16 おまじないをいたしましょう


「ティアルト殿下は、邪神を封じられた勇者の血を受け継いでらっしゃいますよね?」


「そ、そうだぞ……っ!」


 急に話しかけられたティアルト様の小さな肩がびくりと震える。だが、王家の一員である誇りが沈黙を許さなかったのだろう。まだ顔を背中に押しつけたままだが、きっぱりとした返事が戻ってくる。


「私は邪悪の娘と呼ばれておりますが……。どうでしょう? 立派な牙が生えていたり、鋭い鉤爪かぎづめを備えていたりしていますか?」


 おずおずと顔を覗かせたティアルト様が、目が合った瞬間、ぴゃっと巣穴に引っ込む子うさぎみたいにレイシェルト様にしがみつく。


「う、ううん……。何もついていない……」


「おっしゃる通り、私は髪と目が黒いだけで、あとは他の方と特に変わりません。勇者の血を引かれるレイシェルト殿下は、ふつうの女性が恐ろしいのですか?」


「こ、怖くなんかないやいっ!」


 あえて挑発的な声で問うと、打てば響くような答えが返ってきた。兄の陰から顔を出したティアルト様が、勝気そうに私を睨みつけている。


「さすが勇者を血を受け継ぐ王子様でいらっしゃいますね!」


 褒めちぎると、だが、へにょんとティアルト様の眉が下がった。


「……本当に、何も怖いことしたりしない……?」


「はい。いたしませんよ。ああでも……。ティアルト殿下におまじないをかけることはできます」


 怖がらせないよう優しく微笑んで告げると、ティアルト様がこてん、と愛らしく小首を傾げた。


「おまじない……?」


「はい。ティアルト殿下に悪いことが起こらないようにと。勇気がおありでしたら、試されてみますか?」


 そっと右手を出しだすと、


「こ、怖くなんかないよ! 僕はいつか勇者様になるんだから!」


 ふんすっ、と勢いよく鼻息を出したティアルト様が、小さな手を私の手のひらに重ねた。


「では、少し失礼いたしますね。目を閉じて、大切な方のことを思い浮かべてください」


 促されたティアルト様が素直に、でも少し不安なのだろう。もう片方の手でしっかりとレイシェルト様の服を掴みながら目を閉じる。


 その愛らしさに心がほぐされていくのを感じながら、ティアルト様の頭をそっと撫でて、いつもの占いの時のように黒い靄を祓う。


「ティアルト殿下と殿下の大切な方々に幸せが来ますように……」


「っ!? きみは……っ!?」


 瞬間、レイシェルト様が鋭く息を飲んだ音が、夜気を震わせる。


 し、しまったぁ――っ! あんまりティアルト様がお可愛らしくて、つい頭をなでなでしちゃったけど、王子様を撫でるなんて不敬極まりなかったよねっ!? いやぁ――っ! レイシェルト様に呆れられちゃう――っ!


「わぁっ! 怖いのが飛んでった気がする……っ! あっ! こ、怖くなんかなかったんだからねっ!」


 あせあせと首を横に振ったティアルト様が掴んでいた服を放し、ぴょこりと可愛くおじぎする。


「その……。ぶつかって、大きな声を出してごめんなさい……」


「とんでもないことです。私もよそ見していたので、お互い様ですね」


 可愛い……っ! 天使がここにいる……っ!


 脳内で天上の鐘がりんごーん♪ と鳴り響くのを感じながら、視線を合わせてにっこりと微笑み合う。


「ちゃんと言えたね、ティアルト。さすが、勇者の血を引く強く正しい子だ。他人の言に惑わされず、ちゃんと自分の目で、偏見なく見ることは、とても大切なことだよ」


「えへへぇ~」


 よしよしと兄上に撫でられたティアルト様が、とろけるような笑顔を浮かべる。


 と、尊い……っ! 何この兄弟愛にあふれたやりとり……っ! 天国だ……っ! 天国の光景が目の前に広がってる……っ!


 大丈夫、私っ!? 神々しすぎて目が潰れるんじゃない!?


 今にも昇天しそうな心を引き留め、一秒たりともこの至高の光景を見逃すか! と目をかっぴろげていると、「あっ!」と、ティアルト様が、とっておきのアイデアを思いついたと言わんばかりに手を打ち合わせた。


「じゃあじゃあ、エリシア嬢と仲良くできたってお母様に言ったら、お母様も褒めてくださる!?」


「ああ、きっとそうだと思うよ。だが、義母上ははうえは今夜はお忙しいだろうから……」


 ちらりとレイシェルト様が私を流し見る。


「今日のお詫びも兼ねて、後日、エリシア嬢をお茶会に誘うというのはどうだろう? もちろん、義母上にもご出席いただいてね」


 …………はい?


 いま何とおっしゃられました……? 信じがたい言葉が聞こえてきたんですけれど……っ!?


「わあっ! 素敵! もちろん主催は僕だよね!? 僕、今まで主催したことないんだもん!」


「ああ。個人的な小さなお茶会だからね。ティアルトにとってもよい練習になるんだろう」


「やったあ! あのね、僕食べたいお菓子がいっぱいあるんだ……っ!」


 尊い! 尊すぎるよ! 何この天使と神の会話……っ! 尊すぎて、話してる内容が一つも理解できないのですが……っ!


「というわけで、エリシア嬢。きみを茶会へ招待したいんだが……」


 いえいえいえっ! 邪悪の娘である私なんかが、王妃様やティアルト様と一緒にお茶をいただくなんて……っ!


「きみが来てくれたら嬉しいのだけれど、受けてくれるかい?」


「は、はいっ! 喜んで! 万難を排して出席させていただきます……っ!」


 無~理ぃ~っ! レイシェルト様にこんな風に問われて否と答えるなんて、天地がひっくり返っても不可能だってば~っ!


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