第89話 家族

 もうすぐ、卒業式だ。

 ママも、来てくれる。 仕事を休んで。

 合格発表は、その五日後。 生殺しの五日間。

 きっと、合格してる。 いや、分かんない……。 合格、してるといいな……。 いやいや、してるよ!

 無意識のうちに、首を縦に振ったり、横に振ったりしていたらしい。

「どしたの、首」

 ママが、怪訝そうな顔をする。 

 今日のお夕飯は、コロッケ。 お惣菜屋さんで買ったやつ。 大きくて、美味しい。 自分で揚げるより、ラク。

「なんでもない」

 そう、試験のことは、もう運を天に任せるしかない。

 ママには、言わなきゃいけないことがある。

「なんでもなくない」

「何だろ。 言ってみぃ」

 お味噌汁をふーふーしながら、ママが言う。 お味噌汁は、私が小学生の頃から、作る係。 今日は、さつまいもも入れてみました。 甘くて美味しいのだ。

「あの、大学、受かったらね……」

「うん」

「あの、うちからだと、ちょっと遠いかな~みたいな……」

 ママは、手を止める。 ちょっとだけ、困った顔になる。

「高校よりは、遠いけど。 通え……ないかなぁ? 一人暮らししたいってこと?」

「い、いや、あの、お金かかるの、分かってるの。 バイトも、するし。 あの、でも、その、えーと」

「家賃払うほどバイトしたなら、働き過ぎだよ。 体、壊すよ」

 ママは、真剣な顔になる。 違うの。 一人暮らしじゃ、ないの。

「あの……カ……カレシと……えと……ルームシェア的な……。 だ、だめかな……」

 ママはお箸を置く。 私も、お箸を置く。 向かい合わせで、ママは私を真っ直ぐ見る。

「それ、夕陽ちゃんが、今決めた事?」

 首、横に振る。

「カレシと二人で考えたの?」

 今度は、縦に振る。

「そしたらさ。 カレシにも、話聞きたいな。 めちゃめちゃお世話になってるし。 連れて来て」

「えっ…… ここに?」

「家が嫌なら、どこでもいいよ。 喫茶店でもいいし」

「い、いや、そうじゃない。 場所じゃなくて。 えーと、引っ越す時とかじゃ、だめかな……」

「だめだよ。 ルームシェアなら、お金の話もしなきゃでしょ。 家賃とか、生活費とかさ。 だから、連れて来て。 明日でもいいよ。 明日ママ、休みだから」

「え、えーと…… そ、そうだね……。 うん……。 聞いてみる……」



 ご馳走様して、お皿洗って、部屋に戻る。

 大変なことになってしまった。

 いや、考えないようにしてただけで、いつかはしなきゃいけなかったんだ。

 ママに、先生を紹介する……。

 ちょっとだけ年上の、金持ちの、イケメンの、優しい若い男と付き合ってるって信じてる、婿楽しみ~って言ってた、ママに……。

 私は、ベッドでのたうち回る。

 五往復ぐらいバタバタしてから、先生に電話する。

「こんばんは。 電話、珍しい。 どうしたの」

 すぐ出てくれる。 やさしい、先生の声。 好き。

「あの、えと、先生、明日休みだよね」

「そうよ。 卒業式前の、最後の土曜日ね」

「えーと、あの、明日、うち、来られ……ますか?」

「あら。 お母様、夜勤?」

「ち、違うの。 あの、うちに、あ、あいさつに……」

 三秒くらい、無言。

「そうね。 伺います。 お昼過ぎくらいでいいかしら」

「う、うん。 あの、えと、気を付けて来てね」

「ふふ。 ありがとう。 お休みなさい」



 眠れなかった。 今日は、土曜日。 すっごい、お天気だ。

 洗濯して、干して、お布団も干しておこう。 ベランダから見えても、ちゃんとお家のことやってるなって、思ってもらえるように。

 リビングも、片付けて。 すぐ、ぐちゃぐちゃになる。 見えるところは、きれいにして。 玄関掃いて、トイレも掃除。 お昼はママと、パスタにした。 二人とも、静かに食べた。 お昼を食べたら、ママはいつもより、ちょっとおしゃれな服に着替えた。

