50 (幕間)こちらをお贈りしたいと思いまして
くらくらと頭が揺れるのは、きっと熱があるせいだ。
五日前、エリシアが邪教徒に
そばにいた侍女達を厳しく叱責したが、侍女達は何も知らないという。今まで、何年も水垢離の供をしてきたが、水をあたためたことなど一度もない、と。
驚いて考えを巡らせ、気づいたのだ。
これはエリシアの企みに違いない、と。
毎日、噴水の水をあたためることでセレイアの油断を誘い、大切な神前試合の直前で、冷たい水を浴びさせ、体調を崩させるなんて。
邪悪の娘らしい、陰険極まりない策略だ。
本当に、セレイアに風邪をひかせるためだけに、十年以上も毎日水をあたため続けていたのかと、理性がかすかに囁く疑問を、セレイアは怒りのままに握り潰す。
そんなこと、あるはずがない。
邪悪の娘と蔑んでいるセレイアのために、エリシアが水をあたためてくれるなんて、何の得があるというのか。
くすくすと笑う侍女の声に、
「あなたはわたくしを怒らせるために、わざわざ呼び止めたんですの?」
聖女である自分が侍女に侮られていいはずがない。
セレイアは怒りも
「とんでもないことでございます」
表面上だけは恭しく、侍女がかぶりを振る。
「わたくしはただ……。聖女様のお力になりたいと願って、お声をかけさせていただいたのです」
「わたくしの力に? あなたがどうやったらわたくしの役に立てるというのかしら?」
高圧的に問うセレイアにも、侍女の態度は変わらない。
「こちらをセレイア様にお贈りしたいと思いまして」
侍女がもったいぶった様子でポケットから取り出し、包んでいた絹布をはらりと外したのは、手のひらよりも小さいガラスの小瓶だ。中には薄紅色の液体が入っている。
「こちらは、愛の秘薬でございます。想いを
「……わたくしにそんなものが必要だと?」
そんな怪しげな薬に頼るなど……。まるで、レイシェルトの眼中に入っていないと自ら認めるようなものではないか。
「そもそも、そんな秘薬があるのなら、自分自身で使えばいいでしょう? わたくしに贈る意図がわからないわ」
冷ややかに問うたセレイアに、侍女は、
「わたくしのような者が王太子殿下となど……。とんでもないことでございます」
と、恐縮したようにかぶりを振る。
「侍女である私などが王太子殿下と釣り合わぬことは重々承知しております。そんなことより……」
それまで淡々と話していた侍女が、不意に憎々しげに唇を歪める。
「邪悪の娘が王太子殿下と結ばれるなど……っ! そんな事態、許せるはずがございません!」
まるで背中から黒い炎が立ち昇るかのような侍女の怒りに、セレイアは小さく息を飲む。
今までの恭しい態度とは一線を画す生々しい感情の発露。
だが、それがセレイアの心に、侍女の言を信じてもいいかもしれないという気持ちを起こさせる。
そうだ。邪悪の娘なんかがレイシェルトと結ばれるなど……。
そんな事態、あっていいはずがない。
「でも……。愛の秘薬なんて、聞いたことがないわ」
「知る者が限られているからこその秘薬ですわ」
セレイアの不安を払うように侍女が微笑む。なおもためらうセレイアを挑発するように、侍女が小瓶を揺らした。
「セレイア様がご不要というのならよいのです。セレイア様には劣ってしまいますが、他のご令嬢にお渡しするだけでございますから。ああ、そういえば……」
侍女がセレイアを見やり、目を細める。
「王太子殿下はロブセル氏に邪悪の娘と並んだ絵を描かせているそうですわね?」
「っ!?」
前触れもなく与えられた情報に息を飲む。
セレイアがどれほどねだっても、レイシェルトは二人で並んだ絵を描く許可などくれなかったというのに。
「……その瓶の中身を、レイシェルト殿下に飲ませればよいのね?」
「はい、邪悪の娘に負けぬようにとセレイア様が想いを籠めれば籠めるほど、効果が発揮されるそうですわ」
歩み寄った侍女が、差し出したセレイアの手に、絹布に包み直した小瓶をそっと握らせる。
「ですが、愛の秘薬であることを知られれば、力を失ってしまうとか……。どうか、私がこれをさしあげたことはご内密に」
「もちろんよ。誰にも言ったりしないわ」
小瓶を握りしめ決然と頷く。
こんなものに頼ったと余人に知られるなど、セレイアの誇りが許さない。
それでも。
決してエリシアにレイシェルトを渡したりなどしないと、セレイアは唇を噛みしめた。
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