【12/1大改稿の書籍発売!】転生聖女は推し活初心者! ~聖女なのに邪悪の娘と蔑まれる公爵令嬢は推し活に励み過ぎて王子の溺愛に気づかない~【WEB版】

綾束 乙@8/16呪龍コミック2巻発売!

1 最期の願いは「もっと推し活がしたい……っ!」


 あと一時間もしないうちに、舞台に立つ生のれい様を観られる……っ!


 そう考えるだけで口元がにやけるのを抑えられない。いやむしろ、あふれる幸福感のままに踊りだしたい! 道行く方々にわけもなく「ありがとうございます!」と言ってまわりたいっ!


 いや、しないけど。日曜日の昼過ぎの人通りの多いこんな街中でそんなことをしたら、通報案件だし。


 身体の中で抑えきれない衝動を吐き出すように、はぁっ、と手袋に包まれた指先に息を吹きかける。ついでに口元も隠せるし。


 でもでもっ、今にも叫び出したい衝動が抑えられないっ!


 私は心の中で待ち合わせの相手であり、私に玲様の存在を教えてくれた親友のみっちゃんに語りかける。


 みっちゃん、来る日も来る日も、チケットが当選しますようにって、二人で空に祈った甲斐があったねっ! チケットが取れたってわかった時の感動は、昨日のことのように思い出せるよ!


 大丈夫! 舞台の原作になった小説は、そらんじられるほど読み込んで来たよっ! 私、こんなに暗記が楽しかったこと、人生で初めてっ!


 ほんともう、推し活を教えてくれたみっちゃんには感謝しかないよっ! 心の友と書いて心友しんゆうだよっ!


 早く来ないかなぁ……。いや、今日の舞台が楽しみすぎて、早めに来ちゃったのは私だけどさ……。


 ああっ! 舞台に立つ玲様ってどんな感じなんだろう!? 「テレビとは全然違うんだよ! 舞台の空気っていうのは!」って、みっちゃんは力説してたけど……。


 ……ん? ということは……。


 私、これから玲様とおんなじ劇場の空気吸うの? 憧れの玲様を生で初めて見られるだけじゃなくて?


 考えた途端、ぱくんっ! と心臓が跳ねる。


 え。無理。

 無理無理無理っ!


 私なんかが玲様と同じ空気を吸っちゃうなんて、そんなのおそれ多すぎる……っ!


 そうだっ! なんか袋っ! 玲様が呼吸した劇場の空気を持って帰って真空パックできる入れ物……っ!


