25 これって、現実……?
「確かに、エリシア嬢が目覚めたら、すぐに帰るという約束だったね。さすが、公爵家の侍女だけあって職務熱心だ」
「当然でございます。このような夜更けに王太子殿下が離れにいらっしゃったと余人に知られれば、すこぶる困った事態になりますでしょう。――お互いに」
レイシェルト様の柔らかな笑みとは対照的に、口調こそ恭しいものの、マルゲはにこりともしない。
マ、マルゲ……っ!?
レイシェルト様を見て、表情筋がぴくりとも動かないなんて、なんという鋼の理性なの……っ!? すごすぎる……っ!
私が気絶したせいで、よりにもよって王太子殿下にご迷惑をおかけしてしまったから、内心で滅茶苦茶怒ってるんだろうなぁ……。マルゲって、怒りすぎるとかえって無表情になるもん。
「わたしは望むところだが。しかし……」
私を振り返ったレイシェルト様が、甘やかに微笑む。
「エリシア嬢に迷惑をかけるのは本意ではないからね。今夜のところは、彼女の名誉のためにきみの忠告に従って帰ろう」
「ええ。わたくしが
「どうやらきみは、エリシア嬢に心から仕えてくれているらしい。安心したよ」
包み込むように微笑んだレイシェルト様が、椅子から立ち上がる。
「あ……っ」
「どうしたんだい?」
問われて、無意識にレイシェルト様のマントの裾を掴んだことに気づく。
「も、申し訳ございません……っ」
あわててぱっとマントを放す。
だ、だって……っ。レイシェルト様がこの場にいらっしゃるのが、まだ信じられなくて……っ!
と、私はとんでもない忘れ物をしていたことにようやく気づく。
「あ、あのっ、お礼を申しあげるのが遅くなって申し訳ございませんでした! とんでもないご迷惑をおかけしたというのに、わざわざ連れ帰ってくださるなんて……っ。本当に、ありがとうございます」
ベッドに正座したまま、深々と頭を下げる。
この世界に土下座はないとはいえ、私の気持ちとして、これくらいやらないと気が済まない。
「とんでもない。エリシア嬢、どうか顔を上げてほしい」
私の肩に手をかけたレイシェルト様が、そっと私の身体を起こす。
「きみを驚かせてしまったことは申し訳なかったが……。だが、一方で安堵してもいるんだ」
「……?」
わけがわからず小首をかしげた私に、レイシェルト様が柔らかな笑みを浮かべる。
「わたしはエリシア嬢のことを知っているのに、いつまでもきみに正体を黙っているのは心苦しかったからね。だから、謝ったりしないでほしい」
レイシェルト様が、ベッドについていた私の片手を取る。
「ではね、エリシア嬢。ティアルトの茶会で会えるのを楽しみにしているよ」
身をかがめ、恭しく私の手を持ち上げたレイシェルト様が、ちゅ、と手の甲にくちづけを落とす。
「ゆっくり休むんだよ。おやすみ」
耳を融かす美声で告げたレイシェルト様が、身を起こし
「見送りは不要だ。ちゃんと人目につかぬよう、裏口から出ていくから」
フードをかぶり直したレイシェルト様が歩きながらマルゲに告げて部屋を出ていく。
ぱたりと扉が閉まるまで、姿勢のよい後姿を
「……マ、マママルゲ……」
「お嬢様! まったくもう! おやめくださいまし! 気を失われたお嬢様がフードをかぶった男に背負われて帰った来たのを見た時は、わたくし、心臓が止まるかと――っ! お嬢様?」
私を振り返り、憤然とお説教をし始めたマルゲが、途中でいぶかしげに眉をひそめる。
「どうなさったのですか? もしや、気を失った時に頭を打ったりなんて……っ!? もしそうだとしたら、王太子殿下といえど、容赦いたしません! そもそも、わたくしの大切なお嬢様に手を出そうなど……っ! 珍しく見る目がある点は評価してさしあげないこともございませんが……っ!」
マルゲが鬼のような形相で何やら叫んでいるが、ろくに耳に入らない。
「マルゲ……。ねぇ、これ現実……?」
レイ様が本当はレイシェルト様で、ついさっきまで私のベッドのすぐそばにいらっしゃって。
占い師のエリが邪悪の娘であるエリシアとわかっても、
ひゃあぁぁぁっ! だ、だめだ……っ! 思い出すだけで融けちゃうぅ……っ!
「
胸から心臓が飛び出すんじゃないかと、ぎゅっと胸元を押さえる私とは対照的に、すこぶる冷静な声音でマルゲが告げる。
「現、実……」
確かめるように呟いた瞬間、ひときわ大きく鼓動が跳ねた。
ということは、レイ様、ううん、レイシェルト様にときめいていたのも、推し様ご本人だったわけだからむしろ当然! これからはレイ様も心おきなく推して問題なしってことよね……っ!?
ぱぁっ、と目の前が開けたような心地がする。
「あ、でも……」
きっともう、レイ様にお逢いする機会は二度とないだろう。
レイ様がヒルデンさんのお店に来たのは、腕のいい占い師がいるという噂を聞いたからだし、今日は、先週うやむやに別れてしまったのを気になさっていたからだろうし……。
身分がバレる危険を冒してまで、ヒルデンさんのお店に来る必要は、まったくない。
そう考えた途端、つきんと胸が痛くなる。
同時に、己の愚かさを呪いたくなった。
レイシェルト様お忍び庶民バージョンだなんて……っ! そんな超レアなお姿、滅多に見られるものじゃないんだから、もっともっと目に焼きつけておけばよかった……っ!
ああっ! 己の愚かさが恨めしい……っ!
「マルゲ……。私って、ほんと馬鹿ね……」
がっくりと肩を落としてうなだれると、マルゲが慌てふためいた声を出した。
「お嬢様!? そこまで落ち込まれるなんて……! もう、それでは叱るに𠮟れないではありませんか……。わかりました。今日のことは不問にいたしますから、今宵はもう、お着替えをなさってゆっくりおやすみくださいませ」
いつになく優しいマルゲの声に、私は素直に頷いた。
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