第8話 コバルトブルーのティーセット

「おはようございます」

「おはよう」

「おはようございまーす」

 だる。 朝は、苦手。 起きるのも苦手だし、元気な挨拶、もっと苦手。

 校門を抜けて、昇降口へ向かいながら、保健室を見る。 先生、いるかな。


 いた。 こっちを見てる。 こっちというか、登校する私たち、皆か。 もう一度、向こうをちらっと見る。 小さく、手を振ってる……気がする。

 嬉しくなって、私も、腰のあたりで小さく手を振る。

「見て! 先生、手、振ってるー」

「えっ、ヤバくない? 私も振る! 先生、いいよねー。 朝からツイてる気がするわー」

 わ、私じゃなかった、のかな。 ばつが悪くて、私は引っ込めた手をポケットに突っ込んで、歩く。



「こんちは」

「こんにちは」

 お昼休み。 意外と、この時間は穴場。 今日も、先生はひとり、金色の枝の絵のカップで白湯を飲んでいる。

「お昼、食べてもいい?」

「ベッドの上は、飲食禁止。 こちらでね」

 座っていた椅子を、譲ってくれる。 先生は、小さな丸椅子に掛け直す。

「白湯って、美味しいの?」

「どうでしょう。 色が付いてるもの、好きじゃないので」

 よく分からない。 そういう健康法なのかな。

 私の顔に、はてなマークが付いていたのだろう。

「色や味が濃いと、毒が入っていても分からないでしょ」

 と、冗談なのか本気なのか分からない、付け足しをした。



 私は、持ってきた菓子パンの袋を開ける。

「お昼、それだけですか」

「そんなに、食べたくない」

 だって、ここに来ると、胸いっぱいになって食べられないんだもん。 なんて、恥ずかしいから先生には言わないけど。

「先生」

「なに?」

「朝……みんなに、手を振ってあげてるの」

 私だけだと思ったのに。 ぼそぼその甘いパンを食べながら、聞く。

「みんなに? どうして」

 だって、先生と目が合って、手を振ってもらったって、喜んでたわ。

 ヤキモチ、かっこ悪いから。 そんな事、言わないけど。

 先生は、ふふっと笑って、言う。

「あなただけに、おはようって言ったんです」

 顔が、近づく。 私の口の横に付いた、パンくずをぺろりと舐める。

「すぐに、手を引っ込めてしまうから」

 手についた甘いかけらも、ぱくりとする。

「私が手を振るの、恥ずかしい? いやでしたか」

「そんなわけ、ない……」

 俯く私の顔を上げさせて、舌を差し込む。

「甘すぎて。 これじゃ、栄養、ありませんよ」

 先生はそう言って、戸棚から、青に金のリボンが描いてある、網目模様のティーセットを出す。

 冷蔵庫から牛乳を注いで、レンジで温める。

「飲んでから、午後の授業に出ましょうね」

「はあ」

 保健室に、こんなきれいなティーセットがあるなんて。 私以外誰も、知らないといい。

 私はきれいなコバルトブルーのカップを撫でながら、ゆっくりホットミルクを飲み終える。 

 先生、微笑みながら、

「そのカップ、あなた専用にしましょう。 お昼にパンしか無かったら、またおいでなさい。 牛乳、温めてあげるから」

 なんて言うから。 私は、もう、絶対毎日菓子パン一個しか持ってこないと、心に決めた。

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