ステラの遺体は一日宿の空き部屋に安置された。それから棺に入れられ、中庭にある倉庫に移動された後、ステラの親族が遺体を引き取りに来るまで街の霊堂に移し置かれた。十日後連絡を受けてやってきた親族はあまりに突然のことにひどく消沈していた。どうやらステラは家出同然に家族の元から離れ、勝手に冒険者となったものらしく、事情を知らされて両親二人は呆然としていた。

 迎えにきた家族の馬車に棺ごと乗せられて、ステラの遺体は引き取られていった。

 リラが後で聞いたところではステラの実家は裕福な商人の家柄だったようだ。そんな娘がなぜ冒険者になったのかと事情を知った者たちは皆そう思い、酒場での話題にもあがるくらいだった。しかし新人一人が亡くなったことなど数日で忘れられていった。明日があるかどうかもわからない冒険者にとって、いちいち死んだ人間のことなどいつまでも考えていてはいられなかったからだ。

 しかし彼女の死を簡単に忘れられない人間が二人いた。

「ああ、あんたか」

 その一人──グリスは酔眼でじろっと相手を見上げた。

「ごめんなさい。まさかこんな事になるなんて」

 三人に依頼を任せた責任もあって、リラは開口一番にそういった。

 ステラが亡くなってから十日近く経った日の昼さがり。リラはたまたま酒場で酔いつぶれているグリスを見かけて、思わず声をかけていたところだった。。

「別にあんたが謝るこたぁねえよ。あんたの注意も聞かずに勝手なことしたのはこっちだからな」

 どこか投げやりな調子でそう言ったかと思うと、残っていた杯をいっきに呷った。杯を机に叩きつけるように置くと、机の上のすでに空けていた杯が揺れて机から落ちそうになった。

「だけど、くそ! これからどうすりゃあいんだよ。冒険者の資格こそ失われてはねえけど、しばらく依頼は受けられないときた」

 グリスはリラに不満をぶちまけるように愚痴を酒気とともに吐きだす。

「明日だって剣士ギルドに呼び出しくらってるんだせ。最悪脱退ってこともあるかもしれねぇ」

 生活費が窮迫していながら、それでも飲まずにはいられないのだろう。グリスの愚痴は次第に小さ呻きに変わっていった。

「少しいいですか?」

 リラはそういって近くにあったイスへ腰かけた。

「ああ?」

 グリスは机に伏せていた顔をあげた。憤りと嘆きの入り混じった悲惨な顔をしていた。

「貴方にとって思い出したくもないことでしょうが、あの時に起きたことを貴方がみたままでいいから話してもらえませんか」

「そんなこと聞いて、どうすんだよ。同情してくれんのか」

 グリスは酔って濁った目でリラをじろっと見上げた。

「同情するかどうかはわかりません。ただ人に話すことでもしかしたら何か新しい発見があるかもしれないと思いまして」

「ふん。まぁ、いいけどな。はっきり思い出せるかどうかわかんねぇけど」

 渋々といった様子だったが、グリスは徐々に思い出しつつ、その時のことを話し始めた──。


 あの日冒険者の宿を出発したグリスと二人の新人は大通りから門を抜けて市外へ出た。それから二時間近くを歩き通して目的の場所へ着いた。グリスはともかく、若い二人の方も特に疲れた様子を見せないのは端くれとはいえ身体が資本の冒険者だけはある。

 薬草の生えている場所はすぐに見つかり、女二人は草を摘み取り始めた。

 ステラが楽し気に目当ての植物を見つけては声をあげている。その横でエルナも手元の紙と見比べながら、黙々と薬草を摘み取っては袋に詰める作業に従事していた。

グリスは一応辺りを見回しながら、二人が薬草を採取する姿を眺めていた。彼の腰にも革袋が下げられていたが、二人が薬草を採取するのを手伝おうとする様子はない。あくまで新人のボディガードに徹するつもりなのだろう。

 袋一杯に詰め終わるまで三十分もかからなかった。依頼は二人が思っていたよりもあっさりしていた。後は街へ帰還すればそれで終わりだった。

 三人は来た道を引き返し始めた。十分ほど歩いた頃だろうか。地図を見ていたステラが急に立ち止まり、道の左方を見わたした。

「説明にあったモンスタ―の生息してる場所って……この奥の方あたりですよね」

 そして足を止めた二人に、

「まだ時間もありますし……少し寄り道していきません」

 と、いたずらを提案する子供のように声を少しばかり潜めて言った。

「だ、駄目にきまってるじゃない。受付のお姉さんに言われたでしょ。そっちの方は危険だって」

 エルナはすぐさま反対した。

「大丈夫だよ、エルちゃん。モンスターが出てきてもグリスさんがいるでしょう」

 ねっ。とステラは同意を求めるようにグリスを横目で見た。グリスは迷った。用心棒としての役割を引き受けて同行した手前、彼女らを危険な場所に誘う真似はできない。しかし、ステラの甘えるような秋波に抵抗することはできなかった。

