第10話 リップクリーム


「先生の唇って、きれい」

 いつも、赤い口紅。 なんて言うのかな。 真っ赤じゃなくて、少し薔薇色のような。



「お化粧してますから。 大人は」

 他の先生も、してるけど。 先生の、薄くて、きれいな形の唇が、一番すてき。

 放課後の保健室は、静か。 私は先生の椅子に座って、私専用にしてくれた青いカップで、白湯を飲んでいる。

 先生はベッドの片付けや、次の日の支度をしている。

「あなたも、お休みの日は、お化粧するんですか」

「たまに……。 でも、へたくそだし」

 メイク動画とか見ても、あんまり参考にならない。 私の目はでっかくて、アイシャドウをするとケバくなっちゃうし、口紅は、どういう色が合うのかよく分からない。 相談するような友達も、いない。

 カーディガンのポケットからリップを出して、塗る。 スースーする、よくあるやつ。 お小遣いは少ないから、ママが五本パックで買ってくる中から貰ってる。

「終わっちゃった。 これ、燃えるゴミでいい?」

「いいですよ」

 ゴミ箱に、ぽんと投げる。 入らない。 使い切ったリップが転がる。

「お行儀の悪い。 使い終わったものにも、優しくしなくては、だめ」

「そうなの? はぁい」

 保健室でえっちな事して、職業倫理、ないくせに。 先生は先生だから、私にたまに、お説教をする。



 先生は、リップを拾って、ゴミ箱に入れる。

「次のリップクリーム、ありますか。 スースーするのが、好きなの?」

「別に、好きじゃないよ。 あれしか家にないんだもん」

 五本で二百九十八円のやつね。 中学生とか、大人の男の人がよく使うやつ。 クラスの子は、もっと色がつくかわいいやつを使ってる。

「もし、嫌じゃなければ。 私と同じの、使いますか」

「えっ。 口紅?」

「口紅は、まだ早いでしょ。 リップクリーム。 合わなくなければ」

 先生は、お化粧ポーチを持ってくる。 黒の、小さいポーチ。 そこから、四角い細身のピンクのリップを出す。

「ちょっと、試してみる?」

「うん」

 リップの先を、ティッシュで拭う。 気にしなくていいのに。

「塗ってあげます。 唇、少しだけ開けて」

 なんか、恥ずかしい。 私は目を瞑る。

 まずは、上唇に。 それから、下唇を、往復。 いい香りのリップを、塗ってもらう。

「ぴりぴりしたり、しない? 鏡、どうぞ」

「ぴりぴり、してない」

 手鏡を見ると、ほんの少しピンクがかって、つやつや過ぎないけど、少しだけ光る唇になっていた。

「あっ、なんか、カワイイ……」

 ふふっと、先生がほほえむ。

「違うよ、私が、じゃなくて、リップの色がかわいいの」

「リップを付けた、あなたがかわいいんです」

 先生は、せっかくリップをつけた唇に、キスをする。 私も、背中に腕を回す。 ぎゅっとする。

「キスしても、色はすぐに取れません。 淡いピンクだし、これくらいの色付きは、大丈夫」

 そう言って先生は、さっき付けたリップの、まだ開いてないビニール付きのを、くれた。

「これ、デパートで買うやつでしょ。 もらえないよ」

 駅の近くのデパートで、見たことあるブランド。 買い物に行った時、ママが、「ここのクリーム、使ってみたいな。 六万円。 消費税だけで六千円」って言ってたブランド。

「いいの。 買い置きの分だから」

 先生は、私の手にリップを握らせる。 私は、首をぶんぶん横に振る。

 先生は、リップを握らせた私の手を、上からまたぎゅっ、とする。

「買い置きじゃなくて、ほんとうは、あなたにあげたかったの。 お揃い、いやですか」

「いやなわけ、ないじゃん……。 でも、お返しとか、できないし。 もらいっぱなしになっちゃう」

「お返し、貰いますよ。 ここに来て、リップを付けたら、キスで返して。 できそうですか?」

 そんなの、毎日やってる。 お返しでも、なんでもないよ。 私はありがとう、先生大好き、と言って、すてきなリップをもらった。

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