第88話 これから春になる、まだ寒い日

「試験、おつかれ」

「えへへ。 ありがと」

 私たち、今日はおしゃれカフェで乾杯する。 私は、ホットのカフェラテ。 ケイは桜の香りの、もうそれはコーヒー関係ない気がする、ホイップもりもりの、甘い飲み物。

「つらい期間、長かったよね。 国立受験組はさ」

「うん。 でも、もう終わったし。 結果だけ、あとは」

 ケイはもう、東京で一人暮らしが決まっている。 都内の女子大。 住む所も決まっていて、お父さんが持ってるマンションなんだって。

「東京、遊び来て。 一人暮らし、寂しいから……」

 寂しそうだけど、ほんのちょっと、嬉しそうな気もする。 だけど英梨さんとは、遠距離になっちゃう。 それはきっと、すごく寂しい。

「行く。 行って、ご飯たくさん作ってあげる。 冷凍にして、ちょっとずつ、食べて」

 ケイの、あったかくてぷくぷくの、かわいい手を握る。 ぎゅっと握り返される。

「てか、浮気しちゃったら、どうしよう、自分が。 女子大、合コンとか、多そうだし……。 あたし、遠距離、耐えられないかも……」

「大丈夫だよ! 今だって、毎日会ってるわけじゃないんだし。 毎日、ビデオ通話すればいいよ」

「でも、それじゃ、ぎゅーできないじゃん……。 夕陽のせいで、ぎゅーの気持ちよさ、知っちゃったんだから……」

 ケイは目を閉じて、自分をぎゅーっと抱き締める。 半分はふざけてるけど、きっと、残りの半分は、本気。

 だって私たち、恋する乙女だから。 ほんとに本気で、こんな事を話し合ってる。 先生に言ったら、かわいいわね、って笑うかもしれないけど。



「笑わないわよ。 会えないのは、さみしいことよ」

 放課後、保健室。 先生は自分のカップで、白湯を飲む。 私も、コバルトブルーのカップでミルクティーを飲む。

「私、ほんとに卒業したら先生の家に行っちゃうつもりだけど」

 キャスター付き、背もたれ付きの椅子で、ふらふら動きながら、言う。 先生を、上目遣いに見る。

「ほんとに、来てもらうつもりよ」

 先生も、真っ直ぐ私を見る。 目が合うと、どきどきする。 何回でも、どきどきする……。 なんだか照れて、目を逸らす。

「えへ……。 約束。 じゃ、部屋の片付け、ほんとに始めちゃお」

「どうぞ。 もう、少しずつ運んだっていいわ。 お洋服とか、そういうものだけでしょうしね」

 そりゃ、モノは、そうだけど。 ママに言ったりとかさ…… あるじゃん。 どうやって、報告しよう。 実は結構、悩んでる。



「そういえばさ、卒業式って、先生、何着るの?」

「ふふ。 聞かれちゃったわ。 内緒にしようと思ったんだけど」

 去年は着任式の時と同じ、すてきな白っぽいパンツスーツだった。 脚がかっこよく長く見えて、すごく似合うやつ。

「今年は、一生に一度だから。 大好きなあなたの、卒業式だから。 色無地と、袴にしようかなって」

 袴! 絶対、すてき!

「えっ、すごい、楽しみ、いつ決めたの? やだぁ、皆、先生と写真撮りたくて、行列になっちゃうなぁ…」

 どうしよ、どうしよ。 すっごく楽しみ。 私はキャスター付きの椅子で、くるくる回る。

「あっ、でも、卒業式って一、二年生も出るでしょ。 あー、だめだめ、ファンがますます増えちゃうよう! 私、卒業するから、来年の先生が学校で悪さしないか、見張れないし!」

 回りながら、頭を掻きむしる。 先生は、唇をとがらかす。

「何よ。 悪さなんて、しませんよ」

 椅子に座ったまま、先生の方にしゅーっと移動する。

「入学式で目が合って、きらきらのかわいい子がいたら、保健室に連れてきちゃうかもしれないし。 私みたいに」

「そうね。 あなたみたいに、のこのこ、ここに現れたらね。 そしたら、味見くらいはしてあげようかな」

 先生は、意地悪な笑顔を作る。 二人の顔が近付いて、ちゅっとする。 同時に、ふふっと笑う。

「袴、楽しみだなぁ。 今年だけ?」

「だって、今年だけでしょ。 あなたの卒業式は。 特別よ」

 向かい合って、髪を撫でてくれる。 手も、握ってくれる。

「制服のかわいい姿も、もうすぐ見納めね」

「べつに……。 かわいくないし。 ふつうだし」

「かわいいでしょ。 一番、かわいいわ」

「えへへ……。 先生は、一番きれい。 一番、大好きだよ」

 こうやって、ここでいちゃいちゃできるのも、あと何日もない。 それはとっても寂しいけど、きっと、もっと楽しい毎日が待ってる。

「さあ、そろそろお帰りなさい。 お母様、待っているんじゃなくて?」

「うん。 先生も、あんまり遅くならないでね。 疲れちゃうからね」

 ハイタッチして、バイバイする。



 だいぶ、日が伸びてきた。 真っ暗になる前に、学校を出る。 今日も先生と、たくさん喋った。 毎日会っても、まだ会いたい。 この校舎で、セーラー服でお喋りできるの、あとちょっとでおしまいだから。

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