第82話 始まりの地へ②
ミレニアは、む……と唸りながら唇を尖らせる。
「外交とあらば、あらかじめ決まっていることばかりではないでしょう。もしもお前の言う通り、お前に国内の本業が別にある状態で、突発的に入ってきた私の外交の度に付き合うのだとしたら――例えば、クルサール殿の元に赴かなければならないことになったとして――予想以上に会合が長引いたり、旅程の最中、天候不順や魔物の巣が現れたりして、当初の予定よりも長く国を空けることになってしまったりしたら、お前の本業に支障が出てしまうわ」
「……それは……」
「もしもそれで、職務怠慢だとクビになってしまったら、お前、その日から無職なのよ?」
「構いません。……姫を失うことに比べれば、そんなことはどうでも――」
「そういう訳にもいかないでしょう。……第一、お前にばかり依頼をするのは、公平性がないわ。私が元首を降りた後はどうするつもり?私の後任の護衛も、何よりも優先してお前が担うの?では、お前も私も引退した後は?誰がその役割を担うのかしら?」
すべてを仕組み化していく、というのはそういうことだ。
個人の感情による仕組みを造り出していくわけにはいかない。
自由とは、公平公正と似た側面を持っているのだから。
「……では、平時から、姫の護衛として働かせてください。国内でも、可能性は低いとはいえ、貴女の命の危険が全くないかと言われればそうではない。かつてのように、毎日、貴女をお守りします」
「お前ね……そう簡単に言ってくれるけれど、それを一つの職業にするなら、給金を出さねばならないわ。休みだって必要なのだから、お前の休日に代わりに出てくれる代役を立てる必要がある。ということは、最悪でもその護衛という職業には数人がつかねばいけないわけで、その給金を支払うのは誰?税金で賄うのかしら?」
むむむ、と唸ったミレニアに、ロロはすぃっと瞳を伏せる。
「……給金など、必要ありません。休みも、要らない」
「お前はまた、そういうことを言う……」
初めて出逢った頃を思い出しながら、ミレニアは頬を引きつらせる。
あの頃から、彼の奴隷根性は変わっていないらしい。
「紅玉宮にいたころは、貴女は皇族でした。皇族に休みなどという概念はないので、護衛がつかぬ日がないというのもわかりますが――貴女が創る新しい国の元首は、休みがあると言う」
「え?……えぇ、そうね……」
「では、貴女の休みが、俺の休みです。……それなら、代役などつけずとも、構わないでしょう」
「お前ね……」
聞き分けのない下僕根性溢れる青年にこめかみを抑えて呻く。
控えめに言って、ロロは優秀な男だ。勿論、向き不向きはあるが、ミレニアのためならばどんな努力も惜しまないため、大抵のスキルは努力によって習得してしまう。元来器用な男でもあるのだろう。
そもそも、現存する人類の中では、最強の称号を恣にしていると言っても過言ではない男だ。
国益を思えば、単なる人材の無駄遣いとしか言いようがない。
(ゴーティスお兄様が聞いたら、激怒しそうね……大陸最強の武力を持つロロを、俺なら誰より有効活用してやるからさっさと新帝国によこせと、武力交渉すら厭わない気がするわ)
しかし、もし本当にそんな事態になっても、ロロはその比類なき己の武力で抵抗するのだろう。
生涯決して、何があっても、ロロがミレニアの傍を離れることはないと――いつかの皇城で、兄たちの侍らせる護衛兵たちに囲まれても一歩も引くことなく、少女を背に庇って苛烈に炎をはじけさせたように、新帝国の皇帝となったゴーティスを正面から睨みつけて刃を向けるに違いない。
「この国に、魔物は出ません。ですが、他国へ赴く道中となれば、話は別です。もしも魔物の襲撃があったり――新帝国と王国の微妙な政治関係に巻き込まれて、どちらかに人質としてとらえられる可能性だってある」
「それは――ない、とは言い切れないけれど」
ミレニアは苦い顔で呻く。
ゴーティスが新生イラグエナム帝国の建国を宣言してからというもの、世界情勢は酷く不安定だ。
国とは、他の有力な国家に認められることで、世界の中で正式に”国家”として認められる。それまでは、あくまで自称でしかないのだ。
故に今、新帝国はただの自称国家でしかない。
