第1話 魔法学校の実態
魔法学園――それは憧れの場所だ。
城のように立派な校舎へ、毎日ワクワクしながら登校。
教室に入ってすぐ。いつものメンバーがぼくに向かって笑顔を向見せると、いつもの挨拶をしてくる。男女五人グループだ。
ぼくも彼らにいつもの挨拶を返して、いつもの席に着いて、他愛のない会話をする。
授業は毎回楽しくて、好奇心をそそられる。終わった後もみんなで教室に残って、自習をするんだ。その間も笑顔は絶えない。ついつい遅くなって、先生にしかられる。この先生はいつも厳しいけど、たまに優しくて、ぼくたちのことを真剣に考えているんだ。
寮に帰って、食事をしてフロに入った後、ルームメイトとチェスかトランプをして盛り上がる。最後にそれぞれの夢を語って、就寝。
また次の日も楽しいことが待っているんだ。
学校の地下室に隠された秘密。他校の生徒と交流。ダンジョン攻略の冒険。ライバルとの熱き戦い。美少女との淡い恋。
ずっと入学を夢見ていたんだ。
だからぼくは、田舎を飛び出してやってきた――魔法学園に!
清掃員として。
「おいカス」
「は、はい……」
呼ばれて振り向くと、太った中年男性が立っていた。この学校の職員だ。
ヤダな……今度は何を言われるんだろう。
「あのさぁ、まだ終わんねぇの? 遅くねっ」
「すいません……」
「すいませんじゃねぇよ! 給料もらってんだろ? ちゃんと仕事しろよ」
「……はい」
「マジで使えねぇ」と吐き捨てて彼はきびすを返した。ものすごい剣幕だった。
あぁ今日もだ。あの人と会うと毎回怒鳴られる。
そのたびに自分がダメ人間だということを痛感させられて、無気力になる。
いや、それだけならばまだいい。何よりキツいのは……。
「なぁ、アイツ今日も怒られてたな」
「ウケる」
「どんだけ無能なんだよ」
いたるところから視線を感じる。この学校の生徒たちだ。
怒られたときはもちろん、ぼくを見かける度に毎回ニヤニヤしながらこっちを見てくるんだ。
最近では怒鳴り声を聞きつけて、わざわざ見に来る人も増えてきた。
そのときの楽しそうな顔が思い浮かんだ。頭の中でムカムカとしたものが湧き上がる。
見せ物じゃないんだぞ、人をなんだと思ってるんだ。
かき消すように、モップで床をひたすら掃きこむ。力を込めて。
ぼくが掃除しているのは、中庭を囲む通路だ。
お昼休みということで、かなりの生徒が集まってきている。みんなカッコいい制服を着て、楽しそうにしゃべったり食事をしたりしている。
さっさと終わらせよう。一秒でも早く。こんなところ少しもいたくない。
「危ない!!」
突然の大声に、思わず振り向いた。
それを見た瞬間、空気が一気に凍り付いた。
中庭の一角。なぜか巨大なレンガが落下してきていた。その下には一人の生徒。あれじゃ簡単に下敷きになってしまう。
しかし、そこへ一人の男が飛び込み、ロッドを構えた。
「レナーク・サイチ!」
りりしい声が響き渡る。
レンガは小さくなっていき、一瞬にして見えなくなくなった。
危うく下敷きになりそうになったのは、女子生徒だった。驚いた顔で座り込んでいる。
そんな彼女の前には、ロッドを構えたひとりの男。
数秒の沈黙を経て、拍手と歓声が上がった。
しかし、彼はそれに一切気を止めず、女子生徒へ歩み寄った。
「君、ケガはないかい?」
女子生徒はブンブンと首を横に振った。その目から大粒の涙が流れている。そうとう怖かったに違いない。
彼女の頭を、彼は撫でた。
「カッコよすぎだろ!」
「ヤバい……ほれ直しちゃった!」
「あぁ私も助けられたぁい!」
多くの賞賛の声が上がっている。とくに女子の叫び声が激しい。
