61 聖女と認められる日


 どうして私が王妃様に案内されて、王城の廊下を歩いているのか……。


 いまだにわけがわからない。


 王妃様から王城への招待状が届いたのは、神前試合から五日後のことだった。


 邪教徒達の企みにより、とんでもない混乱が引き起こされた神前試合は、結局、決勝戦を行うことができず、今年の優勝者はなしという異例の事態となった。


 王妃様に指定された日、王城からの迎えの馬車に乗った私は、着くなり侍女達に捕まって一室に連れて行かれ、数人がかりでドレスを着替えさせられ、美しく髪を結われた。


 ようやく支度が終わったところで、計ったように現れた王妃様に手を引かれ、私は、どこがどこやらさっぱりわからぬ廊下を進んでいる。


 行き先はわかっている。王城の謁見えっけんの間だ。


 神前試合の日、会場に潜入していた邪教徒達は、レイシェルト様や他の騎士達の活躍により、一網打尽となった。


 ロブセルさんの取り調べによって、邪神ディアブルガを復活させようとしていた計画の全容も明らかになり、また、主だった信者達が捕らえられたことで、邪教徒達の動きもしばらくは下火になるだろうというのが警備隊の見解だ。


 そして、レイシェルト様を正気に戻し、他にも澱みによって狂乱状態だった人々を回復させた私は、破邪の聖女の力を持っていることが大勢の貴族達の前で明らかになり――。


 ついに今日、国王陛下によって、正式に聖女と認める宣旨せんじが下される運びとなった。


 私がいま着ているのは、聖女であることを示す真っ白なドレスだ。


 繊細な刺繍やレースが施された可憐なドレスは、ため息がこぼれるほど綺麗で、本当に私なんかが着てよいものなのかと心配になる。


 何より、聖女として認められる喜びよりも、不安のほうが大きい。


 つい先日まで邪悪の娘とさげすんでいた娘が、本当は聖女だったなんて、いくら国王陛下が認めたとしても、貴族達の心中は穏やかではないだろう。


 何より――。


 王妃様についていく足がもつれそうになったところで、廊下の向こうに人影が現れた。


 瞳と同じ、晴天を映したような碧い正装を纏って現れた方は――。


「エリシア」


 優雅に微笑んだレイシェルト様が、私と王妃様の元へやって来る。


「そんな堅苦しい挨拶はなしだよ」


 スカートをつまみ、腰を折って挨拶を述べようとした私の手をレイシェルト様が取る。


義母上ははうえ、支度を助けてくださり、ありがとうございました」


「いいえ。わたくしもとても楽しく準備させていただきましたわ。殿下もティアルトも男の子ですから……。女の子のドレスを選ぶのも楽しいものですわね」


 ふふふ、と王妃様が上品に微笑む。まさか、今日のドレスは王妃様が用意してくださったものだとは。ただでさえ恐縮していたドレスがいっそうおそれ多いものに感じられる。


 と、私を見下ろしたレイシェルト様が、甘やかな笑みを浮かべる。


「とても似合っている。綺麗だよ、エリシア」


「っ!?」

 ぱくんっ、と心臓が跳ねる。


 レ、レレレレイシェルト様っ! リップサービスだとしても、麗しいご尊顔と美声で繰り出される誉め言葉は反則技ですっ!


 心臓が! 心臓が口から飛び出しちゃいます~っ!


 あっ! わかりました! ドレスですねっ! ドレスが綺麗ということですよねっ!?


 必死に理性を立て直そうとしていると、レイシェルト様がいぶかしげに眉を寄せた。


「どうかしたのかい? よく聞こえなかったかな?」 


 私の手を持ち上げたレイシェルト様が、ちゅ、と手の甲にくちづける。


「っ!?」

 驚いて弾かれたように上げた視線が、レイシェルト様の碧い瞳とぱちりと合い。


「清らかで愛らしくて……。まるで花の精のようだ。まさに聖女としてふさわしいね」


 無~理ぃ~っ! 無理無理無理っ! 待って! 融ける! 理性が融けちゃいます~っ!


 気を抜けば身体から抜け出しそうな魂を必死で押し留めていると、レイシェルト様が首をかしげた。


「エリシア? 少し様子が……。緊張しているのかい?」


「ほえっ!? は、はいっ。そ、そのやはり……っ」


 とりあえず何か返事しなくてはとこくこくと頷くと、私の手を握るレイシェルト様の指先に力がこもった。


「貴族達の反応が気にかかるのかい? 大丈夫だ。わたしがついている。もう二度と、誰にもきみを邪悪の娘などと呼ばせたりはしない」


 力強い声に心にわずかに安堵が広がる。


「あ、ありがとうございます……っ。ですが、大丈夫です。すぐに変えるのは無理だと承知しておりますので……。その、それより……」


 聖女として認められると決まってから、ずっと心の中に渦巻いている恐怖に、無意識にうつむく。「ああ」と、レイシェルト様が納得したように声を上げた。


水垢離みずごりのことだけれどね」


 水垢離、という言葉を聞いただけで、びくりと身体が震えてしまう。と、握られていないほうの手で、優しく頭を撫でられた。


「学者達に文献を調べさせたんだ。それによると、必ずしも全身に水を浴びる必要はないらしい。手を洗うだけでも、十分に清めになると……。古の勇者とともに戦った聖者や聖女達はそうしていたらしい。そもそも、戦いに明け暮れていたのに、暢気のんきに毎日水浴びなんてできないだろう?」


 私の気持ちを軽くするためだろう。おどけた口調で告げたレイシェルト様に、くすりと笑みをこぼし、こくりと頷く。


「それは確かにそうですね」


「だから、聖女と言えど、無理をして水垢離をする必要はないんだ。何より、わたしがきみに嫌なことをいたくない」


 いたわりに満ちた声に、胸が熱くなる。


「レイシェルト様……っ! 本当にありがとうございます……! 手を洗うだけでいいのなら、怖くありません!」


「ふふっ、レイシェルト様ったら、学者達に命じて、大急ぎで文献を探させたのよね。宣旨までにエリシア嬢を安心させたいんだって……」


「は、義母上っ!」


 楽しげに喉を鳴らした王妃様に、レイシェルト様があわてた声を上げる。端正な面輪はうっすらと紅い。


「当然ではありませんか! 聖女であるエリシアが心穏やかに務めを果たせるように尽力するのは当たり前のことで……っ」


「ええ。レイシェルト様のおっしゃる通りですわね。わたくしも、大切なお友達であるエリシア嬢には、健やかにすごしてほしいですもの」


 にこやかに微笑まれた王妃様が、


「では、後はレイシェルト様にお任せして、わたくしは先に謁見の間に行っておりますわね」

 と告げる。


「あ、あの……っ」

「はい、後ほど」


 ごく自然にレイシェルト様が頷いた様子を見るに、どうやら最初から打ち合わせ済みだったらしい。


 けど……。レイシェルト様と二人っきりってすごい緊張しちゃうんですけれど……っ!


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