第81話 始まりの地へ①

 長く厳しい冬が明け、新芽が地面を突き破ろうと大地を刺激し、溶けた雪が沢で心地よい音楽を奏で始める季節――

 ミレニアは、いつものように関係各所からの一日の報告を受け取りながら、深い深いため息を吐いた。


「ふぅ……目が回りそうな忙しさ、とはまさにこのことね」


 つい先ほどルーキスが持ってきた書類を脇へ押しやりながら、ため息とともにぼやく。

 それに書かれているのは、直近一か月ほどの収支報告。

 当初、この地に到着したころの予測の何倍も好調に収益を積み上げている、という報告内容に他ならなかった。


「先住民たちとの国家建設に向けての対話も驚くほどスムーズだったし、壁にぶつかりながらではあるけれど、”議会”制度も何となくうまくいく余地が見え始めているのも良い兆しだわ。法律の制定も問題なく進んでいるし、目下最大の悩みだった建設事業に関しても、冬の間の皆の頑張りのおかげで、今後のめどは十分ついている――そうよね、ロロ?」


「はい」


 丁度、今日の建設に関する報告を持ってきた黒マントの青年をチラリと見上げながら尋ねると、いつも通りの無表情がこくり、と頷いた。


「こちらが、本日の報告になります」


「ありがとう」


 報告書を受け取りながら礼を言って、ミレニアはすぐにザッと目を通す。降雪が減り始めたタイミングから、ぐっと建設現場のスピードが上がり、それ以来建設事業の進捗は好調の一途をたどっている。報告書を見る限り、進捗以外――労働環境や就労者の心身の安寧など――に関しても特に問題はないようだ。

 報告書の中の気になった点だけを二つ、三つ質問し、疑問が解消されると、ミレニアは満足げに頷いて、黒衣の青年に退室の許可を出す。


「ありがとう、ロロ。もう下がっていいわ。――私はもう少し仕事をするけれど、お前はどうする?」


 最後に付け加えられるようになった言葉は、いつかの宴会の夜の後からだ。


「許して頂けるなら――ご就寝まで、お傍に」


「ふふ。わかったわ。好きになさい」


 視線を伏せて端的に答える美丈夫に嬉しそうに笑って答えてから、ミレニアは手元の紅茶に手を伸ばす。

 するり、と肩から滑り落ちそうになったショールをかけ直しながら、無言でいつもの定位置に黒い影が控える気配に、ふっと口元が緩んだ。

 ロロの健康を想って、いつも報告は必要最低限に短縮して半ば無理やり退室させていたころが、もはや懐かしくさえ思える。


(表情筋は、いつも通りピクリとも動かないけれど、これでもロロなりに喜んでくれているのかしらね)


 冬に開催された先住民を呼んでの宴会は、どの催しも大成功と言わざるを得なかった。

 どの会も最大限に盛り上がり、相互理解が深まり、その後の国家としての統一に向けての対話を進めていくための一手としてはこれ以上ない機会だった。

 その一番最初――先住民たちの中で力を持っていた商人たちとの宴会の夜、酒に酔って潰れたロロが、自覚のないままにミレニアへの特大の愛を吐露して以来、ミレニアはそれまでのロロとの関係を見直し、意識的に彼との時間を取るようになった。

 あの夜、普段の無表情からは全く推察できないほどの情熱的な愛情表現をしたロロは、翌朝すっぱりとその記憶を無くしていたようだったが、あいにくミレニアは記憶力の良さには自信がある。

 泥酔した彼がこぼした、彼が常日頃からミレニアと過ごす時間が足りずに不満に思っていたという進言を忘れてやる義理などないのだ。


「ねぇロロ」


「はい」


 戯れのように振り返れば、予定調和のようにして絡む視線。

 動揺の一つも感じさせない紅い瞳は、相変わらず、片時も少女から離されることなく、常に熱い視線を注いでいるようだった。

 ギッと椅子の背もたれに身体を預けると、小さな耳障りな音を立てる。座ったまま仰け反るようにして、後ろに佇む長身の紅玉を見上げ、ミレニアは口を開いた。


「そろそろ、この地も国家としての体裁が整ってきたころなわけだけれど――お前、これから先、何かやりたいことはある?」


「……これから先、とは?」


「建設計画の進捗は上々だわ。そのうち、労働力は別のところに分散させていく必要がある。農作物が豊富にとれる土地ではないのだから、我が国は今後、主に貿易に頼って生きていくわけだけれど――ありがたいことに、そっちの需要は鰻登りよ。人手はあればあるほどいい」


