第5話 英雄

 ぼくはそれを見て、確信したんだ。


「下水道こそ、世界最強のダンジョンでした」


 さっきまで、ぼくは命を脅かされていた。

 ドロドロとしたナゾの怪物に。けど、ソイツは一瞬にして姿を消した。

 一度は助かったと思ったんだけど、どうやらそうではないらしい。

 いや、むしろ状況は悪化した気がする。

 だって、もっと恐ろしいのが現れてしまったから。


「あぁっ……あぁ……」


 真っ黒なドロドロが溢れ出ている。

 スキマというスキマから、湧き上がってくる。絶え間なく。

 どんどん近づいてくる。このままじゃ、囲まれる。


 前にもコイツを見たことがある。

 なんなら今日、一年生の授業で見た。

 どれだけ強いモンスターだろうと、ヤツの前だと子供同然。

 たとえそれが、バハムートだろうと、リヴァイアサンだろうと、ヒュドラだろうと、簡単に吸い込んでしまう。


ヤツの名前は――モンスターキング。


「やめろ――! 来るなあああ!」


 腕を奪われた。そして足――体――と包み込まれていく。

 ものすごい力だ。どんどん引っ張られていく。取れない。冷たい。

 

 そしてとうとう、視界が真っ暗になった。

 

「はぁっ……はぁっ……はああっ」


 息ができる――けど、苦しい。

 不安感。絶望感。そして孤独感。さまざまな負の感情が内側から湧き上がってきた。


 ピリピリとした痛みが、胸全体へ広がっていく。

 まるで仕事の日の朝に起きたときのような感覚だ。


 ドキリと心臓が痛む。

 嫌いな目上の人に呼びだされたときのようだ。


 気分がガクンと沈む。

 突然、こうなることがよくある。原因は分からない。


 誰かに話して感情を共有したいけど、相手がいない。

 そんなときに思い知らされる。ぼくは孤独なんだと。

 生きている意味が分からなくなってくる。

 こんな苦しいならいっそのこと、死んでしまった方が楽なのではないだろうか?


 頭がクラクラする。意識がもうとうとしてきた。


『うん! イイ! 君、イイよ!』


 快活な男の声が頭の中に響いてきた。

 瞬間、ぼくを包み込んでいた黒いものが消えた。

 一気に力が抜けて、崩れ落ちた。

 両手を地面につけたまま、激しく呼吸をする。

 苦しかった――まるで長時間息を止めていた後のようだ。

 でも、どうしていきなりなくなったんだ?


「うんうん! 最高だ! やっぱキミしかいないよ!!」


 これは……さっきの声だ。だいぶ興奮している。

 顔を上げると、目の前に細身の男が立っていた。

 少し長めの黒髪で、薄い顔をしている。


 声が聞こえた直後にドロドロが消えた……同時に、彼が現れた。突然に。

 まさか、彼が何かしたのか?

 あのモンスターキングに?

 明らかに普通の人だけど……いや、普通の人がこんなところにいるのが普通じゃない。


「やあ、ようやく会えたね!」


 彼は快活に言ってみせた。


 どういうこと?

 まるでぼくを待っていたようなセリフじゃないか。

 

 ただ、なんでだろう……この顔、どこかで見たことある気がする。

 でも彼に会ったことはない。

 じゃあ、どうしてそう感じるんだろう


「ふうっー、はぁっー……えっと……ふうー……あの……」


 口が震える。息が上がっている。うまく言葉が出てこない


「ふふふ」


 ニッコリ、と笑顔を浮かべて、こちらへ近づいてくる。

 だんだんと早足に。迫り来る。無言で。表情を一切変えずに。


「!?」

 

 思わず片手を後ろに置いた。

 

 よく見ると、彼は右手を構えていた。

 その手が黒く染まっていく。ドロドロと大きくなっていく。

 そして飛び出してきた。黒い右手が迫り来る。こちらに、勢いよく。

 

