第1章 聖都陥落編

第0節 懐かしき記憶

俺は、ある日の夢を見ていた。その夢は、俺が5歳の時にジィが親族の反対を押し切り俺を引き取った日の夕方の出来事だった。


「なぁ蛍? お前本当に俺の所に来てよかったのか?」


ジィは歩きながら俺の方を向いて、話しかけた。

おそらくジィは、俺の意見を訊かないまま決めてしまったから心配しているのだろう。ジィの顔は神社で見せた時と同じで険しかったが、同時に緊張している様にも見えた。


「・・・」


俺はあの時、ジィに対して緊張していたから言葉を返すことも頷くことも出来なかった。でも俺は、ジィの事は信用出来る人だと直感で理解していたから恐怖の感情は無かったし、あのまま親戚の所にいても飼い殺しにされるだけだったから寧ろジィが俺を拾ってくれて嬉しいとさえ思っていた。だからこの緊張は、俺に優しくしてくれるジィにどうやって接すればいいのか分からないから緊張していた。


「そうか。おれに対して恐怖を抱いている訳ではないんだな・・・純粋におれとどう接すればいいか分からなくて緊張しているのか。」


俺が心で思っている事をジィは、的確に当ててしまって俺は驚いた。

そんな俺の反応を見たジィは、今までの険しい顔から一転穏やかな顔に和らいだ。


「ククッ。やっぱりそうだったか。そういう所も母親とそっくりだな。うん。改めて見ると目元なんて特にそうだ。」


俺は更に驚いた。俺とジィは正確に言えば、血のつながった親戚では無い。最初に拾ってくれた親戚の弟の奥さんからお義母さんの叔父の親戚と、どんどん親戚を盥回しにされてジィの所に辿り着く時にはもうすでに血筋がまったく無い他人と言っても過言ではない状態になっていた。

だからこそ、ジィが俺の母親と面識があることに驚きを隠せなかった。


「なっ・・・なんで・・・知ってる・・・の・・・」


俺は何か月も使っていない喉を声を使って訊いた。しかしその声は、音量は小さく、掠れ切っていたから聞きとれなかったかもしれない。

でも、ジィはちゃんと聞き取って答えてくれた。


「・・・それはおれが、蛍の母親。霧島玲香の育ての親だからだ。」


ジィが告げたのは、頭を鈍器で殴られたかの様な衝撃を受ける程の事実だった。

ジィは更に顔を和らげ、やさしく言葉を紡ぐ。


「玲香は元々、麓の街に住んでいたんだ。でも、玲香の親は人間の屑の様な奴らだった。暴力や暴言は当たり前。雪が降るほどの寒い日でも、しつけと称して薄着のままベランダに何時間も出されていた。玲香の体はどんどんやつれていき、見るに堪えない状態だったんだ。そこで俺は、毒親から玲香を引き剝がして夜桜神社で育てることにしたんだ。蛍と同じぐらいの年のことだったかな・・・」


ジィの瞳は俺を映しているが、ジィには俺では無く母親が映っているのだろう。

ジィの顔には嬉しさと懐かしさを滲ませた表情を浮かべる。


「それで時は過ぎ、玲香が十八歳の時。お腹に蛍を身籠った。その時は本当に嬉しかった。玲香はやっと幸せを掴むことが出来るんだと、その時はそう思ってた。でも蛍が産まれる2ヵ月前に父親が交通事故で亡くなり、玲香も蛍を産むと同時に力尽きて亡くなってしまった。そして産まれた蛍も誰かに連れ去られて行方が分からなくなってしまったんだ。おれは蛍の行方を必死に追ったが見つける事は出来ずに、五年が過ぎてしまった。玲香を亡くし、形見でもある蛍を見つけられなかったおれにとって五年という年月はあまりにも長く感じられた。」


俺は物心ついた頃から、親戚が本当の親ではない事を言われ続けて育ってきた。本当の親ではないのだったらじゃあ本当の親は誰なの、って訊くのは至極当然のことだと思う。


でも、誰も教えてくれなかった。正確に言えば誰も知らなかったんだ。いつの間にか玄関の前に赤ん坊の俺が置いてあったから、誰が親なのかは知らないのは当たり前のことだろう。

俺のルーツとなる母親の事を知らない俺にとって、ジィの話はまるで自分の事の様に感じられた。


「今年もいつもの親戚一同の宴会があったが、本当は俺は参加する気はなかったんだ。でも親戚の一人が、結婚した相手の連れ子を連れてくるからということで仕方なく参加することにしたんだ。そしてその連れ子こそが、蛍だったんだ。おれは最初、蛍が玲香の子の蛍だとは気付いていなかったんだけど蛍と目が合った時に、おれの頭に電気の様な衝撃が走ったんだ。この子は玲香の子だ、ってな。その時はまだはっきりとした確証はなかったけど、蛍を連れてきた親戚に話を聞いている内に直感は確証に変わった。だからおれは周りの反対を押し切って蛍を引き取ることを決めたんだ。」


この時のジィは燃え滾る炎の様な決意に満ち溢れていた。


「もう離さない・・・何があったとしてもおれはもう、蛍を絶対に離したりしない!」


当時の俺はまだ分からなかったが、おそらくジィは俺のいない五年間、何事にも手がつかない、まるで抜け殻の様な生活を送っていたのだろう。

他人の子である母親を必死に育てあげたジィ。その母親が命を懸けてを産んだ孫が行方不明になって探し続けてようやく見つけ出すことが出来たジィが感情を抑えられる訳がなかった。


「だから蛍・・・改めてだが、おれと一緒に暮らさないか?」


ジィは真剣な眼差しで俺を見た。

今まで俺は誰にも優しくされてこなかった。誰にも必要とされてこなかった。そんな俺が、ジィの俺への熱い激情を見て嬉しくない訳が無かった。


「うん・・・僕は・・・おじいちゃんと一緒に暮らしたいよ・・・うっ・・・うわぁぁぁぁん。」


俺は胸の奥から溢れ出す思いを抑えきれず、ジィに抱きつき胸の中で涙を流した。

もう叶わないと思っていた、手塩に掛けて育てた愛娘の形見である孫に再会することが出来たジィも歓喜の涙を流していた。


「ありがとう・・・ありがとう・・・これからよろしくな・・・」


俺とジィの五年間の生活は、夕日に照らされて黄金色に輝く稲穂の海原に包まれながら、幕を開けた。

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