すごいや。まさに神業だ。とっさに判断して、迷わず飛び込んで。女の子を助けたんだ。
その行動は、英雄と呼ぶに……いや、ふさわしくない。
さっきまで後ろ姿だったから分からなかった。けど、こちら側へ振り向いたことで、顔があらわになった。彼はぼくの知っている人だった。
マーネ・フィルスマン。
上級貴族の長男でお金持ち。しかもイケメンで成績優秀。人望もあって、当然女子からもモテる。さっき会ったばかりであろう例の女子生徒と、もう手を繋いでいるし。
彼は片方の手で拳を作り、高く掲げた。自信に満ちた笑みを浮かべている。
正直、ぼくは彼のことが好きじゃない。
見るたびに胸の奥から不快感が湧き上がってくるんだ。
この前なんかアイツのせいで……いや、やめよう。考えている場合じゃない。
注目の的から背を向けて掃除を再開。
ぼくという存在を誰も気づかないように。なるべく目立たないように。
しばらくすると、熱狂は止んで静かになっていった。この場を後にする生徒も増えてきた。
もうそろそろお昼休みが終わる。そうすればひとりでモクモクと作業ができる。変な視線を感じることもないし、笑われる心配もない。
ふと、バケツの中を覗く。だいぶにごってきたな。入れ直しに行こう。
戻ってくる頃には昼休みも終わっているはずだ。ここにいなくて済む理由ができた。
が、バケツは勢いよく倒れ、中身がバシャりと飛び出した。
「あっ!」
床に灰色の水が広がっていく。
これはぼくが倒したんじゃない。
「ドロオじゃないか」
その言葉に、心臓がドキリと脈打った。
ドロオ――ここではぼくはそう呼ばれている。
顔を上げると、目の前でマーネが立っていた。さっきまで英雄のように賞賛されていた人物だ。
「あのさ、こんなところに置かないでほしんだけどな」
四人の男女の取り巻きと一緒に、ニヤニヤしながら彼は言った。
「みんなが使う廊下だろ? 汚いもの置かれると迷惑なんだ。頼むからそこ考えてくれよ。給料もらってるんだろ?」
「あははははははははははははははっ!」
取り巻きたちが噴き出した。
拳を強く握りしめる。胸の奥からムカムカとしたものがこみ上げてきた。
「迷惑ってさ、掃除のためなんだから仕方ないだろ!? ていうかバケツ倒すなよ! わざとだろ!? じゃなきゃこんな転がらないし! きみが掃除しろよ!!」……って、言えたらいいのになぁ。
「……ごめん」
屈辱の謝罪。
しかし、彼らはそれを無視して歩き出した。ぼくの横を通り過ぎていく。
「マジキモい」
「視界に入らないでほしいよね」
女子の会話が耳に入ってくる。今まで何度も言われてきたことだ。
ぼくはキモイやつなんだって自覚はある。でも、わざわざ言ってくることないじゃないか。
こっちは毎回嫌な思いをしているのに。
「ベカウ・ニウ・ユチ」
「うわっ!」
突然、体が宙に浮いた。手足をバタつかせる。が、地面に届かない。
「ぎゃふっ!」
急に落下した。ビチャ、顔からと汚水へ豪快にダイブ。
「……いったぁ」
「ぎゃははははははははははははははははは!」
額がじんじんと痛む中、爆笑のウズが巻き起こった。
見ると、さっきの男女がこちらを見て腹を抱えていた。
ヤツらが嫌がらせで魔法でも使ったんだ。
うわっ、汚水が口の中に入ってきた。苦い。吐き気してきた。
「おえっ……ぺっ、ぺっ」
「うわっ、キモッ」
女子があからさまに嫌悪感を示した。
なんでドン引きされなきゃいけないんだよ……やったのはそっちじゃないか。
「行こうか。見ていて見苦しいだけだ」
「だね。ホントキモい」
去っていく。
そんなこと言うんだったら関わらないでくれよ。
もう嫌だ。汚いもの被せられて、見せ物にされて。助けてくれる人だっていない。
