深海列車と銀河鉄道
北原小五
第1話
誰がなんと言おうとも、世の中には勝ち負けが存在する。少なくとも佐倉絵未(えみ)はそう考えていた。
たとえばそれは学内の成績であったり、運動神経であったり、年収の多さや、名誉や名声だったりもするだろう。その点でいうと佐倉は目下、勝ち組になることが人生の最優先事項だった。
なのに、にもかかわらず、だ。
「また二位……!」
昇降口に張り出された上位成績一覧表を前に佐倉はうなだれる。人目がなかったら、その場で膝をついていたかもしれない。
落ち込む佐倉はそそくさと鞄を持ち、自分の通う教室である二年五組へ向かう。扉をスライドさせ、後方の席に座った。話しかけてくる友人はいない。佐倉は人好き合いが苦手なのだ。
「おはよう、弥生」
ふとその名前が耳に引っかかり、教室の前方を見てみる。そこにいたのは学年順位不動の一位、秀才・春宮弥生(はるみや やよい)がいた。
柔らかくてさらさらしている茶色っぽい髪に、ふんわりとした栗色の瞳。手足がすらりと長くて、なにより美人。そして何といっても、佐倉と違い、彼女は体育も得意だ。
私と勝ち組の差、なのかな。
春宮から目をそらし、そんなことを考える。
佐倉の家は貧しかった。小さい頃に離婚をして、父子家庭で弟と共に育った。けれどその父も病気がちであまり長時間は働けない。年の離れた弟を大学に行かせてあげるためにも、なにより貧乏から脱するためにも、『勝ち組』になるのは佐倉にとって大切で必ず成し遂げなければならない目標である。
いい大学に入って、いい就職先を見つけ、家族を養う。その最終目標が叶えば、この三年間の高校生活で、わざわざ学年一位にこだわる必要などない。
頭ではわかっている。それでもあんなに勉強しているのに、悔しいという気持ちがむくむくと湧き上がってきてしまう。
授業が始まり、食らいつくように佐倉はノートや教科書に目を通す。今度の試験では絶対に春宮に勝ちたかった。
そしていつものように独りぼっちの昼休みが始まる。さすがに教室にいるのは何だか気詰まりで、佐倉はお弁当箱を持って定位置である人気のない北校舎の階段に行く。しかしそこには思いがけない先客がいた。
「春宮弥生……」
窓から差し込む陽光に、春宮の茶髪が光り金の色を帯びる。その姿がどこか神様めいていて、頭がくらりとしそうだった。
春宮は猫のようににこりと笑った。
「佐倉絵未さん、だよね」
「は、はい……」
「実はお願いがあるの。私と付き合ってほしいんだ」
はい?
パニック寸前の佐倉をよそにニコニコとした表情で春宮は続ける。
「付き合ってくれたら、譲ってあげるよ、学年一位」
ぱくぱくと佐倉は口を動かしてから、やがて大きな声で叫んだ。
「ふ、ふざけないで!!」
大きな叫び声を聞いた春宮は、目をぱちくりとさせた。
「そんなにダメ?」
きょとんとした顔もしおらしくて可愛らしい。
否、そういうことではなくって。
「そんな風に譲られた一位なんて嬉しくない! そ、それに、なに、付き合う? からかってるの?」
威圧的に腕を組み、佐倉は盗撮されていないかを確認する。しかしそのような気配は感じられない。春宮は冗談じゃないというように首を横に振る。
「私は本気だよ。佐倉さんのこと、好きなの。恋人になってほしい」
まじまじと栗色の目がこちらを見るので、佐倉は身をのけ反らせて視線を避ける。
「な、なんで私なの? 春宮さんならもっと他の、それこそ男子が……」
そう言いかけると、困ったように春宮は笑った。
「私、昔から恋愛対象は女の人なんだよね。レズビアンってやつだと思う。たぶん」
レズビアン。同性愛者。
聞いたことはあるけれど、ぴんとはこない単語。佐倉は「ふぅん……」と返事をした。