 肩にかかっているショールを指でつまみながら、小首をかしげて笑いかける。

 先住民たちとの交流が深まり、女性たちを呼んだ宴会の夜に、ミレニアは彼女たちの驚くべき才能に気が付いた。

 それは、彼女たちの裁縫の技術。

 一年の半分近くが冬であり、雪に閉ざされている地域に暮らす彼女たちは、家の中での時間の過ごし方に長けていた。その中でも、彼女たちの裁縫技術ミレニアの予想をはるかに超えていたのだ。

 ただたくさんの布を織るだけではない。色とりどりの染色が施された糸の種類一つ一つにこだわり、それはそれは見事な刺繍を施してみせるのだ。

 勿体ないのは、それを彼女たちは、あくまで『暇つぶし』の趣味の一つとしかとらえておらず、商売へと転用しようなどという発想がなかったこと。

 すぐにミレニアは、そこに目を付けて、女性たちの社会進出の一助となる一大産業として育てていくことを決意した。


「通常の布製品も見事な品だと他国で大人気だけれど――光魔法を練り込んだ糸で織った”聖印”のタペストリーは、『神様の加護付き』だと言って、今や王国中の人間が欲しがっていると聞くわ。雪が解けて、商売がしやすくなるこれからの時期は、女たちが冬の間にせっせと作り上げてくれた布織物がきっと商売の主軸になっていくはず。既に、有力商人たちは、旧帝国民だった者たちの人手を、商戦期に向けて勧誘しているというじゃない」


 クスクス、と笑いながらミレニアは告げる。

 糸に光魔法を練り込む、という発想自体が物珍しいのに加え、光魔法使いの能力によって値段に差をつけたのも、産業を後押しした。

 強力な魔法使いが魔力を練ったものは、効力が長続きするため、一度購入すれば一年は買い換えずに済む。その逆は、効力が続くのはせいぜい数か月程度。前者を高額に、後者を安価に設定した。

 聖印に向かって”祈り”を捧げれば、それが発動条件となって光魔法が発動する――それは、その昔、クルサールが旧イラグエナム帝国民を陥れたペテンのカラクリに端を欲した発想だった。


(勿論、私はペテン師になるつもりはないから、あくまで”光魔法”が付与されたタペストリーだと言って正直に売り込んだのに――信者たちが勝手に”加護”と名前を付けてありがたがる分までは、どうしようもないものね)


 おかげで、想定よりも随分と速く、女性が労働し対価を得ると言うことに関して、人々が好意的に受け入れる素地が国内に出来つつある。

 ミレニアは、そっと細い指をカップにかけて紅茶に口を付けて、ロロへと語りかけた。


「これから、きっとファムーラは移民も増えて多様な働き方が認められていくわ。当然お前も、どんな職を選んでもかまわない。国家に留まり、日常を支える仕事に就くもよし、国外を渡り歩いて外貨を稼ぐも良し。……お前は、比較的なんでも器用にこなす男だから、今後国家運営が軌道に乗ったら、何をしたいのかしら、と思って」


「つまり、建設現場以外での仕事、ということですか」


「そうね。勿論、今の仕事が性に合っているから続けたい、ということであれば、それでもかまわないわ。だけど、例えば――国防を担う仕事だとか、商隊を護衛する仕事だとか、お前の経歴を生かした職はいくらでもあるでしょう。勿論、敢えて今までやったことのない仕事にチャレンジしてみたい、ということであればそれも止めはしないわよ?」


