第91話 向き合うべき過去①

 祭りの日から三日後――物々しい装備を携えた討伐隊が、王都を出て東の森へと進軍を開始した。

 それは、大きな塊を二つに分けた行軍。

 前方は、魔物との交戦となったときに激戦となることが予想されるため、神の名のもとに全軍を鼓舞することが要求されるクルサールが指揮官として配備されている。

 後方は、戦況を見渡しながら的確な指示を出せるミレニアが指揮官だ。

 そして、その後方にいる最高の指揮官には、最高の遊撃兵となるロロが付き従っている。戦況がいつ、どこでどんな状態に陥ろうと、最も彼が必要とされる場所へと、号令一つで向かわせることが出来る、最強の布陣だった。


「ロロ。そう厳しい顔をしないで」


「……元からこんな顔です」


「全く……」


 軍馬に相乗りする形となったミレニアを手綱を取る両腕の中で貴婦人らしく横座りに座らせながら、いつもの鉄仮面はピリピリとした空気を纏っていた。

 大混乱だった建国祭の後――結局ミレニアはロロを伴い、クルサールと共に東の森への討伐を開始することに同意した。

 まだ複雑な胸中ではあるようだったが、ロロも最終的には納得し、討伐に加わってくれたのは良かったが――今度はまた別の問題が起きたのだ。


「お前は本当に過保護な男ね」


「魔物討伐は、遊びじゃない。俺ですら、命の危険と隣り合わせなのです。自分の命を守ることで手一杯になるかもしれない――そんな場所に、俺の命なんかより何億倍も大切な存在を連れて行かなければならないとなれば、過保護にもなります」


「もう……でも、仕方ないでしょう。誰かが冷静に隊を指揮しなければいけないわ。今、この土地にいる人間の中で、魔物を相手に、最もうまく隊を指揮できるのは私だもの」


「……せめて、北から青布の剣闘奴隷を呼び寄せ、護衛として十人くらい侍らせておいてくれれば、俺も討伐任務に専念できるのですが」


「馬鹿を言わないで。そんな精鋭が十人もいるなら、討伐任務に組み込むに決まっているでしょう?第一、そんな到着ものを待っていたら、そのうちにまた王都は大混乱に陥ってしまうわ」


 呆れた顔で正論を繰り出し、手綱を握る長身の男を見上げる。しかし、いつも通りの鉄仮面は、どうやら冗談を言っているつもりは無いようだ。


「安心なさい。剣を使うことも出来ない私は、確かに頼りないかもしれないけれど――光魔法を使える、という点において、魔物の前では無敵だわ。敵を倒すことは出来ないけれど、自分の身を守ることは出来るのよ」


「闇の魔法使いに兵士が操られ、剣を持って貴女を襲えば、それも意味を成しません」


「大丈夫よ。操られた者は、光魔法で正気に戻せることはクルサール殿が証明してくれたわ。いざとなれば魔法で身を護れるし――兵士たちにおいても、事前準備は抜かりないわ。そのために、せっせと三日間、クルサール殿と一緒になって"加護付き"の装備を量産したのだから」


 安心させるように微笑とともに言い聞かせるも、ロロの厳しく引き締められた頬はピクリともしない。


「兵士たちの剣にも防具にも聖印にも、退魔、身体能力向上、治癒の光魔法を付与したわ。仮に闇魔法によって誰かが操られても、他の誰かが剣に付与された退魔の魔法を使えば正気に戻せる。戦闘が激しくなることも想定して、魔力回復に効果のある聖水も瓶に詰めて各自に十分持たせているのよ?準備は万全――むしろ、防具の一つも身に着けないお前の方が、私はとても心配だわ」


「今更そんなものを身に着けても、重く、動きにくいだけです」


 相変わらず、いつもの黒マントを羽織った護衛兵の装束に、双剣を腰に刺しただけの軽装とすら言える装いの青年に、ミレニアは嘆息する。

 剣闘奴隷は、剣闘でも防具を身に着けることを許されない。その名残なのか、ロロは防具らしい防具を身に着けることなく、腰に差した剣と己の魔力だけを頼りに討伐隊に参加していた。


(ゴーティスお兄様の隊に組み込まれていたころからそうだった、とは言っていたけれど……それでもやはり、心配なことに変わりはないのよ)