「もちろん佐倉さんは異性愛者だと思うし、私の一方的な想いだから無視してくれて構わないんだけど。ほら、学年一位になれば、佐倉さん、私のこと見てくれるかなって」
「そんな理由で!?」
「佐倉さんにとってはそんなでも、私にとっては大切なんだよ」
それもそうかと、佐倉は思い直すことにした。
信じられないことだが、春宮は自分のことが好きで、そのために努力をして学年一位をとった。そして意を決して告白までした。重大なカミングアウトをしてまで、だ。その想いや決意を『たかが』とか、『そんな』とかいう言葉で一蹴してしまうのは流石に春宮に失礼だ。
「でも、やっぱり気持ち悪いよね。ごめんね」
やっぱり困ったように春宮は笑う。佐倉は首を横に振った。
「気持ち悪くなんかない。本当に」
「ありがとう。でも気にしないで。こっちこそ学年一位を譲るなんて、変なこと言ってごめんなさい」
「…………」
「…………」
お互いの間に深い沈黙が流れる。告白されることはおろか、人を振った経験などない佐倉は何をどうすればいいのか、全くわからなかった。
「じゃあ、行くね」
春宮が踵を返して、階段を降りていく。寂しそうな背中が揺れていた。けれども、佐倉にはどうすることもできない。
春宮が同性愛者だという事実は驚きもした。けれどだからといって自分が春宮の好意に応えることはできない。仕方のないことだ。けれどやはり振った方というのは、申し訳ないという気持ちにかられる。
しばらく階段で呆けていると、すぐにホームルームの始まりを告げる鐘が鳴った。
「やばいっ」
広げたばかりだった弁当箱を慌てて片付け、佐倉は教室へと向かう。今日のホームルームでは体育祭の種目を決める。運動が苦手な佐倉にとっては気の重たい時間だ。
黒板に体育委員がつらつらと種目を書いていく。短距離走は陸上部。長距離走はサッカー部などスタミナのある人が選ばれていった。
砲丸投げとか、地味なのがいいなあ。
そんなことを思っていたが、当然、佐倉以外の運動嫌いたちにより、砲丸投げ希望の選手は大勢いて、じゃんけんで決めることになった。運動神経もなければ運もない佐倉は泣く泣く、最後に残った種目に入り込むことになる。
目立つ競技じゃありませんように!
しかしその願いも虚しく、佐倉が選ばれたのは、陸上種目の花形四百メートルリレーだった。そしてそのアンカーは、我がクラスが誇る精鋭・春宮弥生だったのだ。
なぜ、こんなことに……! よりにもよって、今日!
一人敗北に打ち震える佐倉をよそに、クラスメイト達は体操着に着替えグラウンドに練習へと向かう。佐倉だけボイコットするわけにもいかず、渋々と服を着替えて、グランドへと赴いた。
カラッとした天気に、忌々しいほどの青い空。一つため息をつき、四百メートルリレーのメンバーと向き合う。
「えっと、佐倉さんだよね。ポジションはどこがいい?」
話しかけてきてくれたのはテニス部の藤堂彩矢(さや)だった。
「な、なるだけ足を引っ張らないところ……」
「愛依もそれがいい」
むっとした表情でそう言ったのは姫倉愛依(めい)だ。姫倉はクラスの中で佐倉に次いで友人が少ない。いわゆる、自分が世界の中心と思っているお嬢様タイプで、皆から煙たがられているし、姫倉自身もそんな連中と仲良くしようとも思わないらしい。
「だいたい愛依、こんなこと向いてないもん。足もすごい早いわけじゃないし」
ぐちぐちと文句を言う姫倉に対し、藤堂はまあまあといってなだめる。
「でもぶっちぎりで最下位になって目立つのも嫌でしょ?」
「まあ、それはたしかに」
姫倉が頷く。佐倉も悪目立ちするのは嫌だった。
「ごめん。遅れた!」
こちらに駆けてやってきたのは、春宮だった。体操着に着替えると、長い脚がいつも以上に目立つ。藤堂が春宮を見て、言う。
