46 警備隊長がお嬢様にお会いしたいといらしてますが?


「襲われた翌日に兄さんの店に行くなんて正気ですか!? そんなこと許可できません! 兄さんにはわたくしが使いを出しておきますから!」


 と、憤然と反対したマルゲの言葉に甘え、翌日、私は初めてヒルデンさんのお店を休んだ。


 マルゲが心配する通り、正直、今の精神状態で他の人の話を聞けるとは思えない。


 一晩経っても、気を抜くとすぐに涙がこぼれそうになる。昨日、ジェイスさんになだめられ、離れに送ってもらった後も、さんざん泣いたというのに。


 マルゲは私が情緒不安定な理由を、邪教徒達にさらわれて恐ろしい目に遭ったからだと思っているらしい。


 朝も昼も私の好物ばかり用意してくれたどころか、お茶の時間である今は、甘いお菓子とホットミルクまで用意してくれた。


「ありがとう……」


 居間のテーブルにつき、マルゲに丁寧にお礼を言う。

 ころんと丸い焼き菓子を見ていると、王城でのお茶会を思い出してしまう。


 レイシェルト様に軽蔑された私は、もう二度とお茶会に招かれることもないだろう。


 そう考えるだけで、またじわりと涙があふれそうになり、あわててカップに口をつける。


 マルゲが気を利かせて蜂蜜を入れてくれたらしい。蜂蜜の甘さとミルクのあたたかさが、胸の中が渦巻く哀しみをほんの少しだけ慰めてくれる。


 と、離れの扉を叩く音が聞こえた気がして、耳をそばだてる。


「見てまいりますので、お嬢様はごゆっくりなさっていてください」

 一礼したマルゲが居間を出ていく。


 せっかくだけれどお菓子は食べる気になれず、両手でカップを包み込んでちびちびとホットミルクを味わっていると。


「あの……。警備隊長のジェイス・エランド男爵がお嬢様にお会いしたいと来ておりますが、いかがいたしましょうか?」


「ジェイスさんが?」

 私の呟きに、マルゲが意外そうに目を瞬く。


「ご存じなのですか?」


「ヒルデンさんのお店で、エリとして何度も会っていて……。それに、昨日送り届けてくれたでしょう?」


 ああ、とマルゲが声を出す。さしものマルゲも、昨日は泣きはらした私の相手に手いっぱいで、ジェイスさんにまでは気が回らなかったのだろう。


 思えば、昨日はうっかりジェイスさんの名前を呼んでしまった。

 サランレッド公爵家のエリシアは、ジェイスさんとは初対面のはずなのに。


 だが、さすがに占い師のエリと公爵令嬢が同一人物だとは思うまい。


「どうなさいますか?」


 面会をお望みでなければ追い返しますよ、と言外に匂わせながらマルゲが尋ねる。

 過保護っぷりを発揮するマルゲに私は小さく笑ってかぶりを振った。


「大丈夫、会うわ。きっと取り調べの関係で確認したいことがあるんでしょう。それに、ジェイスさんなら、昨日、ご迷惑をおかけしたことお詫びしないと」


 ジェイスさんにかけてしまった迷惑を思い出すと、恥ずかしさと情けなさで頬が熱くなる。


 結局、ろくに話すこともできずに泣きじゃくるばかりで、手を引いて馬車まで連れて行ってもらった挙句、乗ってからもずっとよしよしと頭を撫でてもらっていた。小さい子どもだって、もう少しましだろう。


「お嬢様がそうおっしゃるのでしたら……。ご案内いたします」


 いったん居間を出たマルゲが、すぐにジェイスさんを伴って戻ってくる。紅茶を用意するためだろう。ジェイスさんを案内したマルゲがすぐに出ていった。


 ジェイスさんが入ってきたところで、私はさっと立ち上がると公爵令嬢らしくスカートをつまんで丁寧におじぎする。


「エランド隊長。昨日はご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした」


「あ、ああ。いや……」

 ジェイスさんが戸惑った声を上げる。


「その……。調子はどうなん……。いや、いかがですか?」


「どうぞ、話しやすい口調で楽になさってください」


 たどたどしく言い直したジェイスさんに、演技ではない自然な笑みが、昨日以来初めてこぼれ出る。


「お気遣いいただきありがとうございます。一晩、ゆっくり休ませていただいたので、もう大丈夫です」


 にっこりと微笑んで告げる。


 嘘だ。本当はずっと、胸の奥が悲鳴を上げ続けている。


 けれど、これ以上ジェイスさんに心配をかけたくなくて、無理やり笑みをはりつける。


「どうぞ、おかけください。すぐにマルゲが飲み物を持ってまいりますから。邪教徒の取り調べの件でいらしたのでしょう?」


 椅子をすすめ、これ以上、調子を聞かれる前にと、こちらから話題を振る。


「私がお役に立てるかどうかはわかりませんが……。邪教徒達の目的は、明らかになったのでしょうか……?」


「それなんだが……」


 ジェイスさんが精悍せいかんな面輪をしかめる。ジェイスさんの話によると、今回、捕らえられた男達が、暗躍している邪教徒すべてではないらしい。


 私をさらい、澱みを得ようとした者達以外にも別の計画を企んでいる者がいるそうだが、警備隊の想像以上に邪教徒達は多く、しかも、今回の逮捕者の中に全体の企みを知っている者はいなかったのだという。


「安心してくれ。公爵様に許可を取って、屋敷の周りに警備隊員を配置している。もう二度と、危険な目になんざ遭わせねぇよ」


 話を聞くうちにどんどんうつむく私を気遣ってくれたのだろう。ジェイスさんが頼もしい声で断言する。


「だから、しばらくは一人で出歩いたりせず……」


 真剣な面持ちで注意していたジェイスさんが、不意に「あー」とがしがしと髪を搔き乱す。


「すまねぇ。不安にするために来たワケじゃねぇんだ。ただ、エリのことだから無理してヒルデンさんの店に行くんじゃないかと心配でいても立ってもいられなくて……。ただただ、俺が顔を見たくて来たんだよ」


「え……?」


 驚いて顔を上げた私を、ジェイスさんが真っ直ぐに見据える。


「知ってたよ、ずっと。占い師のエリが、サランレッド公爵家のエリシア嬢だって」


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