36 本邸への呼び出し


 お母様付きの侍女が、すぐに本邸へ来るようにというお母様の命令を伝えに離れに訪れたのは、ロブセルさんのアトリエに行くための準備を終える頃だった。


「本邸への出入りを禁じてらっしゃるのは奥様ですのに……。その本邸へ急に来るようにとは、いったいどういうことですか?」


 マルゲが厳しい表情でまだ年若い侍女を睨みつける。侍女は怯えて半泣きの顔でかぶりを振った。


「わ、私は理由までは存じ上げません……っ! ただ、奥様もお嬢様もひどくお怒りでございまして、今すぐ邪……あ、いえっ、エリシア様をお連れするようにと……っ」


 きっと侍女は本当に何も知らされずに遣わされたのだろう。私が渋って行くのが遅くなれば、後でお母様にきつく叱られるに違いない。


 侍女が泣きそうになっている理由が、お母様の叱責を恐れているのか邪悪の娘である私が怖いのか判然としないが、このまま放っておくのは可哀想だ。


「わかったわ。すぐに本邸に向かいます」


「よろしいのですか?」

 マルゲが気遣わしげに眉を寄せる。


「まもなく、お迎えの時間が……」


 今日は、ロブセルさんが馬車で迎えに来てくれて、アトリエのある屋敷まで案内してくれることになっている。


「マルゲ。もし私が戻ってくるより早くいらっしゃったら、お詫びを申しあげて、待っていただけるよう伝えてもらえる? お母様のお話がどのくらいかかるかわからないけれど……。できるだけ早めに終わるよう、祈っていてちょうだい」


「……かしこまりました」

 マルゲが不承不承という顔で頷く。


「さあ、すぐに向かいましょう」


 お母様のことだ。待たされれば待たされるほど、どんどん不機嫌になるに違いない。


 侍女を促し、一緒に離れを出ると、


「あ、あのっ! 私、エリシア様が来られますと奥様に伝えてまいりますので! ゆっくりおいでください!」


 強張った顔でぺこりと一礼した侍女が、返事も待たずに走り出す。逃げ出すというのがぴったりな恐怖に満ちた様子に、ずくりと胸が痛む。


 このところ、レイシェルト様や王妃様、ロブセルさんのように、私を邪悪の娘だと恐怖や嫌悪の目で見ない方々とお会いすることが多かったから、気が緩んでいた。


 他の人からすれば、やっぱり私は邪悪の娘で、忌むべき存在なのだ。


 私を嫌悪しない方と出会えたことが奇跡にほかならないのだと肝に銘じて、ちゃんと身を慎まなくては。現実を見誤って、浮かれて醜態しゅうたいを見せるわけにはいかない。


 自戒しながら本邸への道のりを歩く私のそばを、晩秋の冷たい風が通り過ぎていく。


 今日はあいにくの曇り空だ。まだ午後も早い時間だが、まるで私の心を映したかのように、分厚い灰色の雲は重く淀み、陽射しを遮っている。


 私と顔を合わせることすら嫌悪し、本邸への出入りを禁じているお母様が、私を呼び出すなんて、きっとよほどのことがあったのだろう。だが、行かないという選択肢はない。


 本邸の正面玄関の大きな扉の前に着くと、待ち構えていた門番がすぐさま扉を開けてくれた。


「し、失礼いたします。お待たせして申し訳ありませんでした……」


 一歩入った途端、お母様の姿が視界に入り、あわてて深々と頭を下げて詫びる。と、即座に鋭い声が飛んで来た。


「この悪魔! いったいどんな邪法を使ったの!?」


「あの……?」


 お母様が何に怒ってらっしゃるのかがわからない。

 戸惑った声を上げると、お母様の目が吊り上がった。


「しらばっくれる気なの!? これよっ! ティアルト様のお茶会に招かれたばかりか、王妃様までたぶらかすなんて……っ! 邪悪の娘がそんな奇跡にあずかれるわけがないでしょう!? 正直におっしゃい! どんな邪法を使ったの!?」


 怒りに震えるお母様が手に握りしめているのは、一通の封筒だ。それを見て、私はようやく事態を把握する。


 二日前のお茶会は、ティアルト様のお茶会の時に口約束で日程を決めたものだったので、別れ際、王妃様は「次の招待の時にはちゃんとお手紙を出すわね」とおっしゃっていた。


 まさか公爵令嬢が離れにいるとは思わなかった王妃様の使いが、離れではなく本邸へ手紙を届けてしまったのだろう。


「聖女であるセレイアや、その母親であるわたくしでさえ、王妃様のお茶会にお招きいただいたのはほんの数回だというのに、邪悪の娘がこんな短期間に王家の皆様にお招きいただくなんて……っ! 何か邪法を使ったんでしょう!? でなければ、こんなことが起こるはずがないわっ!」


「そ、そんな……っ! 私、邪法だなんて使えません!」


 そこまでお母様に疑われているのかと、ずきずきと胸が痛くなる。祈るように震える両手を胸元で握りしめると。


「少し落ち着いてくださいませ、お母様」


 呆れ混じりのセレイアの声が割って入った。


 その声に、私はようやく玄関にお母様だけでなく、セレイアとお父様もいらっしゃったことに気づく。


「邪法を使ったかどうかは、重要な問題ではありませんわ」


「セレイア……っ!」


 私を庇ってくれるかのような言葉に、喜びに胸がじんと熱くなる。

 セレイアが愛らしい面輪をしかめ、ふぅと吐息する。


「残念極まりないことに、邪悪の娘がサランレッド公爵家の者であることは隠しようのない事実なのですもの。でしたら、邪法を使ったことが明らかになれば、わたくし達の名誉まで、巻き添えで地に落ちてしまいますわ。それくらいなら、真実など明らかにならないほうがよろしいではありませんの」


「セレ、イア……?」


 あれ? お母様の言葉にショックを受けてぼうっとしていたせいか、なんか今、セレイアの言葉に含みがあったような気が……?


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る