「とりあえず、弥生はアンカーだね」
「私?」
「うん。で、私がトップバッター。二番手が姫倉さんで、三番手が佐倉さんね。みんな、それでいいよね?」
各々が頷き、練習が始まる。まずはバトンリレーの練習だ。体育教師がところどころ指導をしてくれる。短距離を走り、バトンを渡すだけなのに、結構神経を使う。しかも佐倉がバトンを渡す相手は、あの春宮なのだ。
さきほど告白してきた相手。自分のことを真っ直ぐに好きだと言ってきた相手。
考えるだけで、頭がぐるぐると渦を巻いて沸騰しそうだった。
ドギマギとしているせいで、佐倉は小さなミスを重ねてしまった。経験しなければわからないことだが、バトンを上手く渡すというのは結構難しい。
み、みんなの足を引っ張ってしまう……。
頭に浮かぶのは最下位で走る春宮と呆れ顔の藤堂と姫倉の顔だ。そんな顔をさせるわけにはいかないと力めば力むほど、バトンリレーは上手くいかない。
「佐倉さん」
「ひゃっ、はい!」
春宮に声をかけられ、佐倉は反射的に目をぎゅっと瞑ってしまう。怒られると思った。
「よかったら、居残りして練習していく?」
「へ……」
「佐倉さんさえ、よければだけど、バトンの練習は一人じゃできないでしょ?」
にこりと笑う春宮が天使のように見えた。
「あ、ありがとう! で、でも、その……あの……」
「深い意味とかはないよ。気にしないで」
さらりとそう言って、春宮は自主練に戻って行った。
佐倉は彼女の恋心を利用したようで、なんだかとっても申し訳ない気持ちになった。彼女自身が『そんなことない』と言っても、春宮が自分みたいなのに優しくしてくれるのは裏があるのではないかと考えてしまう自分が恥ずかしい。
申し訳ないと思いつつも、佐倉は放課後、体操着に着替えて春宮と共に校庭に出た。
「佐倉さんは三走だから、右手でバトンを受け取るんだよ」
「右手? そんなの決まってるの?」
「うん。三走は右手で受け取って、四走は左手で受け取る。そうしないと他の選手とぶつかっちゃうからね」
何でもないことのように春宮は言ってくれるが、そんな初歩的なことも知らない佐倉はますます自分に自信を失ってしまった。けれど、やらないわけにはいかない。
一時間ほど、二人でテイクオーバーゾーンを行ったり来たりして走ってみた。少しは形らしきものが見えてきて、佐倉は少しだけ安堵した。
「ありがとう、春宮さん。なんとかなるような気がしてきた」
「ほんと? ならよかった」
ふんわりと笑う春宮は、やはり可憐でみんなに愛されるお姫様のような雰囲気を漂わせている。つくづく、どうしてこんな子が自分に好意を寄せているのか、佐倉にはわからなかった。
「付き合わせちゃってごめんね。ジュースでも買うよ」
「ああ、いいよ。だって──」
言いかけて、春宮がやめる。
「だって?」
きょとんとした顔で佐倉が問い返すと、春宮は顔を赤くして答えた。
「下心がないわけじゃなかったし……」
そう言われると、むくむくと佐倉も恥ずかしくなってきて、顔が赤くなっていく。
「そ、そそ、そうなんだ」
おのずと声が上ずってしまう。
「ご、ごめんね。深い意味はないとか言ったのに、結局、私、ごめん。ダメだね」
「ダ、ダメじゃないよ。好きになっちゃったんなら、すぐには切り替え? みたいなのできないよね。う、うん。全然、わかるよ」
嘘である。佐倉は初恋もまだで、人を好きになったこともない。春宮はまた例の困ったような微笑を浮かべた。沈黙に耐え切れず、佐倉はとうとう訊いてしまった。
「あの、ど、どうして私だったの?」
訊ねられた春宮はぱっと顔を輝かせた。その表情には覚えがあった。弟が大好きな新幹線や戦国武将について訊ねられたときと同じ。大好きなものを語るときの無垢な瞳だ。