 新しい国家のワクワクする未来を考えている時、ミレニアの翡翠の瞳は、これ以上なく美しく輝く。

 世界中のどんな宝石よりも美しいその輝きを前に、ロロは何かを考えるように視線を伏せた後、躊躇いがちに口を開いた。


「何か、特別にしたい仕事があるわけではありません。任されれば――貴女が困っていると言って任された仕事であれば、どんな仕事であろうと尽力します」


「まぁ……全く、お前と来たら相変わらず――」


 どこまでミレニアを中心に世界を回すつもりなのか。

 呆れて苦言を呈そうとしたミレニアを前に、ロロはぽつり、と漏らした。


「ですが――護衛の必要が、あるならば」


「え……?」


「姫の、護衛の必要があるときだけは、どんな仕事よりも優先させてください。……それさえ叶えば、あとは、どうでも」


「――――……」


 ぱちぱち、と漆黒の睫毛が無言で風を送る。

 ジジ……と燭台の灯りが小さな音を立てて揺らめいた。


「……えっと……私は、ファムーラ共和国の元首ではあるけれど、もはや皇族のような立場ではないわ」


「はい」


「元首でさえも、あくまで役割でしかなくて――私はこれを、世襲制にするつもりもない。職業の一つのように、仕組み化してしまおうと思っているの」


「存じています」


 ミレニアが望むのは、自分が死した後も、何百年――未来永劫続く、国家の繁栄と民の幸せだ。

 そのためには、『ミレニアだから』実現できる施策や仕組みを作っては価値がない。

 誰が元首となり、どんな時代、どんなものが民となろうと、自分たちで新しい世界を切り開いて行けるように、全ての物ごとを仕組みへと昇華させていく必要があると考えていた。


「私が死んでも、国が回るようにするのが、私の仕事。……”職業”として元首の役割を位置づける以上、公私を分けて、休みだって取るわ」


「はい」


「つまり私の命になど、何の価値もない――もしも他者がこの国を転覆させたいなら、丸ごと武力制圧して領地をぶんどるしかないのよ」


「はい」


「だから、昔のように護衛兵を侍らせるつもりはなかったのだけれど――」


 戸惑いながら口を開くも、ロロは軽く瞳を伏せてふるふると首を振った。


「国の中で、危険がないことはわかっています。国防のための兵士を立てて、国内の治安維持のための警邏隊のような役割の者も立てると聞きました。移民が増えてこれば話は別ですが、しばらくは見知ったものしか国内にいない。この地には魔物も出ない。……平常時、貴女の命が脅かされるような緊急事態が起きることは少ないでしょう」


「え、えぇ……」


「ですが――元首となれば、外交のため、国外に行くこともあるはずです」


「それは、そうだけれど――」


「……そのときの護衛は、どうされるつもりですか」


 ミレニアは困った顔で口を閉ざす。


「そ、そんなもの……その時々で傭兵を雇うなり、兵士に特別任務を与えれば済むことだわ」


「では、その任は、必ず俺に回してください。それを任せるのが、傭兵だと言うなら、俺は傭兵になります。国防を担う兵士だと言うなら、兵士に」


 ぽかん……とミレニアはロロの顔を間抜けな表情で見上げる。

 決して、冗談を言っている顔ではない。


「……貴女は、自分が死んでも国が回ることが理想だと言う」


「え……えぇ……」


「実際、貴女はそれが叶うような国を作ろうとしている。それは、近いうちに叶うことでしょう。ここで暮らす民は皆、貴女に寄り掛からなければ生きていけないような弱い者ではない。仮に貴女が命を落としたとしても、嘆き、哀しみはするが、新しい元首を選出して、決して歩みを止めることなく、国家を発展させていくはずです」


「そ、そうね……」


 それは、ミレニアにとって、何よりも嬉しいことだ。

 だが、ロロは軽く眉根に皺を寄せて、ぐっと苦い顔を作った。


「民は、それでいい。ですが――俺は、貴女が命を落とせば、きっと、それ以上は生きていけない」


「――――……」


「……だから、仕事に関して、我儘を言わせていただけるならば。――貴女の命を守る役目だけは、どんな時も必ず、俺に回してください。貴女のただ一人の専属護衛として――貴女を、死ぬまで守り抜かせてください」


 ぺこり、と頭を下げて真摯に頼む姿は、どこまでも真剣だ。

 途方にくれた顔でミレニアは眉を下げて、ロロを見た。


「せっかく、”自由の国”になるのよ。お前も、好きなことを仕事に出来ると言うのに――」


「貴女をお守りすることこそ、俺にとって、人生で何よりも優先したいことです。職業の選択が”自由”だというのなら――生涯、ずっと、貴女の傍に置いてください。どんな危険からも、必ず守るとお約束します」


 二度と――この愛しく大切な少女の命を、目の前で散らせたりなどしない。

 それは、ロロの凄絶な覚悟の現れの言葉でもあった。


「……困ったわね」

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