 すぐには動けない。とっさに目をとじた。それぐらいしかできなかった。


「――!?」

「ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!?」


 悲鳴が聞こえた。後方から。〝ヤツ〟の声に似ていた。

 目を開けると、彼の真っ黒な腕は何メートルも先まで伸びていた。その真っ黒な拳は、ぼくの後ろにいた〝ヤツ〟をワシ掴みにていた。


 巨大なヘビだ。

 ドロドロに溶けていて、金属むき出しだ。

 うねうねと暴れている。


「よっと」

「ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!?」


 彼はヤツを地面に押しつけた。引きずっている。鉄の地面がヘコんでいく。

 なんて力なんだ。


「え……!?」


 彼の影が、動いた。ドロのように。大きくなっていく。伸びていく。ヤツへ向かって。


 黒い手が、ヤツを影に押し込んでいく。

 どんどん沈んでいく。まるで巨大なドロヌマにハマっているみたいに。

 長い胴体が暴れて抵抗している。けど、引力は変わらない。


「ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――……」


 ヤツの声が聞こえなくなった。

 シッポの先端まで、完全に飲み込まれたのだ。

 その後、影と腕はすぐに元の形に戻った。


「ふうっ」


 彼は平然と一息ついた。

 ものすごい戦いの後だというのに。


「あっ、ああ……」


 やっぱり、普通の人じゃなかった。

 ということは、最初に現れたナゾの怪物を粉々にしたのも、ぼくを飲み込んだのも、彼だったのだろうか。いやそうに違いない……とは思う。だって、あれだけすごいものを見せられたんだから。でもまだ夢でも見ている気分だ。

 これだけの力を持っている人がいたなんて。

 増してや、自分の前に現れるとは思わないもん。


 いったい、彼は何者なんだ?

 その力――どうやって手に入れたんだ? 生まれつき?

 いやそもそも……彼がモンスターキングの正体なのか?


「どうだいっ、モンスターキングの力は! すっごいだろう!!」

「えっ!? いっ、いやっ、まぁ……」


 やけにテンション高い。反応に困る。


「無敵の力さ! どんなものでも簡単に吸収しちゃうんだ! そしてウツワが現れた! まさにベストタイミング! もうサイッコーだ! うんうん!」


 身振り手振り。何か大げさに喜びを表現している。

 

「うん、やっぱイイね……イイよ……サイコーだ……」


 今度はブツブツと何かを言っている。


「あっ、あの……あなたは……?」


 彼が顔を上げてこちらを見た。目が合う。


「あぁ、ボクかい? ボクの名は――タロウ・サトウ。英雄さ」

「えっ……えぇ!? ええ!?」


 驚きで声が出ない。

 何を言っていいのか分からないからだ。

 いやいや……よく考えてみれば、あの人なわけがない。

 まぁ、こんな珍しい名前の人が世界に二人もいるというとも考えにくいんだけど……。


「あのっ……えっと……英雄と同姓同名なんですね」

「あははっ、まぁ信じてもらえないのもムリはないよね。ボク、地上じゃちょっと前から死んだことになってるしね!」

「いや、三〇年も経って……あっ……!」

「あぁもうそんなに経ってるんだ」

 

 思い出した――彼と会ったとき、この薄い顔をどこかで見たような気がした。

 それが、タロウ・サトウの銅像だ!

 顔がそっくりなんだ。というか、ウリ二つだ。


 こんなこと、あるの?

 ただのそっくりさんがタロウ・サトウを名乗っている可能性もあるけど、彼の場合……

〝ただの〟ではない。


「キミ、『ガイウス災害』って知ってるかい?」

「は、はい。それはもちろん」


 知ってるも何も、世界で最も有名な事件だ。

 なぜなら――タロウ・サトウが戦死したんだから。


 獅子王ガイウスの手によって。


「あの日さ。ボクがこの力を手に入れたのは」


 三〇年前――

とある大都市が一夜にして滅ぼされた。

一体のモンスターの手によって。


 それが、獅子王ガイウスだ。

 全身筋肉でおおわれた巨大モンスターで、獅子なのに二足歩行をする。

 その大きさは城一つ分。

 ヤツは金色のタテガミをなびかせながら、王都へ接近していた。

 国は多くの上級冒険者を召集した。


「そこで、ボクが選ばれたワケ」


 当然だ。

 だって、タロウ・サトウは大陸トップの冒険者だったんだから。


 サトウさんは討伐へ出向いた。

 決戦の日。彼は獅子王ガイウスへ勇敢に立ち向かった。

 勝負は互角だった。が、ヤツの方が一枚上手だった。そこで、サトウさんは自らの命を代償に究極魔法を発動――と、本には書いてあったんだけど……。


「いやぁ、強かったよぉ! 仲間は秒でみんな死んじゃうんだから。まぁボクも人のこと言えないんだけどね! ワンパン食らって瀕死だよ。あ、でもあの中だったらボクがいちばん長く持ったよ! 三秒くらい」