「ねぇねえ、グリスさんもいいでしょう。私たちモンスターってまだ実際に見たことないんですよぉ。それにグリスさんの強いところも、ね」

 そんな風に言われてグリスもすっかりその気になってしまった。

「よし。じゃあ、少しだけな」気づいたらそういっていた。

「そんな! グリスさん!」

 エルナが諫めるような声をあげた。

「うーん、まあ、あのあたりのモンスター程度なら問題ねぇって」

 二人が道を反れていくのを見て、エルナも後についていくしかなかった。

 道を少し外れるとひらけた場所に出た。しかしやたらに藪が多く、それらが疎らに位置しているために真っすぐ突き進むことはできなかった。

「お、来たぞ」

 一匹の獣が向かってくるのを見てグリスが後ろに声を投げた。

 体格は普通の狼と変わらない。しかし頭部に円錐状の角が生えており、足の爪も通常の狼より鋭かった。この周囲に生息する、討伐対象のモンスター。一角狼の姿であった。

 一角狼は先頭を歩いていたグリスに襲い掛かった。牙を剥いて跳躍する。爪と角を同時に突き出す格好で飛んでくる。女達が後ろで悲鳴を上げた。

 しかし飛びかかった狼は「がっ」と声をあげるなり、グリスの足元すぐ近くに音をあげて転倒した。グリスの手にはいつのまにか短剣が握られており、顔を断ち切られた狼は血に濡れた身体を断続的に震わしていたが、ほどなくして絶命した。

 ステラとエレナは目の前で起こった出来事に我を忘れたようになって、しばし呆然としていた。我にかえったステラがすっかり興奮したように、

「すごい! すごい! ほんとうに強いんですね。グリスさん」

「なあに、この程度。大したことはない」

 そういいながらも、グリスは自信ありげな態度で剣を振って血を落とし鞘に納めた。それから懐からナイフを取り出すと、跪いて目の前の一角狼の死体へ刃先を入れた。馴れた手つきでモンスターの身体を解体していく。斬り取った牙や角、毛皮といった部位を開けた袋にどんどん入れていくのを見て、これも放心していたエルナがハッとしたように、

「あの……依頼に無いのに勝手にモンスターの遺体を持ち帰ったりして大丈夫なんですか?」

 といった。

「ん? ああ、不意に襲ってきたので自己防衛のためやむなくとかなんとか適当に理由つけときゃ大丈夫。せっかくの素材元を放りっぱなしにすんのも勿体ねぇ話しな。ま、そっちへの報告とかは俺がやっとくから。気にすんなって」

「はぁ」

 そういわれても、エルナは心配そうな目で、グリスが作業のように解体を続けるのを見つめていた。

 グリスが事を終えて立ち上がった時、そろそろ日も落ちはじめていた。

 ステラはすっかり初めての冒険に満足したようだった。それでもまだ探索を続けたい様子に見えたが、こんどこそエレナが強く引き返すことを主張した。ステラも今度は反対しなかった。

 いざ帰還しようと、元の道へと戻り始めたとき、目の前の藪が音をたてた。三人がハッと身構える。藪の隙間から一角狼が姿を現し、その後ろからまた二匹ほどが出てきた。

 グリスは三匹の姿を確認すると、持っていた革袋をエルナの手に預けた。低級モンスターといえど三匹同時に相手するには少しでも身軽な方がいい。女達を守るように前に出た。正面の一匹が飛び込んできた。狼が勢いそのままにグリスの後ろに着地したとき、四肢に頭部はついていなかった。反射反応で二歩ほど動くとふらふらと揺れてから力なく倒れた。頭のあった場所から流れる血が草を不気味に赤く染める。

 残る二体が最初の襲撃の顛末を見て一瞬怯んだ。その一瞬を捉えてグリスは攻撃に出た。右側にいた二匹目はほとんど棒立ちとなったまま、野生の獣らしくもなくほぼ無防備の態勢で頭を断ち割られていた。

 三匹目がようやく戦意を取り戻し、身構えたがすでに遅かった。二匹目を倒したグリスの短剣は三匹目の方へすでに狙いを定めていた。刀身が血の線を引いて、走った。

 グリスが最後の一匹を骸と変えた。そのときだった。

 背後から凄まじい悲鳴が聞こえた。グリスがハッとして後ろを振り返る。それとほとんど同時にどこかでガサッと木か草の擦れる音をグリスの耳は捉えていた。

エルナの腕の中でステラが胸を血に染めて倒れているのが見えた。

「ステラが、ステラが」

 悲鳴の主はエレナだった。泣いて取り乱している彼女の手も胸も血に濡れて真っ赤になっていた。グリスは急いで二人へと近づいた。

 ステラはすでに事切れていた。ステラの胸元をみて、グリスは前に知り合いが一角狼に突き刺された時にできた傷を思い出した。一角狼の角は疣のような小さい突起に覆われ、先端だけが異様に鋭い。そのためそれに刺されると傷口は特徴のある歪となって残る。ステラの胸に空いた傷口はそれとそっくりだった。

