第94話 向き合うべき過去④
ミレニアは、クルサールが造り出した大きな光の網籠のような結界を本陣に見立てて、各所へ指示を飛ばす。
(敵は少数精鋭で群れを成して襲ってくる、いわゆるゲリラ戦法。こちらは、長距離を移動する前提で騎馬が主流。だけど、こうも深い森の中では、機動力がそがれる上に、敵の方が地の利がある分、正面突破はとても不利……)
ぐっとした唇を噛みながら、天を仰いで太陽の位置を確認し、今まで進んだ距離と目的地までのこれからの進軍速度を割り出す。
(大丈夫。魔物の動きは、いたって普通だった。いきなりクルサール殿や私を狙う訳ではなく、目についた一番襲いやすい兵士を襲っていたもの。襲撃者は、先日広場を襲った闇の魔法使いとは異なるはず)
あの時は、クルサールを大多数の前で斬り伏せることで恐怖を伝染させて効率よく己の手勢を増やしてくという狡猾な手法を取っていた。クルサールが、民衆にどれだけ支持を得ているかを理解している者でなければ、あの戦略は取れない。
だが、今日は、クルサールやミレニアに対して襲撃をすることなく、律儀に隊列の外側から襲い掛かってきたのだ。人間世界に疎い東の魔物が自ずから率いているとみて間違いないだろう。
だが、そうすると――まだ、王都に闇の魔法使いがいる可能性がある。
(王都には、ネロを残して託してきた。例え再び闇魔法で王都を混乱させようとしたところで、同じ闇の魔法使いでもあるネロなら、東の魔物の眷属をずらりと並べられても、北の魔物の眷属を召喚して対抗することが出来るはず。ネロは光魔法遣いでもあるわけだから、仮に頼りの王立教会に属する光魔法遣いたちが皆闇魔法で操られてしまっても、ネロの魔法で正気に戻せる。一度戻してしまえば、後は聖職者たちの力で混乱を沈めてもらえばいい。……大丈夫。王都は、大丈夫……)
出立前に何度もシミュレーションして確認したはずのことを、もう一度心で唱えて、ドクドクと早まる心臓をなだめる。
かつて愛した民たちが、理不尽な恐怖と苦痛を味わいながら地獄絵図へと巻き込まれていくことは避けたい。
ミレニアは、じっとりと額に浮かんだ汗を拭って、軽く頭を振ると、目の前の戦況へと集中した。
「第一班と第三班が張ったトラップは完成したのかしら!?」
「はい!第四班、すぐにでも行けます!」
「わかったわ。では、第四班は、北東の方角へ進軍。退いてくる第三班と交代するように、前線を押し上げて!ロロの手を借りて、道中、本陣の進路に立ちはだかる敵を殲滅しなさい!」
「「はっっ!!」」
本陣から、鎧を纏った兵士たちが堅い表情で武器を手に、馬を本陣に残したまま、徒歩で北東へと進軍していく。
(東の魔物の身体能力は、狼と同じくらいをイメージすればいい――と言ったのは、ディオだったかしら。あの時の知識が、役に立っているわね)
森の中での俊敏性という観点では、馬は狼に勝てない。故に、ミレニアは襲撃された後の前線を押し上げる兵士たちには、潔く馬を降りさせ、徒歩で進撃させる戦法に出た。
その分、進行速度が鈍化し、長期戦を強いられることは、もはや仕方がない。じわじわとでも、前進していくことが何より重要だ。
(大丈夫……ロロが道を覚えていてくれたおかげで、寄り道をせず最短距離で目的地に向かえているのが功を奏したわ。想像よりずっと目的地の近くで交戦することが出来た。敵も、恐らく森一帯――あるいは、王都のどこか――に魔物を割いている中で、一心不乱にまっすぐ自分のところに向かってくる討伐隊に驚いていることでしょう)
ロロの話によると、東の魔物もまた、記憶の継承はしていないらしい。ロロが魔物と契約をして初めて、魔物も過去の経緯の全てを思い出すらしい。
まさか、己の潜む”巣”の中心地を的確に言い当てられる人材がこちらにいるなどとは、夢にも思っていないはずだ。
「第三班、帰還しました!進路の側面に、土魔法でトラップを作成完了。第四班も順調に進撃中!第一班のトラップと合わせ、不意の襲撃の危険は減っています!」
「わかったわ!――全軍前進!前方はロロが絶対の安全を保障してくれるでしょうから、側面と後方に警戒を怠らないで!」
ミレニアの号令と共に、守りを固めた要塞のような騎馬中心の本陣がゆっくりと進み始める。
「クルサール殿!もしも敵影が見えたら、左側面に障壁を!私は、右を請け負います!」
「かしこまりました!」
じぃっと緑の中に目を凝らしながら、緊張とともに手をかざし、いつどこから敵が現れても対応できるようにと構える。
ミレニアが学んだことがあるのは、あくまで座学でしかない。
ギュンターやゴーティス、ザナドらと同じ知識を得ているのは事実だが、彼らと異なるのは、圧倒的な実戦経験の不足。
(だけど、弱音は吐けない――!ここにいる”将”は私だけ……!私が、この全軍の命を預かっている……!)