「実は私、勉強あんまり得意じゃなくって」
佐倉は頷いた。それもそのはずだ。
一年生の頃、佐倉は学年首位をずっとキープしていた。その座を奪われたのは一年生三学期の期末テスト。学年十位以内に姿を現したこともない春宮弥生という名前だった。
「でもね、親がうるさくってさ。一年生の二月くらいに、自習室にこもって嫌々自習してたの。でも結局、スマホばっかり見てたけど。そのとき、前列に佐倉さんが座ってた」
学校にある自習室は、佐倉の居城である。そのくらい佐倉はその教室に入り浸り、勉学に励んでいる。その姿を春宮は見ていたようだ。
「佐倉さんがどうして勉強をそんなに頑張ってるのかは知らないけど、参考書をめくったり、ノートをとったりしてるのを見てたら、なんだか自分もやる気だそうって気になってきて、その日から勉強を頑張り始めたの。次の日も自習室に来たら、佐倉さんが前列にいて、問題を解きながら、イライラしたり、解けたときに喜んだり、すごく顔に出てるのがおかしくて。ああ、きっとすごく可愛い人なんだろうな、って思った」
可愛い。他でもない可愛いを地でいく春宮にそう言われると、恐縮を通り越して茫然としてしまう。
「私、自習室に行くのが楽しみになったの。今日は佐倉さんが、当時は名前も知らなかったけど、あの子がどうしてるかなって思って。たったそれだけ。それだけなんだけどね──」
春宮は言葉を切って、こちらを向いた。笑っているのに、泣いているように見えた。
「──好きになっちゃったんだよね」
世の中には、どうしようもないことがある。それは私の家が貧乏だったり、私に運動神経がなかったり、抗いがたいことでできている。
それは知っている。
けど、どうして?
神様はどうして、この女の子に恋をさせたのだろう。
叶わない相手に。
私に。
恋なんて、させたんだろう。
***
体育祭に向けた、二度目の練習日。私は春宮のおかげで随分と成長して、バトンでもたつくことも少なくなっていた。だが、問題は藤堂と姫倉だ。
「ちょっと! テイクオーバーゾーン過ぎちゃったんだけど」
「姫倉さんが速く走りすぎなんだよ」
「はぁ? 愛依が悪いわけ?」
二人の間にはギスギスとした雰囲気が漂っている。佐倉はどうすればいいのかわからず、右往左往していた。
「け、喧嘩はよくないよ……」
「喧嘩なんてしてないけど。じゃあ、藤堂さんの代わりに佐倉さんが一走になってくれるの?」
「えっ!?」
「それならいいよ」と藤堂。
一走は流石に困る。佐倉は足が遅い。スタートから出遅れるわけにはいかないのだから。
佐倉がおろおろとしていると、春宮がひょっこりと顔を出す。
「まあまあ。そうカリカリしないで」
彼女がにこりと笑うと、それだけで二人とも黙った。美人の笑顔には無言の圧があるのだ。その場はなんとか丸く収まり、二人は無言で練習を続けた。
春宮と二人でしている帰りの自主練習。一通り以前の復習や走りこみ終え、少しの休憩をとる。春宮はスポーツドリンクを飲みながら、呟くように言った。
「姫倉さんはプライドが高いんだろうね」
「プライド?」
さっきの体育の授業のことを言っているのだろうか。
「負けたくないから、ついテイクオーバーゾーンでも速く走っちゃうんだよ。きっと」
「でも藤堂さんを思いやるのも大事だと思う」
「もちろん。それがリレーだからね」
そんな話を校舎の影でしていると、一階の渡り廊下を走っていく人影が見えた。よく見るとそれは姫倉で、泣いているようだった。
「え、泣いてる……」
気の強そうな姫倉に涙はあまり似合わない。本人もそう思っているのか、顔を歪ませて、必死に涙をこらえているようだった。
