青く太陽を反射して目が痛いくらいだ。

 若地主は芝生の真ん中まで歩くと仰向けに寝転がり空を仰ぎながら大きなため息をついた。春風を頬に感じながら目を閉じていると顔に生暖かい息を感じた。目を開けるとキツネ色をした柴犬が若地主の顔のそばでハァハァとしていた。その傍らには使用人の中で一番長く仕えている山中の姿もあった。

「若が元気ないからこの子も心配しているみたいですぞ。」

 山中は若地主が物心つく頃にはもう地主家に仕えていた。若地主が悩んだりつらい時にはいつも慰めてくれたひとだ。

「明日から学校に行くんですよね。初めての事に挑戦したり、環境が変わるのは誰でも不安になるものです。」

 山中はいつもの優しい目で若地主を見つめながら言った。

「山中も不安になることはあったの?」

 そう聞き返す若地主。父地主と二人きりの時以外は普通に話すようにしているのだ。

「はい。最近はもうなくなりましたが、若い頃故郷から一人都会に出た時はもう不安で仕方なかったですし、この地に至るまで色々と転々としてきたんですが、その度不安でした。そして地主家にお仕えするのが決まった時は三日くらい前から不安でほとんど寝れないくらいでしたぞ。」

「山中でもそんな時期があったんだね。でも地主はちゃんと友達ができるかどうかが一番心配なんだ。今まで友達なんてできたことないからさ。」

 若地主の一人称は「地主」だ。

「若には友達はもういるじゃないですか。うちの息子は若の事は友達だとおもってますぞ。同じ学校に通えることを知って大喜びしてましたし、この子だって若の友達でしょう。」

 山中は柴犬を撫でながらそう言った。山中の息子はたまに地主家の豪邸にきて若地主と一緒に遊んでいた。若地主はクソ野郎と呼んでいたが本名は知らない。明日から通う高校がクソ野郎と一緒だと知って若地主は少し心が軽くなった。

「そうかぁ。地主にも友達がいたのか。お前は地主の友達だぞ。」

 若地主はずっと彼の顔を眺めている柴犬に向かってそう言った。

「ワン!」

 柴犬が嬉しそうに答えた。

 

 その柴犬が地主家に来た時のことを若地主はよく覚えている。

 若地主は家庭学習をしているといっても、昼過ぎにはいつも暇になってしまうし、土日祝日は勉強も休みなので家族でお出かけ以外は家で過ごす他なかった。父地主はどんな仕事をしているかわからないが日中はどこか出かけるか書斎に籠りっぱなしで、母地主は使用人たちに任せっきりにせずにちゃんと家事をする人だから広い家の中で会わない日もあるくらいだ。山中が暇な時には一緒に遊んでくれていたが山中にも仕事はあるし、クソ野郎は週に1,2度遊びに来る程度だったので、一人で過ごすほうが多かったのだ。幼い頃から自分専用の砂場で遊んでいた若地主は12歳の頃には世界遺産レベルの建造物を一時間もあれば作れるようになっていたし、一人フリスビーも極めて自分で投げたフリスビーを自分で捕れるようになっていた。

 そんな若地主を見ていた山中が父地主に提案してうちにやってきたのがこの柴犬だ。ある日、山中に見せたいものがあるからと言われ庭に出た若地主を待っていたのがまだ子犬の柴犬だった。初めて見る景色に戸惑っているのか不安そうに辺りを見回していた。

「若、新しいお友達ですぞ。」

「トモダチ…?」

 若地主は恐る恐るその子犬にてを伸ばしてみた。子犬は若地主の手の匂いを嗅ぐとぺろっと舐めた。若地主が頭を撫でると尻尾を振って少し嬉しそうにしているようだった。

「仲良くできそうですな。では、この子の名前を決めてあげましょう。」

「名前かぁ。どんなのがいいかな?名前なんて考えたことないからわかんないよ。」

「一派的には自分の好きな作品のキャラクターから拝借したり、見た目から連想させるものから名付けたりするもんですぞ。」

「好きな作品のキャラクターかぁ。伊庭三等陸尉とか、菊池一等陸士とかかな。」

若地主には戦国自衛隊しか思い浮かばなかった。

「それは長すぎるし、このかわいい見た目に似合わないでしょう。見た目から連想してみてはどうです?好きな食べ物を連想して付ける人も多いようですよ。かわいいのだとショコラとかマカロンとか。」

「好きな食べ物かぁ。」

キツネ色の子犬を見て考えていた若地主はそこでピンときた。 

「決めた!この子の名前はビーフストロガノフだ!ビーフストロガノフ!いい名前でしょ?」

「まあ、覚えやすいし、若らしいいいネーミングだと思います。」

「よし、今日からお前はビーフストロガノフだ!見てよ!山中!ビーフストロガノフって呼ばれてすごく嬉しそうにしてるよ!」

その時からビーフストロガノフと名付けられた子犬は二人のやり取りを眺めながら糞をしていた。


 ビーフストロガノフが地主家に来てから若地主の寂しい時間は無くなった。若地主の表情に明るさの戻った若地主を見てみそも嬉しそうだ。

「若なら他にもたくさん友達できますよ。それに誰でも初めては怖いし不安なものですよ。みんなが通る道ですし、世の中ってそんなに辛い仕組みにはできてないものです。どんなに弱い人間でも不安を通り過ぎれば『なんだ。こんなもんか』で終わるもんですよ。」

「ワン!」

 山中の優しい言葉と何を伝えたいかわからないビーフストロガノフの鳴き声に若地主の不安はほとんど薄れ、何とかなると思えるまでになっていた。

「天気もいいですし友達と遊んで気分転換しますか?」

 山中の手にはフリスビーがあった。若地主は山中からフリスビーを受け取った。

「ビーフストロガノフ、フリスビーやるぞ!取ってこい!」

 力いっぱいフリスビーを投げる若地主。飛んでいくフリスビーを見て全力で追いかけるビーフストロガノフ。フリスビーが減速したタイミングでビーフストロガノフがフリスビーに向かいジャンプした。しかし、その瞬間ものすごいスピードで走ってきた若地主に先にキャッチされてしまった。

「やっぱり友達と一緒に遊ぶのは楽しいね。ビーフストロガノフ!」

「ワン!」

 若地主は犬の歯形の一切ないきれいなフリスビーをもう一度力いっぱい投げた。 




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