Advent 2022

11/29 : サンタクロースへの手紙

 午前中は珍しく授業がない火曜日。早朝から鳴ったチャイムに、寝ぼけまなこのまま不用意に扉を開けてしまってから自分の迂闊さを後悔したけれど、目の前に立っていたのが顔見知りの幼な子だったから、なるほど、と一人で合点する。巡り合わせなのだ、と。


 ともあれ中に招き入れてレンジで温めたホットミルクを差し出すと、隣家のその子供は、お父さんには内緒なの、とごく真剣な顔で言い出した。

 一体どんな秘密を打ち明けられるのかと一瞬身構えたが、差し出されたのは可愛らしい一通の封筒だった。

「……サンタさんへ?」

「うん」

 真っ直ぐにこちらを見つめる淡褐色ヘイゼルの瞳。光に透けると金にも見える淡い色の髪に包まれた柔らかそうな頬は抜けるように白い。父親には全く似ていないその色と顔立ちは、きっと母親似なのだろうと、今さらのように気づいて心臓がざわざわと騒いだ。

 勝手な感傷を心の奥底に封じ込めて、いつも通りの無表情のまま先を促すと、子供は両手を拳に握りしめてやけに決意に満ちた眼差しで彼女を見上げてくる。

さくちゃんは、サンタさんってどこに住んでるか知ってる?」

「……確か北極——ずっとずっと北の寒いところだったと思うけど」

「じゅうしょって知ってる?」

「住所?」

 訊き返しながらも握った封筒でおおよその目的を理解する。

「あとね、切手はいくら貼ればいいのかも」

「手紙の書き方と送り方、よく知ってるね」

「うん、だって最近お手紙ごっこしてるから!」


 輝かんばかりの笑顔で胸を張ってそう言った顔に、彼女の頬も自然と緩んでしまう。ただの隣人という関係にしては、踏み込み過ぎてしまっている自覚はあったし、そもそもの初めから踏み込み方はおかしかったから、今さらだろうけれど。


「確かカナダの郵便局に送るとサンタさんに届けてくれるっていうのがあった気がする」

 スマートフォンを取り出して、該当情報を調べる。サンタの住所は North Pole北極点、宛先はカナダの郵便局らしい。ずいぶんシンプルだ。

「110円だって」

 ずいぶん安いな、と思いながら子供を見れば、目がこぼれるんじゃないかというくらい大きく見開いて、頬が薔薇色に染まっている。

「それならエリのお小遣いでも足りる!」

「そ、そう。よかったね」

 でも、と首を傾げた彼女の意図を聡い子供は読み取ったらしい。

「だってね、お父さんは毎日おしごとがんばってるでしょ」

「そうみたいだね」

「だからね、特別にお父さんにもプレゼントをくださいってお手紙を書くの」


 サンタの存在と、自分のアイディアの素晴らしさを信じて疑わない真っ直ぐな眼差しに、ついには彼女も破顔する。こんなふうに、何かを迷いなく信じていられたのはいつ頃までだっただろうか。振り返る過去は痛みを伴うけれど、それでもこの目の前の幼な子の眼差しはそんなものさえ軽やかに押し流してしまう。


「……何かプレゼントのアイディアはあるの?」

「わかんないけど、きっとサンタさんがいいのを選んでくれると思う。だって、エリのもいつもプレゼントが届くもの」

「そっか。じゃあ、きっと大丈夫だね」

 圧倒的なサンタクロースへの信頼感に、彼女がさらに頬を緩めた時、ピンポーンとやたらと間伸びしたチャイムが鳴った。

 二人で顔を見合わせて、封筒を机の引き出しへとしまい込む。

「送っておいてくれる? おだいは後ではらうから」

「出世払いでいいよ。いつもお世話になってるしね」

 言いながら、エリと一緒に玄関へと歩いていく。扉を開けた先には若干くたびれた、ひどく慌てた様子の無精髭の顔があった。二人の姿を確認して、がっくりとその肩が落ちる。

「勝手に出かけちゃいけないっていつも言ってるよな?」

「勝手じゃないもん。ちゃんとお手紙書いておいたもん」

「手紙ってこれか……?」

 その手にあったのは、メモ用紙に何やら長い髪の女の子らしき姿と家のマークに矢印。

「……あのなあ」

 ため息をつきつつ、娘を抱き上げながら、彼女に頭を下げる。エリはそう無茶をする子供ではないことは、父親である彼の方がよくわかっているだろう。それでも心配してしまうのが親心というものなのかもしれない。

 飄々として見えるくせに、どれほど生活に追われていても、娘の前では明るい表情を崩さない。その上、何なら赤の他人にまで手を差し伸べてしまう。


 ——確かに、クリスマスに奇跡の一つや二つ、あってもいいかもれない。


「朔さん、なんかご機嫌です?」

 こちらの顔を覗き込んで不思議そうに首を傾げた相手に、内心の動揺を押し隠して時計を示す。あ、と目を見開いて一つ頭を下げて慌てて駆け出す大小の背中を見送って扉を閉じた。


 急に静まり返った室内にがやけに落ち着かない気がして、引き出しにしまった手紙を取り出してしばらく眺める。

 宛名を書いて封をすると、手早く身支度を整えて、いつものパーカーを羽織った。


 郵便局はもう開いているだろうから、早速投函してしまおう。

 それに、はきっと当日は忙しいだろうから、今のうちにプレゼントを用意しておこう。


 そんなことを考える自分の頬が自然と緩んでいることに、彼女は気づいていなかった。

 

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