今、大陸で一番領土と国力を持っているのは間違いなく、旧帝国の玉座をそのまま掠め取った形になっているクルサール王国であることは疑いようがないが、国王であるクルサールは、決してゴーティスが興した新帝国を"国家"として認めることはないだろう。
そうなれば、どこか別の国から認めてもらうしかないのだが――どこも、大陸最大の王国と正面切って事を構えたいはずがない。クルサールの不興を買わぬよう、新帝国を国家として認めるなどと言い出す国はないだろう。
となれば、ゴーティスはどうするのか――
(……一番、可能性があるのは、確かに私たちの国だけれど)
ぎゅっと眉根を寄せてため息を吐く。
血縁である昔のよしみを振りかざすのか、大陸最強と恐れられたかつての軍事力をもって脅してくるのか、理詰めの交渉を仕掛けてくるのかはわからないが、将来的にゴーティスは間違いなくミレニアが建国したファムーラ共和国へと何かしらの接点を持ちに来るはずだ。
当然それはクルサールもわかっている。
「外堀を埋めるのが本当に得意な男よね……あのペテン師は」
呆れたようにため息をついて、ミレニアは机の上に放置してあった封筒を手に取り、改めて手紙を眺める。
今朝届いたばかりのその手紙は、クルサールの直筆――誰より先にファムーラ共和国を国家として認めてやる、という打診をしてきたものだった。
(きっと、お兄様の動きがきな臭くなってきたのでしょうね。本格的に王国に向けて戦争を仕掛けられるほどの力を付けているのかも。祖国を奪われたことはもちろん、唯一無二の存在だったザナドお兄様を失ったことで、今は本当に復讐の悪鬼と化しているでしょうし……恐るべきスピードで、戦争を仕掛けることだけを考えてこの二年を過ごしてきたのかもしれない。クルサールにとっても、兵法を熟知して統率の取れた、大陸最強と謳われた軍事力の要となる人材とノウハウのほぼすべてを持って行ったお兄様との戦争は、ただ死を恐れない狂信的な信者を無作為に突っ込ませるだけでは勝てないものね……魔物ならともかく、物理攻撃に対しては、クルサール殿の光魔法は補助以外では役に立たないでしょうし)
だからこそ、クルサールはミレニアという後ろ盾が欲しいのだろう。
国家として認めてやることで恩を売り、ファムーラと同盟に近しい関係を築くことが狙いなのは目に見えている。
侵略王と謳われたギュンターの全てを受け継いだゴーティスに勝てるのは、同じく全てを受け継いだミレニアだけだ。
同盟を盾に、軍事協力を要請し、強力な剣闘奴隷と共に参戦する軍師として――どうにもならなければ、ミレニアをゴーティスに対しての人質として、使うつもりなのだろう。
「感情だけで考えれば、あのゴーティスお兄様相手に、この嫌われ者の私が、一体どれだけ人質の価値があるか甚だ疑問ではあるけれど――まぁ、私が死ねば、なおのこと新帝国を承認してくれる国は無くなるでしょうから、多少は効果があるのかしらね。……愛を囁くのと同時に、よくもそんな打算的な考えを、と思うけれど――それが出来るからこそ、あの男は『救世主』たりえるのでしょうね」
ふ、と失笑しながら、無造作に手紙を机の上に放って天を仰ぐ。
手紙の最後の一文には、案の定、いつものように結婚の申し出の一言が添えられていた。
今やクルサールにとって、ミレニアとの結婚は、感情以上に打算が働くものなのだろう。
国家間の関係をより強固にするために結婚という形を取るのは、古来より使い古されてきた手法だ。――ミレニアの母であり、クルサールの初恋だったという、フェリシアがそうだったように。
(とはいえ、私がいきなりゴーティスお兄様と手を結んだとあれば、ファムーラも国際情勢上不利になるのは必至……まだまだ不安定なファムーラにとっても、大陸最大の王国の後ろ盾が得られるのは悪い話ではないのは事実……)
相変わらず、嫌な所ばかりを付いてくる男だ。
元首として国家の行く末に想いを馳せている途中、ふと気づいて視界の端に捉えた青年にちらりと目をやる。
「……そう言えば、お前。もしも私が、国家の安定のためにクルサール殿と結婚すると言い出しても、応援するの?」
「毎日、姫が俺の傍を片時も離れぬという条件の元、貴女があの男と逢う時は、常にあの男を俺の剣が届く範囲に捉え続けることを許していただけるのであれば」
「……そう。では、それはやめておくわね」