「また相手にされなかったんだ……」
「また?」
「あれ、佐倉さん、知らないの?」
きょとんとした顔で春宮が言う。
「数学の天野先生いるでしょ。姫倉さん、天野先生のこと好きなんだよ。また相手にされなかったんだろうなあ」
天野先生は新任の数学教師で、この学年の人気者だ。高校時代はサッカーで県大会決勝まで行ったことがあるらしい。
みんな誰かに恋したり、告白したりしてるんだ……。
それは今までの佐倉には遠い世界のことのように思えた。けれど告白された今となっては、それらは身近に存在することを認めざるを得ない。
苦しいだろうな……。
泣いていた姫倉の顔を思い出す。恋は苦しい。なのにどうして、人のことを好きになってしまうんだろう。
そのときふと渡り廊下を走る姫倉とばちっと目が合う。佐倉は思わず「ひえっ」と間抜けな声を出してしまった。春宮はうららかな表情を浮かべ、何事もなかったかのように振舞っている。
「姫倉さん、これから帰るところ?」
あくまでも涙のわけには触れない方向でいくつもりらしい。
しかし姫倉は八の字に眉を吊り上げて、佐倉達の方を見た。
「愛依のこと馬鹿にしてるでしょっ。また天野先生に振られたんだって……」
涙声で姫倉が言う。馬鹿になどしていないが、素直に言って姫倉が信じてくれるとも思えなかった。春宮は相変わらず美しい微笑みを浮かべたまま、のんびりとした口調で言った。
「馬鹿になんてしてないよ。実は最近、私も好きな人に振られたの」
「えっ……。春宮さんが?」
先ほどまで泣いていたはずの姫倉は、落ちたマスカラも気にせずに驚いていた。
「嘘。春宮さんを振るって、どんなやつなわけ?」
自分が世界で一番可愛いと思っていそうな姫倉だが、さすがに春宮の美貌は別らしい。もっとも姫倉も可愛い女の子ではあるのだが、周囲の男子も天野先生一点狙いであることを知っているため、誰もアプローチをしないのだろう。
「あはは。秘密かな」
当の春宮本人はにこにこと受け流す。佐倉は自分の名前が出されるのかとびくっとしてしまった。
「ふーん。ま、愛依は興味もないけどさ。でも諦めるの?」
くりりとした姫倉の黒い瞳が春宮を射抜く。その一瞬、今まで笑っていた春宮がたじろいだように見えた。
「愛依は諦めない。もちろん先生の迷惑になっちゃったら、いけないけどさ。想うことくらいは許されるでしょ。振られたから、今この一瞬から好きじゃなくなります、なんて無理だし。違う?」
試すような眼で姫倉は春宮を見ている。春宮は雷に撃たれたように、返す言葉を失っていた。
「愛依はそういう覚悟で相手に好きって言ってる」
そう言い切ると、姫倉は踵を返した。取り残された佐倉は無言の春宮の方を見る。
私より少し背の高い、人気者女の子。その瞳から、小さな涙がこぼれていた。
あまりにも静かに泣くので、佐倉は言葉が出なかった。
あまりにも綺麗に泣くので、佐倉は顔を俯かせた。
「気持ち悪い、でしょ……?」
呟かれた言葉は、とても普段から明るい女の子の台詞とは思えないほど、暗かった。
「だって私、まだ好きなんだよ。しかも同性で、しかも同じクラスの子で、しかも──。しかもさ──」
「気持ち悪くなんてない」
その好意を、なおも受け入れられない、私は。
それでも言い続けることしかできない。
「誰かに好きって言ってもらえて、私は嬉しかったよ」
嘘ではない優しさを。私に恋をしている女の子に、伝えることしかできない。
「もし、もしもさ、リレーで一位取ったら、佐倉さんのことまだ好きでいてもいい?」
「別に一位にこだわらなくても、それは春宮さんの自由だよ」
春宮は考え込むように言葉を切る。しかしやがて決意したような目でこちらを見た。