前線を限界まで押し上げた先で待機していた第四班と合流すると、クルサールが再び網籠を生み出し、息を吐く。
さほど長距離を移動したわけではないのに、じっとりと全身が汗ばんでいた。
「クルサール殿、魔力はまだ十分ですか?」
「少し、減ってきたという感覚はありますが、まだあと数回、この規模の結界を展開するには十分です。負傷兵の治癒が増えると、状況は変わりますが――」
「治癒に関しては、私に任せてください。貴殿は、結界と有事の際の退魔の魔法、そして兵士の鼓舞を。互いに長じる分野で、役割を精一杯果たしましょう」
金髪碧眼の青年は、こくり、と厳しい表情で頷く。いつも完璧な微笑を浮かべている表には、うっすらと汗がにじんでいた。
最初の襲撃から、もうすでに何度も結界を張っている。彼も、それなりに消耗をしているのだろう。
(聖水を飲めば回復するのでしょうけれど、討伐やトラップなどを請け負う兵士の方が圧倒的に魔力不足に陥りやすい。あくまで後方支援が主流ならばなるべく温存したい、という考えは私もクルサール殿も同じようね)
「一度、隊列を組みなおすわ。各班、装備を確認して、不足があれば補給隊に申し出なさい。クルサール殿は、兵士たちの様子を見て、戦況把握と労いの声掛けを。負傷兵は、怪我の度合いが深刻な者から順番に私の元へ!あまりに体力を消耗している者も、申し出なさい!」
兵に支えられた馬上で号令を出したあと、馬から降りて”将”から”薬師”へと頭を切り替える。自然と周囲が距離を取り、即席の治療場が出来上がった。
途端、続々と運び込まれてくる、目を覆いたくなるような兵士たち。
「ぅ……ぅぁああ……」「神よ……神よ……」
「しっかりなさい!っ、衛生兵!最低限の応急処置を手伝って!」
譫言を呟く屈強な男たちの命の灯が風前に晒されているのを見て、ぎゅっと唇を噛みながら必死に魔力を練り上げる。
重傷者は、光魔法で。軽傷者は、自らの処置で。
救える命を救って――
――救えない命を、見送って。
(駄目よっ……感情を挟んでは駄目!私は、”将”であり、”薬師”!この戦場で、無力感や寂寥感に苛まれている場合ではないの!)
見たこともない神に縋りながら、無残な身体で涙を流し、目の前で命をかき消してしまった兵士たちの姿に、ミレニアは必死に己を奮い立たせる。
救うことが出来なかった謝罪も、己の無力に対する懺悔も、死後の旅路の安寧を祈る供養も。
全て、この戦いが終わってから、すればいい。
両手を鮮血に染め上げながら、必死に余計なことを考えそうになる頭を叱咤して――
「――姫」
「――!」
一瞬――
心臓が、止まったかと思った。
もはや、この大陸で――ミレニアをそう呼ぶのは、たった一人しかいない。
重傷者が運び込まれてくるこの場所で、一番聞きたくない、声だった。
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