目がにじんできた。泣くな――もっとカッコ悪くなるじゃないか。
なのに、抑えようとすればするほど、涙はあふれ出ようとしてくる。
ぼくに牙を剥くように。
あぁ最悪だ。こんなところで泣いてしまったら、またネタにされる。毎回毎回、いい笑い者だ……クッソぉ……。
「使って」
「……えっ?」
甘い声と共に、ピンク色のハンカチを差し出された。
とっさに顔を上げると、目の前に女の子がいた。
かなりクセの強い桃色の長い髪。白くて透き通った肌。
彼女は、ぼくに優しい笑顔を向けていた。
こんなことあるのだろうか。夢でも見ているのだろうか。
「えっ、えっと……その……あの……」
口がうまく動かない。何も言葉が出てこない。
だって、女の子の友達はおろか、今まで異性と話した経験なんて、母さんぐらいしかないんだから。
「ど、どうしたの?」
彼女は首をかしげた。
「いや、えっと……ぼぼぼく、汚いし……悪いよ……」
「ううん、気にしないで」
またニッコリと笑って、ハンカチを持った手をこちらに伸ばしてきた。
「う、うん……ごめん……」
受け取ってしまった。そうしなきゃ悪い気がした。
顔に当てると、いい匂いがしてきた。花のような香りだ。
それが汚水でよごれていく。何だか申し訳ないな。
「さてぇと」
彼女は唐突に立ち上がった。制服であるジャケットを脱ぎ始めて、ワイシャツ姿になった。
「あの……なにを……?」
「手伝うね」
言って、落ちていたぞうきんを拾い上げ、汚水をふき取り始めた。
「いや、いいよいいよ! ぼくやるから……」
「ううん、わたしにもやらせて」
こっちを見てニッコリと笑う。
しかし、すぐに視線を下に向けて作業を再開した。なんのちゅうちょもなく。
周りを一切気にしていない。
さっきから送られてくる生徒たちの視線に気づいていないのだろうか。
いちべつしてくる人もいれば、ニヤついている人や、こっちを見てヒソヒソと何かを話している人もいる。少なくとも、よくは思われていない。ぼくのせいで。
「でも……ぼくと一緒にいたら、きみも変なふうに見られちゃうよ」
というより、もうすでに見られている。
「かまわないよ」
「……」
拭き掃除を続けたまま、彼女はそう答えた。どうしてもやめないらしい。
得することなんてないのに。むしろ損している気がする。
ぼくもモップを掴み取って、汚水をふき取ることに。彼女はぞうきんを使っているのに、こんなもの使っていいのかとは思うけど……。
「あの……どうしてそこまでしてくれるの?」
「え?」
バケツの上でぞうきんを絞りながら、彼女は顔を上げた。頭にハテナを浮かべているようだった。
「い、いや、だから……きみは生徒で、こんなことやる必要なんてないのに」
「う~ん……」
視線を上に向けて一瞬考え込んだ後、彼女は言った。
「もしもわたしが同じ立場だったらたぶん……ううん、絶対困るだろうなぁって思ったから……かなっ」
言葉の最後に、困ったようなほほえみを浮かべた。
「……そっか」
こんな優しい子が、こんな学校にいたんだ。
見返りを求めるわけでもなく、ただ善意でやってくれている。
もしもぼくが同じ立場だったら、見ているだけで何もしなかった。いや、ぼくだけじゃない。誰もがそうだ。だって、ここにいる人たちや通り過ぎていった人たちが証明しているんだから。
でも、彼女は違った。助けようと行動を起こしてくれた。ぼくなんかのために。
だから、ちゃんと言わなきゃ。ちょっと恥ずかしいけど。
「あの……ありがとう」
顔が熱くなってきた。相手の目を見ることができない。
「ううん。こちらこそ、いつも掃除してくれてありがとね」