「ステラっ、目を開けて、ステラ!」

 エルナが必死に呼びかける声をグリスはただ呆として聞いていた──。


「なるほど」

 リラはグリスの話を聞き終わると頷いた。それから、

「二つ確認したいことがあります」

といった。

「ん?」

 相手は訝しむように相手を見た。

「ステラさんを襲った獣ですが、その後どうなりました。追いかけたりは──」

「いや、してねぇ。こっちも突然のことで混乱してたから。すぐ引き返すことしか考えてなかったな」

「エルナさんは」

「あいつはずっと泣いて取り乱してな。もう一人は背中で冷たくなって重い荷物になってるしで、うんざりしたぜ」

 グリスが机に片腕をついてその時の事を思い出したように憤る。大きなため息が漏れた。

「二つ目の確認です。グリスさんはステラさんが例の獣に襲われるところを確かに見たんですか?」

「ああ。だから云ったろ──」

「いえ、ステラさんが獣に刺される瞬間をちゃんと目撃したかということです。話を聞くかぎり、グリスさんは悲鳴が聞こえて振り返った。その時、藪が鳴る音が聞こえ、胸を血に染めたステラさんが倒れているのが見えた。だけど実際にはステラさんを刺したはずの獣の姿は見ていない」

「うん? あ、確かにそうだ……。いや、でも他に考えられねぇだろ」

 リラはそれについては返答もせず黙っていた。顔を俯けて何事か考えているようだった。それからようやく口を開くと、

「もしかしたら、もしかしたらですよ。あくまで推測に過ぎない話なんですが……」

 と、切り出した。

「あん?」

「ステラさんを殺めたのはエルナさんではないかと──」

 リラは思い切ったように云った。

「何ぃ?」

 グリスは間の抜けた声をあげ、驚愕したようにリラの顔を凝視する。

「可能性としてはエルナさんはまず後ろから刃物でステラさんの胸を刺して殺した。実践経験がないとはいえ、冒険者の卵ですから。訓練所で戦士の特訓を受けた彼女なら刃物の使い方も生物の急所も十分熟知していたでしょう。それにまさかステラさんも友人に刺されるとは思ってもいないからまったくの無防備。ナイフでも短刀でも十分にやれたでしょうね」

 リラはぽかんと固まってしまったようなグリスにも気がつかないように一人話し続ける。

「それから貴方の袋から、すでに採取されていた獣の角を取り出して傷口に押し込み、傷口を偽装した。その後悲鳴を上げると同時に、持っていた角を藪の中に放り投げる。もちろんこれは証拠を隠蔽する必要からだったけれど運がよかったというかタイミングよく振り返ったグリスさんは藪がざわめく音と血に塗れて倒れたステラさんを見て、モンスターにやられたと錯覚した──」

 リラはそこまでいってようやく顔を擡げた。

「──んじゃないでしょうか」

 まだ唖然としたままだったグリスがそこでようやく、

「驚いたよ……」

 と小さく呟いた。気つけ薬を求めるように残っていた酒を呷った。

「そんなとんでもねぇ事考えつくなんてよ」

「驚いたって……私にですか?」

 リラが憮然としたようにいった。

「あったりめぇだ。大人しい顔してよくそんな事を平然と……。しかし……そ、そうだ! 理由がねぇよ。なんの理由があって彼女が人を、それもよりにもよって友人を殺すんだよ」

「さぁ、それは。二人だけしか知らない事情があったのかも。といってもステラさんは死ぬまでエルナさんに襲われるなんて考えなかったみたいですから、友達だといってもステラさんの一方通行的な関係だったのかもしれませんね」

「…………」

 グリスはリラから顔をそむけると、

「で、どうすんだ」

 と聞いてきた。

「どうとは?」

「何かの処置をとるのかどうかってことだよ」

「いえ。特に」

「何だって! 何もしねぇのか」

「だって証拠もないただの憶測なんですよ」

「そりゃそうだが、だけどなぁ……」

グリスは何と言えばいいかわからず、言葉尻が小さくなっていった。

「あっ、それはそれとして、あの時のアレってどうされました?」

 唐突にリラがいった。

「な、なんだ?」

「ステラさんが亡くなる前にモンスターを解体したって言ってましたよね。その時解体した部位を入れた袋ですよ」

「ああ、あれならまだ商店の親父に預けたままだ。ごたごたしててそのまま忘れてた」

「そうですか。中身もそのままですよね。ちょっとお店にいってみませんか。新しく確認したいことが出来たので」

 リラは立ち上がると、グリスの返事も聞かずに、酒場の入り口へ向かう。相手の勢いにつられたのか、それとも彼女の話を聞いて純粋に好奇心が動かされたのか、グリスもふらふらとリラの後に付いていった。



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