12/02 : サンタクロースの孫娘

 月も変わって十二月。少しずつ年末の気配が近づいてきて、今年最後のセールだ追い込みだ、と何かと慌ただしい。基本的には最初の波さえ乗り越えてしまえばあとはコードフリーズに入るから、人事を尽くして天命を待つばかり。


 何しろ男手一つで子供を育てるのはなかなかにハードな世の中だ。一応理解のある上司のおかげである程度時間は融通を効かせてもらっているが、この先を思えばキャリアは保持しておきたい。そうなってくるとなかなかのんびりしているわけにもいかないのが実情だ。


 仕事が一段落したところで、時計を見るとすでに昼に差し掛かっていた。リモートワークのおかげで合間に家事を片付けられるのはありがたいが、会議が続くとどうしても自分のことは後回しになりがちだ。次の会議の時間までを考えると昼食の準備もままならない。とりあえずインスタントのコーンスープでも飲んでおくかと電気ポットにスイッチを入れた時、ピンポーンと聞き慣れた間伸びしたチャイムが鳴った。


 今日は宅配が届く予定もない。何だろうかと首を傾げながらインターフォンに出ると、見慣れた顔がディスプレイに映っていた。慌てて玄関先に出て扉を開けると、向こうも驚いたように目を見開く。

「え?」

「え……って」

「何で何も言わずに扉を開けるんです? 不用心にもほどがないですか?」

「何でって、さくさんだし」

「You overestimate me」

「朔さんこそ too underestimate、ですよ。そういえば英語の試験は大丈夫でしたか?」

「……おかげさまで」


 大学の授業でスピーキングのテストがあるとかで、日頃、なんだかんだと世話になっている礼も兼ねてまるまる一週間ほど簡易な英会話レッスンに付き合ったのが先週のこと。


「で、何か用があったんじゃないんですか?」

「用というほどじゃないですけど」

 言いながら差し出されたのは白いプラスチックのタッパーだった。

「どうしても何だか急にたまごサンドが食べたくなって、でも作り過ぎちゃったから、よかったらどうぞ」

「マジすか、昼飯抜きを覚悟してたんで助かります」

 思わず満面の笑顔になった彼とは対照的に、隣人はあからさまに眉根を寄せる。その理由を悟って慌てて手を振る。

「あ、いや言葉の綾です。ちゃんと食事は——」

「言い訳はいいのでちゃんと食べてください」

 どうせ時間ないんでしょう、と声は平静なのに不穏さをかぎ取れてしまう程度にはもう親しい間柄だ。

「よかったら、コーヒー淹れるんで、ちょっと息抜きに付き合ってもらえますか?」

「時間は」

「コーヒー淹れて、美味しそうなサンドイッチと一緒に食べるくらいは」

 ドアを開けて中に促すと、ほんの少しだけ何かを考えるように首を傾げたけれど、そのまま足を踏み入れて、きちんと靴を揃えて買って知ったるふうにリビングへと進んでいく。その背中を見送って、キッチンでコーヒーを淹れてからテーブルに置く。


 タッパーを開けると、綺麗に整えられた黄色いたまごサンドがみっちりと並んでいた。

「シンプルっすね」

「きゅうりとかいらなくないです?」

「あ、それは賛成」

 いただきます、と手を合わせてから口に運んだそれは、程よい塩気とマヨネーズ、それから胡椒の風味のバランスがいい。

「あ、好きな味です。それにすげー朔さんぽい」

「何ですかそれ。地味ってことですか?」

 ほとんど表情は動かないのに、ほんのりと不満げなのがしっかりと伝わってくる。思わずくつくつと笑うと、さらに不穏さを増したから、もう一つサンドイッチを手に取りながら、笑って頭を下げる。

「違うよ。シンプルでまっすぐで、安定的ステーブルな味がするってこと」

「素朴ってことです?」

「いい意味でね」

「……なら、いいですけど」

 口を尖らせた顔は、いつもよりは表情がはっきりしていて、だからきっと機嫌は治ったのだろうと内心でほっと胸を撫で下ろす。そうして改めて目の前の相手を眺めて、ようやくそれに気づいた。

「珍しいすね」

「何が?」

「その色」

「……ああ」

 普段はいつも黒や茶色といった暗めのトーンのトップスに、赤いパーカーを羽織っているのだが、今日は水色のチュニックに、黒いスパッツを合わせている。チュニックには白い縁取りがいくつもあって、雲まじりの冬の空のように見えた。

「ああ、これ。今日はこのあとボランティアにいくんです」

「ボランティア?」

「そう。子供たちの前で劇をすることになって」

「へえ」

「……断れなくて」

 でしょうね、とは心の中でだけ頷いておく。

「どんな劇なんです?」

「ロシアのサンタクロースには孫娘がいるって知ってます?」

「え、そうなんですか?」

「元々はスラブ民話とからしいですけど。スネグーラチカ——雪の娘と呼ばれていて、最後は溶けて消えてしまうんですが」

「そりゃまた悲しいお話ですねえ」

「まあ、そうですね。でもとりあえずはプレゼントを配ってくれるお姉さんとして有名だそうですよ」

「へえ。国も変われば色々変わるんですね」

「そうですね」

 そんな話をしているうちに、スマートフォンで通知が鳴る。会議まであと五分。

 聡い視線を受けて、残りのサンドイッチを遠慮なくいただいて、コーヒーを飲み干すと、それを見届けて満足したのか、朔がタッパーを持って立ち上がる。

「あ、洗ってお返ししますよ?」

「却って手間になっちゃいますから」

「じゃあお言葉に甘えて。ご馳走様でした、ほんと美味かったです」

「いつもそんなに出せるわけじゃないんで、ちゃんと食べてくださいね」

「肝に銘じておきます」

「……耳タコです、それ」

 珍しくふわりと笑って言ったその表情に、思わず目が惹きつけられる。普段あまり表情が動かない分、そうした柔らかい表情は余計に——。

「何です?」

「いや別に」

 玄関先まで見送って、ドアを開けると冷たい風が吹き込んできた。風に靡いた黒髪とやけに静謐な後ろ姿に、雪の娘、という言葉が蘇ってとっさにその腕を掴んでいた。

「……何です?」

「あ、いや……」

 言うべき言葉が見つけられず、それでも腕を離す気になれずにいると、さらに後ろで通知が鳴った。会議まで、あと一分。

「会議、始まっちゃいますよ」

「……溶けて消えちゃったりしないでくださいね」

 思わずこぼれた言葉に、相手は驚いたように目を見開いて、それからぷっと吹き出した。

「意外とロマンチストですね?」

「……意外じゃないですよ、これでもね」

「確かに」

 くすくす笑うその顔は、いつか見た張り詰めた様子が綺麗に消えていて、だから思わずそのままもっと手を伸ばしてしまいそうになって、ぎりぎりで堪える。

「……今夜」

「え?」

 その後の言葉が聞き取れなくて、聞き返そうとした時にはもう彼の手を抜け出して、ドアの向こうに消えてしまっていた。詳細はわからなかったけれど、ドアが閉まる直前に見えた、いつもと違う、鮮やかな色に包まれた明るい笑顔で、まあ大体のことは伝わった、と自惚れることにする。

 

「——今日は残業しねーぞ」


 誰も聞いてもいないのにそう宣言して、ついでにデスクトップを雪模様に変えて、すぐにオンライン会議が始まった。

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