「い、いや……いや、あの……えっと……うん」
言葉がうまく出てこない。
まさかそんなことを言ってくれるとは思わなかったから。
胸の奥から、温かいものがこみ上げてきた。この子がいるなら、この仕事を続けるのも悪くないかもしれない。
チラリと彼女を見る。
慣れた手つきで掃除をしている。
キレイな横顔だ。クセの強い髪がふわりふらりと揺れている。
話したいし、もっと仲良くなりたい。でも、何を言えばいいだろう。ヘタなこと言って嫌われたらイヤだしな……。
そうだ、自己紹介だ。せめて名前を呼び合うぐらいの関係にはなりたい。
でもいざしゃべるとなると緊張するな……いいタイミングはないだろうか。
キーンコーン、カーンコーン……。
「あっ」
鳴ってしまった。昼休み終了のアイズが。どうしよう。
「ちょうど終わったね! 急いで片づけないと」
彼女は汚水の入ったバケツを持って動き出した。小走りで。
「え、い、い、いいよ! ぼくやるから!」
「でも……」
「いいんだ。掃除してくれただけでもありがたいのに、ぼくのせいで授業遅れちゃったら、悪いよ」
バケツを掴んで、ゆっくりとこちらに引き込む。
彼女は申し訳なさそうにほほえんでいた。
「……うん。ごめんね、手伝えなくて」
「ううん、あやまらないでよ」
こちらからゆっくりと離れていく。
「ありがとね」
軽く手を振った後、彼女はぼくに背を向けた。急ぎ足で向かって行く。
ああ、行ってしまう。また会える……と思うけど、せめて名前ぐらいは――
「あの!」
足を止め、彼女がこちらへ振り向いた。顔を傾け、キョトンとしている。
引き留めてしまった。ちゃんと言わなきゃ。ぼくの名前を――
一呼吸。意を決して、ぼくは口を開いた。
「えっと……授業、頑張って……ね」
バカ。ぼくのバカ。どうしていつもこうなるんだ。
ただ名前を言えばいいだけなのに。
「ありがとう。えっと、ドロオくん……だよね?」
「え?」
まさか彼女の口から、その名前が出てくるとは思わなかった。もしかしてぼくのこと、知ってたの?
いや、正確には名前ではなく、あだ名みたいなもので……。
本当の名前は――
「わたしの名前は、キャロライン・ダークローズ。魔法科の二年生」
白い歯を見せながら、彼女は言った。
「えっと……キャロライン……さん……?」
「そう、キャロライン。つぎわたしを見かけたら、声かけてくれると嬉しい」
「あっ、う、うん! かける! 必ずかける!」
彼女――キャロラインさんは満面の笑みを浮かべていた。
こちらに小さく手を振る。
「じゃあ、またね。ドロオくん」
「うん、また……」
ぼくも手を振り返した。
そして見えなくなったところで。
「やった……!」
ガッツポーズ。
思わずニヤニヤしてしまう。
この仕事を一年続けて、初めていいことがあった。
まさかこんな出会いがあるなんて。あだ名の方を覚えられちゃったけど……まぁいいか!
それよりも、声かけてと言っていた。
もしかして、ぼくに気があるんじゃ……いやいや、考えすぎだ。
けど、胸の奥底から喜びがあふれ出てくる。
また彼女に会うのが楽しみだ。
――ドンッ!
「おっ……!?」
一瞬バランスを崩した。グラリと地面が揺れたのだ。
「地震……!?」
『オオオオオオオオオオオオオオオオオ……!』
「え……!?」
確かに聞こえた。
モンスターの雄たけびのようなものが地面の奥底から、伝わってきた。
もしかして――ゆっくりと床に手を置く。
この下に、何かがいる……?
恐ろしい何かが。
いやいや、考え過ぎだ。
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