 むむ……と口をとがらせて唸りながら、ミレニアは俯く。

 ロロは女神ミレニアのためならと、自分の命を軽んじる傾向がある。

 だが、ミレニアにとっても、ロロは唯一無二の宝物なのだ。


「本当に、身体能力向上と体力回復の魔法だけで良いの?魔物を相手にすると言うのに、退魔の魔法の一つも使えないと言うのは――」


「いざとなれば森ごと焼き尽くせるのです。魔力を回復する聖水も持たせていただいた。これ以上は必要ありません」


 ロロは正規軍ではないため、他の兵士のように装備を一か所に集めて一括で魔法を付与することが出来なかったため、ミレニアが特別に、二振りの剣に付与したい魔法を尋ねたところ、彼はその二つを答えたのだ。


「でも、心配だわ」


 ぎゅっとミレニアは目の前にあるロロの黒マントを握る。

 チラリ、と紅い瞳が小柄な少女の俯く旋毛を見た。


「私が敵の将なら、真っ先にお前を無力化することを考えるもの。お前に魔物を集中させることは勿論――契約者を介して、闇魔法で操ることだって考えるわ。そうなれば、私たちは壊滅よ」


 ロロが敵に操られれば、これ以上の脅威はない。

 様子がおかしいと気づいて退魔の魔法をかけるより早く、神速の剣がひらめくか、地獄の業火が顕現して、誰一人抵抗などさせてもらえないだろう。


「得体のしれない効果を生み出すとは言え、所詮は魔法です。行使の際には魔力の気配が伴う。地水火風の魔法を避けるのと変わりない。……俺は、当時未知だったクルサールの光魔法すら避けられました。姫のご心配は無用かと」


「もうっ……万が一を考えて心配しているのに、どうしてお前はそう醒めた瞳をしているの!」


 ぷくっと頬を膨らませて糾弾すると、ロロはすぃっと左下に視線を動かした。


「……姫は」


「?」


「クルサールに聞きました。姫とクルサールは、闇魔法で操られることはないと。……本当ですか?」


「え?え、えぇ……クルサール殿の話では、そうね。光と闇は相反する属性でしょうから、強すぎる光魔法遣いには効かないとか、そういう感じなのかしら……?」


 急な話題転換に戸惑いながらも答えると、ロロはほっと息を吐いた。


「何を安心しているの。私など操っても、敵には何のメリットもないでしょう。操られても、その人間が元から持っていた能力に変化が起きるわけではないことは、この間見た通りよ。恐怖心や痛覚などが麻痺する分、厄介なのは事実だけれど――私が操られても、剣を持ってよろよろするか、せいぜい皆を眠らせるくらいしか出来ないでしょう」


 思慮の足らない男を諫めるように言うと、ふるふる、とロロは首を横に振る。


「いえ。……俺が敵なら、間違いなく真っ先に貴女を操ることを選びます」


「?」


 翡翠の瞳が疑問符を宿して背の高い男を見上げる。

 ロロは、紅玉の瞳を苦し気に眇めて、ぽつり、と言葉をこぼした。


「俺を無力化したいなら――貴女を人質に取るのが、一番早い」


「――!」


「貴女が操られ、己の首に自分で剣でも突き付けられれば、俺はその瞬間から、何もできなくなる。それに……素人の剣だとしても、貴女が俺に刃を向ければ、俺は抵抗など出来ない」


「な――馬鹿なことを言わないで!抵抗しなさい!お前なら、武器を奪うことも、私を気絶させることもたやすいでしょう!」


「まさか、こちらに向けられた剣に対抗するように、貴女に対して剣の切っ先を向け、武器を弾き飛ばして当て身の一つでも食らわせろ、と?……御冗談を。想像するだけで死にたくなる。それなら、貴女の手で殺される方が何百倍もマシです」


 本気で嫌そうに頬を歪めて吐き捨てたロロに、思わずミレニアは絶句する。一体この男は、どこまで奴隷根性が染み付いているのか。


「ですが、操られる心配がないのなら、よかった。……貴女は、たとえ操られていたとしても、己の手で俺を殺したとなれば、正気に戻った時に衝撃を受けるでしょうから」


「あ……当たり前でしょう!」


「その清らかな手を、穢れた血で汚すことは、俺としても避けたい。……安心しました。貴女は、本陣の奥深く、たくさんの兵士に囲まれた安全なところで、指示をしていてください。命を屠る仕事をするのは、俺たちです。そのために、存在しています」


 ついに一行が森へとたどり着き、世界ががらりと緑に包まれた。

 

「ここから先は、獣道――今までと違い、少し、揺れます。お気を付けください」


 いつも通りの無表情でそんなことを言う護衛兵に、ミレニアはあんぐりと口を開けるしか出来ない。

 この男は――本当に、何も、わかっていない。

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