「夕陽ちゃん」

「な、なに」

「カレシ…… ちゃんとお菓子とか、持って来るかな。 ママ、ケーキ買っといた方がいい?」

 まじな顔で、私に聞く。 ママはいつでも、本気かふざけてるのか、よく分からない。



 十四時前。 ピンポンが鳴る。

「迎えに行ってくる」

 私は、サンダルをつっかけて、エントランスへ向かう。

 先生だ。

 トレンチコートを羽織って、白いシャツに、黄緑のカーディガン。 黒いパンツ。 今日も、すてき。

「お……おりえちゃん。 あの、急に、ごめんなさい」

 先生は、にこにこしている。 すごいな。 嫌じゃないのかな……。

「全然。 お招きいただいて、ありがとう」

 私は、首をぶんぶん横に振る。

「あの、ママにね、大学、先生の家から行きたいって、言っちゃったの。 そしたら、連れて来なさいってなっちゃって……」

「そんな事かなと思ったわ。 そんな顔、しないの。 あなたの前で、ご挨拶、したかったし」

 並んで、エレベーターに向かう。 先生はちゃんと、おつかいもののお菓子を買って持って来てくれた。 デパートの、紙袋の。



「ただいまー……」

「お邪魔します」

 ゆーっくり、家の扉を開ける。 リビングから、ママのはーい、どうぞ、という声が聞こえる。

「あ、あの、手洗うの、こっちで」

 スリッパを出しながら、案内する。



「こんにちは」

「はい、こんにちは」

 リビングで、先生とママが、ぺこっと挨拶をする。

 な、なんか、ふつう……。 家庭訪問みたいになってる。 カ……カレシだぞ。 ママ、全然びっくりしてないし、怒ってない。

「これ、よかったら。 少しですけど」

「わあ! こ、これ、新しく入ったお店の……。 ね、夕陽ちゃん、あれだよ、ネットで前に見た、かわいいカンカンのクッキーだよ! ですよね?」

 先生は、にこにこして頷く。

 な、なんだ? これ。 大人って、すごいな。 わけわかんない。 私だけが、顔を真っ赤にしてる。

「あ、あのう、ママ。 私、私が、あの、えと、つ、付き合ってるのは」

「年上で、金持ちの、かっこいい、やさしい人なんでしょ。 最高だね。 夕陽ちゃん、すごい人と出会っちゃったね」

「えと……あの…… せ、先生なの……」

「知ってるよ。 授業参観の時、牛丼の歌にめっちゃウケてた先生でしょ」

 先生が私に向かって、口を開く。 やさしい声。

「あのね。 文化祭の時、覚えてる?」

「うん。 私が倒れて、先生が家に連れて帰って来てくれた……」

「あの時にさぁ、ご挨拶、されちゃって。 実は。 いやぁ、ビックリしたなぁ」

 ママが、紅茶の準備をしながら口を挟む。

 先生は、隣に座って、私の方を向く。 内緒にしていてごめんなさいね、と小さく言う。

「授業参観の時に見た、はちゃめちゃ美人の先生が、うちの子を抱っこして帰って来てさ。 お母様に、お伝えしなくてはいけない事が……的な」

 ママが向こうを向いている間に、先生は私のほっぺたにちゅっとする。 頭おかしい。 頭、ぐるぐるする。 手も、きゅっと握られる。

「大変申し訳ございません!みたいな。 まぁ、ビックリしたよ。 その時は」

「そ、そうだよね」

 そりゃ……そうだよね。

「でもさ、夕陽ちゃん、カレシ……えーと、お付き合い始めて、いや、前からいい子だったけど、すっごく前向きないい子になってったからさ。 こりゃあ、大切にされてるし、いいお付き合いだなと……ママはそう思ったわけ」

 紅茶を出しながら、ママはそんなことを言う。

 先生は、頂きます、といって、紅茶を啜る。

 ママも、私たちの向かいに座る。 真っ直ぐ、先生を見る。

「先生。 夕陽ちゃん、大学生になったら、一緒に住みたいんだって。 いい子だし、家のこと、何でもできる。 でも、まだ子どもだから。 今よりもっと、大切にしてくれる? 私の、ひとつだけの宝物なの」



 二人並んで、小さいパイプベッドに腰掛ける。

 私の部屋。 私は何でか、涙が止まらない。 先生は、背中をさすってくれる。

「内緒にしてて、ごめんなさいね」

 私は、首をふるふるする。 鼻をかむ。

「内緒は、いい……。 でももう、内緒はナシ……」

「そうね。 これで本当に、内緒や秘密は、なしよ」

 なんか、何で泣いてるのか、よく分からない。 先生と一緒に住むのが嬉しいのに、ママと離れるのが、寂しい。

「ママ……ママ、一人になっちゃう」

 先生は、私をぎゅっとしてくれる。 いつもより、やさしく。

「寂しくて、泣いちゃうかもしれない。 ご飯も、菓子パンしか食べないかも。 ママ、ちゃんとしてないから……」

 背中を、ぽんぽんされる。

「たった二駅離れるだけだけど、心配よね」

 私は、こくこくする。 

 心配だよ。 片付け苦手で、アイロン掛けも苦手なママ。 子供っぽくて、楽しい、大好きなママ。

「寂しいよう……」

「寂しいわね。 大丈夫、お母様、ちゃんとした、素敵な大人だから。 夕陽が寂しい時は、すぐ送ってあげるから。 ここが、あなたのお家なんだから」



「先生、明日、暇? 今日は遅いし、泊まっていきなよ」

 夕飯を食べながら、ママが気軽に誘う。 そう、私がずうっと泣いていたせいで、先生を遅くまで引き止めちゃって、お夕飯も、一緒に食べてる。 年に一回頼むか頼まないかの、贅沢品……宅配のピザを。

「マ、ママ。 先生、忙しいから。 そんな、気軽に…だめ」

 先生の方、ちらっと見る。 先生も目を合わせて、にっこりして、ママに答える。

「実は…… 車には毎日、下着の替えが。 防災セットの中に」

「うそぉ。 泊まってくの? 先生」

「やったー。 先生、夕陽ちゃんが寝たら、二人で酒盛りしよう。 大丈夫、私、明日はゆっくり行けばいいからさ」

「まぁ! 素敵。 お酒も持ってくれば良かったですね」

「そうだよ。 次はクッキーだけじゃなくて、日本酒頼むよ、嫁」

「ママ! もう!」

 本当、ママ、大好き。 子供っぽくてかわいい、ちょっと変な、たった一人のママ。

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