チリッ……と仄暗い炎が紅い瞳の奥に宿った気配に、ミレニアは苦笑してため息を吐いた。
どうやら、まだロロの中では、クルサールは『世界で一番殺したい男』としての認識を改められているわけではないらしい。
いつクルサールが再びあの感情の読めない笑顔の下でミレニアを裏切り、あの悪夢のような絶望の日々をなぞるような事態に陥るか――ロロは、全く以てクルサールを信用できないらしかった。
「もとよりそんなつもりは微塵もないから安心して。――第一、クルサール殿が、お前よりも私を愛してくれるだなんて、思えないもの」
おどけて茶化すと、ロロは殺気に似た仄暗い怒りをかき消し、渋面を刻む。
「……それはまた、別の話です」
「あら。何が別なのかしら」
にやにやと笑いながら、ミレニアはロロを下から見上げる。渋面すら愛しいと思えるから、恋は盲目とは本当だ。
すぃっと視線を外して、ロロは苦い顔のまま呻く。
「愛情の大きさなど、目に見えるものではありません。そんなものに拘らなくても――」
「あら、駄目よ。私が『世界で一番愛されている』と常日頃から実感できることが、私の幸せなのよ?お前、私には幸せになってほしいと言っていたじゃない」
「それは――そう、ですが」
「お前以外の殿方と結婚しても、いつも『ロロの方が私を愛してくれているのに』と比較してしまって、私は決して幸せになれないわ。私に幸せになってほしいと思うなら――その上で、お前が私と結婚することを断り続けると言うのならば、早く、お前よりも私を愛してくれる殿方を私の目の前に連れてきて頂戴。それ以外では、絶対に認めないと言っているでしょう?」
「勘弁してくれ……」
これ以上なく渋い顔で顔を覆い、歯の隙間から呻くような声が聞こえる。
しかし、ミレニアは気にした様子もなく鈴を転がすような声でころころと笑った。
「ふふ。……クルサール殿の国家承認の申し出を受けるとしたら、建国までさほど時間がないわ。――建国の日までにお前を口説き落とすと言っておいたでしょう?そろそろお前も、観念する気になったかしら?」
ぐっとロロは返す言葉を見つけられずに口を閉ざす。
どうにも、最近、この話題に関してはとにかく分が悪い。
(酒の席で失態を犯してからというもの――姫はずっと、この調子だ)
後日、ジルバから宴会の場での自分の振る舞いを聞いたときは本当に死にたい気持ちだった。
あの日の失態――宴会での公開惚気――をきっかけに、ミレニアは、ロロが普段は隠しているだけで、本当は周囲がドン引きするくらいに心底自分に惚れているという確信を深めたのだろう。
終始余裕の態度で、足元を見るようにして、こうして何度も結婚の話題を出してくる。
――勿論、事実はもっととんでもない失態を犯しているのだが、それを知っているのはミレニアだけだ。
「まぁ、いいわ。どうしてこの期に及んでもまだ往生際悪く抵抗しているのか、私にはわかりかねるけれど――もうすぐ、マクヴィー夫人もこの地へ来る準備が整ったと連絡がきたことだし、着々と建国と結婚に向けて、私は準備を進めていくだけだもの」
「?……夫人が、それらに何か関係するのですか?」
「ん゛ん゛っ……お、お前には関係のない話だわっ」
「……はぁ」
疑問符を上げながら返事をするロロに、ゴホゴホと咳払いをしてごまかす。
旧帝国では、貴族の閨教育は筆頭侍女の仕事だった。
現在その役割を担っているのはレティだが、男性恐怖症を発症するような過去のトラウマを持つ彼女に、その手の教育を頼むなどという無体なことをするわけにはいかない。
かといって、デリケートな話でもあるので、他の侍女に頼むには勇気がいる。
結局、当時の慣習もよくわかっている上に信頼の厚いマクヴィー夫人を頼ろうと、ミレニアは随分前から決めていた。
「国家としての承認を、どこの国に頼むべきか――決まったら、元首である私が直々に赴かなければいけないでしょう。それまでに、道中の護衛をどうするかについては考えておくわ。お前も、いつ声がかかっても良いようにしておいて頂戴」
「はい」
言われずとも、声がかかればロロの返事はたった一つだ。
春の大きな満月が、夜空から静かに北の大地を見下ろしていた――
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