「ううん。一位になる。一位じゃなかったら、きっぱりやめる」
「……そう」
何が春宮の気持ちをそこまで奮い立たせているのか、佐倉にはわからない。ただ、佐倉にできるのは、春宮の気持ちを尊重することだけだろう。応えられないと知りながら、そうすることは酷いことだろうか。わからない。
だど、私は──。
「頑張って走るよ」
それしか言えなかった。
***
体育祭本番は綺麗な夏空が広がっていた。日除けのテントの下に教室から運んできた椅子を並べて、応援の準備をする。カラフルなボンボンを持って、トラックを走るクラスメイトに激を飛ばした。
「次、弥生たちだよ」
体育委員が春宮の名前を呼ぶ。佐倉達は競技前につけるように言われていた刺繍の入った鉢巻を頭につけた。
「佐倉さん、縦結びになってる」
春宮が言う。
「なんでもいいよ」
身の回りに頓着しない気質の佐倉が、けろりと言うと、春宮が鉢巻を解いた。
「ダメだよ。可愛くしないと」
そう言って、結び直される。別に佐倉は可愛くなくてもいいのだが、春宮弥生のチームメイトとして恥じない格好が求められるのかもしれないと思い直した。もちろん春宮の行いはそんなこととは関係なく、善意からきているのだろうけれど。
鉢巻が落ちないようにピンでセットしてから入場門へと向かう。各々がスタート位置につき、ピストルが鳴らされた。
一走、藤堂さん。上々の走り出しで五人中二位だ。テイクオーバーゾーンに差し掛かる。二走、姫倉さん。彼女はちゃんと背後に気を配り、テイクオーバーゾーンの中でバトンを受け取る。藤堂さんに比べ脚力が劣る姫倉さんは一人に抜かされ、順位は三位に変わった。だが、四人目にはギリギリで抜かされなかった。
私の番だ……!
胸がドキドキとしてくる。バトンを受け取る体勢になり、姫倉さんを待つ。
「はい!」
バトンが手に渡される。佐倉はそれをしっかりと握り、春宮の待つ四走の場所へと走る。追い抜くことは考えなくてもいい。ただ、追い抜かれないことが大切だ。
そう思った矢先、足がもつれた。
え?
視界が回転する。私は転倒したということに気がつくのに時間がかかった。
どうしよう……!
けれど慌てている場合ではない。佐倉は必死に走り、四走の春宮にバトンを渡した。バトンを渡す瞬間、春宮の顔を見た。
春宮は、笑っていた。
どうして……?
最下位に落ちたにもかかわらず、春宮は落ち着いていた。綺麗なフォームで走り、ぐんぐんと前方の走者へと距離を詰める。あともう少しで追いつく。
「頑張れ!」
自然と声が出ていた。
「春宮さん!」
──頑張れ。
どうして自分がこんなにも彼女を応援しているのかわからない。それでも春宮に声をかけずにはいられなかった。
それはたぶん春宮の真摯な気持ちを知っていたからだ。彼女の真剣さ、ひたむきさを、佐倉が知っていたからだろう。
春宮は軽やかに足を動かし、一位でゴールテープを切った。佐倉のクラスから歓声が上がる。藤堂と姫蔵も飛んで跳ねて喜んでいた。
走り終えた春宮が息を切らしている。佐倉は彼女のもとに駆け寄った。
「すごいよ、春宮さん! 一番だよ!」
「あはは。ちょっと本気で頑張った。佐倉さんの声が聞こえたから」
そういう春宮は少し困ったように眉を下げた。
「まだ好きでいてもいい?」
──私は別に春宮さんに恋をしているわけではない。けれど、彼女の心はあの走りで十分すぎるほど伝わっていた。
佐倉はそっと手を差し出した。
「まずはお友達から、でどうかな……?」
春宮は少し驚いた後、はにかみながら笑った。
「喜んで!」
深海列車と銀河鉄道 北原小五 @AONeKO_09
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