「は、はぁ……」

「ホント、あの時は痛かったなぁ。もう血だらけでさ。死ぬかと思ったよ!」

 

 本の内容とかなり違う。事実よりも誇大されていた。ショックだ。


「で、気がついたら、この下水道に流れ着いていたってワケ」


 瀕死の彼は、意識がもうろうとする中、自分を呼ぶ声を聞いたという。


『力が欲しいかい? なら、ボクが貸してあげるよ! だからその扉を、開けてはくれないかい?』


 顔を上げると、サトウさんの前に扉があった。

 力を欲した彼は、それを開けたという。

 その瞬間、ドロドロとした黒いものが彼の全身を包み込んだ。


「じゃあそれが……」

「ああ、このとき、ボクはモンスターキングの力を手にした。まっ、眠かったかたよく覚えてないんだけどね! あはははは!」

「……」

 

 ずいぶん楽観的だ。

 反応に困る。


 彼が目を覚ましたとき、ケガは完全に治っていた。

 今までが夢だったのはないかと思えるほどに。

 でも違った。彼はその細い体に宿していたのだ――世界最強の力を。

 そして、再びガイウスの元へ向かった。

 

「もうビックリだね! 秒で吸収できちゃったんだから」

「吸収したんですか。あのガイウスを……?」

「うん!」


 彼は意気揚々と答えた。

 さっき大ヘビを吸収したときのように、ガイウスも食らったということか。


「ということは、サトウさんは……ガイウスの能力も持ってるんですか?」

「いいや、今はもういない」

「今は……? どういうことですか?」

「ある男が持っている」


 サトウさんの声が少し低くなった気がする。

 ぼくは息を飲んだ。


「要注意人物さ。首に獅子のイレズミが入った、漆黒の戦士だ」

「漆黒の戦士……」


 真っ黒の鎧を全身に装備し、不気味な仮面をつけた男が思い浮かんだ。

 仮面の奥からでも感じる。突き刺すような真っ赤な視線。ふとしたときにチラリと見える獅子のイレズミ。


 怖すぎる。


 しかも、あのタロウ・サトウから力を奪ったんだよね?

 そうとうな実力者じゃないか!


「かなりやっかいな存在さ。彼は、ボクから手に入れた獅子王の力を使って、この下水道で好き放題暴れている。ボクはここで、ソイツと戦い続けているんだ。放置するわけにはいかない」

「だから、生還しないでひとりここに残り続けていたんですね……」


 すごいや。ずっと孤独で戦っていたんだ。

 ぼくじゃ絶対耐えられない。

 いや待てよ……孤独っていう部分は一緒かも。


「いいや、ボクはひとりじゃないよ」

「え?」

「育てている組織があるんだ。ボクはそこで、『能力者』の育成をしている。獅子王ガイウスを、倒すためにね」

「へ、へぇ……!」


 そんな組織を作っていたのか――この下水道で。

 ぼくたちが日常生活を送っている大都市の下で、彼らは獅子王討伐のために、日々戦っていたのか。

 かっこいいな……まさかこんな話が聞けるなんて。


「で、そこでだ。ドロオクン!」

「えっ、いやっ、あの……えっと……」


 肩をガッシリと掴んできた。


 何で名前知ってるの?

 いやというか、正確には名前じゃなくてそれはあだ名みたいなもので……。


「キミをボクの組織に迎え入れることした!」

「………えっ……えぇ!?」


 今、何て言った?

 理解が追い付かない。聞き間違いだろうか。


「もう決まったことだ。キミに拒否権はないよ」


 彼はニッコリと笑った。


「えっ、い、いや……ど、どうしてぼくなんですか!? なんか、そういう『能力』とか持ってないですし……」

「そこは心配しなくていい。これから持つことになる」

「……はい?」


 笑顔で細めた目をこちらに向けたまま、彼は言った。


「ボクの後継者になってもらう――キミに、このモンスターキングの力を託そうじゃないか!」

「えっ……ええええええええええええええええええええええええええええええ!?」

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