 おろおろと周りを見回した私の視線が、今だけは会いたくなかった顔を人混みの中に見つける。


 あわてて回れ右して、背後に流れる川の水面みなもを見ているふりをしようとしたけど、あちらも同時に私に気づいていたらしい。


絵理えり! お前、こんなところで何してるんだよ!?」


 斬りつけるようにキツい口調に、びくびくと振り返る。


「お、お兄ちゃん……」


 嫌だ。お兄ちゃんには言いたくない。

 私のことは馬鹿にされてもいいけど、玲様とみっちゃんだけは誰にも馬鹿にされたくない。


「お、お兄ちゃんは、これから予備校?」


 卑怯ひきょうだと思いながら質問に質問で返す。お兄ちゃんがそれ以外の用事でいるわけないってわかっているのに。


 毎日遅くまで勉強しているからだろう。うっすらと目の下にくまがある顔は、どこか切羽詰まって見える。


 寒い中、大変だよね。入試までもうすぐだもんね、無理しないでね。


 応援の言葉を口にするより早く、お兄ちゃんが顔をしかめて不機嫌に言い捨てる。


「見ればわかるだろ。共通テストまでもう間がないんだから……」


 お兄ちゃんの肩の辺りに、黒いもやが湧きだしたのが見えた。


 きっと、苛立ってるんだ。志望校の合否判定がなかなかA+にならないって、昨日、お母さんに叱られてるのを聞いたもん。


 小さい頃から、私にはなぜか人の負の感情が黒いもやになって見える。

 まるで絡みつく蛇みたいにうねる黒い靄は、今にも牙をいて私に飛びかかってきそうで……。


「た、大変だね……」


 弱い犬がおなかを見せて降参するように、へへっ、と強張った笑いを浮かべると、お兄ちゃんの目が苛立いらだたしげにすがめられた。


「いっつもへらへらと……。馬鹿は気楽でいいよな。こっちは両親の期待を一身に背負って、毎日必死で勉強してるってのに、お前ばっかり毎日のんきに……っ」


 お兄ちゃんから立ち昇る靄がさらにどす黒く、大きくなる。


「……で。お前はここで何してるんだよ?」


 刺すような視線に、逃げられないんだと察しておどおどと答える。


「と、友達のみっちゃんと待ち合わせ……」


「待ち合わせぇ? 学校でもつるんでるって言ってたのに、休みの日までか? はっ、馬鹿はほんと楽でいいよな。日曜日にわざわざ会って、何をするって言うんだよ?」


 にらみつけられ、口元が無意識に震え出す。それを誤魔化すように、私はにへら、と笑った。


「ぶ、ぶらぶらとか……?」

「嘘をつくなよ」


 お兄ちゃんが目をすがめると同時に、黒い靄が大きくうねる。


「そんな大荷物で歩き回るっていうのか?」


 ぐいっ、とお兄ちゃんの手が、肩にかけてた鞄のベルトを乱暴に掴む。


「だめ……っ!」


 反射的にお兄ちゃんの手を振り払い、両腕でぎゅっと鞄を抱え込む。


「こ、この中には、ほんっと大事なものが詰まってるんだから!」


 舞台の後でみっちゃんと思いっきり語ろうって、原作になった本とか玲様の写真集とか、記事が載った雑誌とか……っ!


「き、今日は舞台に行くの! お、推し様の舞台に……っ!」


 言っちゃダメだ。

 頭の片隅で理性が叫ぶ。でも言葉は勝手に飛び出していた。


「推しぃ?」


 お兄ちゃんの唇が馬鹿にするように吊り上がる。


「なんだよそれ、くっだらない」

「く、くだらなくなんかないよっ!」


 私が言い返したのが、よっほど意外だったんだろう。お兄ちゃんがきょとんと目を見開く。


 かと思うと、すぐにその目に怒りが満ちた。


「くだらないだろ! 進学に何の役にも立たないっていうのに! そんなだからお前は母さんに見捨てられたんだよっ!」


 どんっ! と。


 お兄ちゃんの言葉が心を穿うがつ。

 同時に、肩に強い衝撃が走って。


 ぐらりと傾いだ身体が、川縁かわべりの柵を越える。


「あ……っ」


 だめっ! 鞄を濡らしちゃ……っ!

 反射的に強く鞄を抱きしめる。


 呆然とした顔のお兄ちゃんの顔がやけにゆっくり見えて。


「絵理っ!」


 とっさに欄干らんかんに足をかけ、川へ飛び込みかけたお兄ちゃんを、そばにいた人が掴んで止める。


 ああ、よかった、と安堵した途端、どぷんっ! と川に身体が沈む。


 身を切るような冷たさに、一瞬で意識が飛びそうになった。


 ごぽごぽと濁った音が耳の中で聞こえる。落ちた拍子に飲んでしまった水が、体内から私を凍らせる。


 泳がなきゃ。でも鞄を放せない。何より川の流れが速い。


 私、このまま死んじゃうの? 玲様にも会えないままで?


 嫌だっ! 玲様に会えたら死んでもいい! むしろ死んじゃう! なんて思ってたけど、玲様に会う前に死ぬなんて……っ! 死ぬんだったら玲様を拝んで呼吸困難になって死にたいっ!


 推し様をこの目で見るまで死ねない! のに……っ!



   ◇   ◇   ◇



 私、もっと推し活がしたい……っ!


「ほんぎゃぁ~っ!」


 叫ぶと同時に、世界が光で満ちる。


「お生まれになりました! お嬢様でございます!」


 私を抱き上げて叫ぶ誰かの声。


「まあっ! では予言通り聖女なのね! どんな子なの!? 早く顔を見せて!」


 私、この声を知ってる。ずっと私が生まれるのを待ち望んでいてくれた人。


「いや……。どうか落ち着いて聞いてくれ。この子は聖女じゃない……。まさか、我がサランレッド公爵家から、邪神の色を宿した娘が生まれるなんて……っ!」


 男の人の苦渋に満ちた低い声に、女の人の叫びが重なる。


「嘘っ! 嘘よ嘘っ! 予言では、公爵家に聖女が生まれると! わたくしが聖女の母となるはずなのに……っ! 赤ちゃんを! わたくしのエリシアを見せてっ!」


「いけませんっ、奥様! ご出産を終えられたばかりなのに、そんなに興奮されては……っ!」


 にわかに周囲が騒がしくなる。


 聖女って何? 私はこれから玲様の舞台に行って……。


 あたたかなお湯につけられた私の意識がとろんとほどける。

 ああでも今は、疲れて眠りたい……。




 細瀬ほそせ絵理えり、享年十七歳。

 あの世に行っても推し活がしたいと思いながら川に流され、次に目覚めた時。



 私は、アルスデウス王国の公爵令嬢、エリシア・サランレッドとして生まれ変わっていた。



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