第77話 宴会の夜⑨

「駄目だな。……歯止めが利かない」


「!!?」


「アンタに、思う存分触れられるなんて――夢みたいだ」


「っ――」


 ふ、と緩んだ紅い瞳は、どこまでも幸せそうな光を宿していて、思わず息を詰める。

 戸惑い固まるしか出来ないミレニアに構うことなく、するり、と両手の指を絡めるように捕らえられたかと思うと、再び無数の唇が降ってきた。


(そ……そういえば、ロロが具体的にいつから私のことを愛しく思うようになったのか、なんて聞いたことはなかったけれど――もし、六年前、初めて逢ったとき――いえ、もっともっと前――すべての始まりの、一番最初の時間軸から、ずっと、想ってくれていたとしたら――)


 時間にして、何十年。

 気が遠くなるようなほどの長い時間を、ずっと、ずっと、想ってくれていたのだとしたら。

 何度もミレニアを愛し、失い、やり直し、再び愛しては失って。

 身体に触れることも、愛を告げることも、ずっと、ずっと、鋼の理性で耐え忍んで、日に日に募っていく内に秘めた想いを絶やすことなく燻らせたままに生きてきたのだとしたら。


(”夢みたい”なんて表現したくなるくらいに――ずっと、ずっと想ってくれていたのね)


 今更ながらに、ロロの愛情の深さを実感し、きゅぅっと胸の奥が音を立てる。

 降り注ぐキスの雨の中、緩やかに甘やかに絡められた指をきゅっと握り返して、ミレニアはロロをしっかりと見つめ返した。


「ロロ。――ルロシーク」


 呼びかけられて、ぴたりと雨が止む。

 熱に浮かされた紅い瞳が、至近距離からミレニアを見つめ返した。

 少女は、頬を赤く色づけたまま、ふわり、と幸せそうに笑った。


「ありがとう。――大好きよ、ルロシーク。お前に触れられて、嫌だなどと、思うはずがない。私も、お前を、世界の誰より、一番愛しているわ」


 だから、手を触れることを躊躇ったりなどしないでほしい。

 確かに、この展開は、ミレニアの予想と異なったために、驚いたのは事実だが――

 それでも、ミレニアは、ロロに触れられるのが、大好きなのだから。


「――――」


 ミレニアの言葉に込められた、特大の愛を孕む言外のメッセージを受け取り、ロロの唇が薄く開いて、何かを呟く。

 柔らかく緩んだ女神の翡翠を見て、ごくり、とロロの喉が音を立てた。


「……あまり、煽るな」


「え?」


 ぐっと目を眇めて言われた言葉の意味が分からず、きょとん、と目を瞬く。

 眼の縁を赤く染めた美丈夫は、乱暴な手つきで己のシャツの前を片手で一気に開いた。


「!!!?」


「名前を呼ばれてそんなことを言われると、何もかも全部忘れて、アンタの全部が欲しくなる」


「ちょ――ルロシーク!?」


「ミレニア。――俺の、ミレニア」


 完全に全ての釦を外され、顕になった見事な筋肉美の上でキラリと胸元の翡翠が輝く。

 そのまま、両手で顔を包まれたかと思うと、再びぐっと顔が近づけられた。

 その紅玉には、いつもの燻る愛情を表す灼熱だけではなく、確かな雄としての劣情の炎が宿っているようだった。


「ちょ――待っ……!」


 しかし、制止の言葉は再び始まった熱烈な口づけに飲み込まれて最後まで発言を許されはしなかった。


「んんーーーー!!!」


 先ほどの五倍くらいねっとりとした、濃厚な大人の口づけが始まり、ミレニアは思い切り動揺する。

 大陸最強の武人が、この程度で息を切らす理由などあるはずもないのに、至近距離で聞く吐息が乱れ、荒れているのは何故なのか。

 両頬を包んでいた手が、キスをしながらゆっくりと身体の線を辿るようにミレニアの身体の表面を辿った瞬間、ぶわっと変な汗が噴き出す。


(嘘、嘘嘘嘘、ちょっと待って、ちょっと待って!!!?さすがにそれは――!)


 好きに触れていいと思ったのは事実だが、流石に、嫁入り前の身で婚前交渉を持つような振る舞いを許したつもりはない。

 いくら閨教育を未受講かつ知識に乏しいミレニアと言えど、ロロの手つきが明らかに先ほどとは異なる意図をもって動き始めた気配を察することくらいは出来た。


(芸術作品を見た程度の認識って言ってたのはどこの誰よ――!!!?)


 いつぞや、ミレニアの素っ裸を見ても、眉一つ動かさなかった青年の豹変ぶりに困惑し、目を白黒させて思い切り抵抗するが、がっちりと鍛えられた肉体はか弱い少女の抵抗など全く意に介するそぶりはない。

 荒い息で貪るような口づけをしながら、怪しい動きをする青年の武骨な掌に、羞恥と困惑と、色々な感情が頭の中に溢れだし――


「~~~~~~~っ!!!」


 カッ――!


 気づけばミレニアは、全力で魔力を練っていた。

 部屋の中にまぶしい光が充満したかと思うと、すぅっ――と目の前の男が瞳を閉じて眠りに落ちる。


「っっっ!!!」


 声にならない声を上げて、ミレニアは意識を失ってのしかかってきたロロの重たい身体を必死に押しのけ、何とか寝台から抜け出した。


「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」


 やっとの思いでベッドの外に転がり出たミレニアは、這う這うの体で寝台から距離を取り、ぎゅっと己の首飾りを握り締めてから、そっと後ろを振り返る。

 今まで、一切そんな素振りなど見せなかった――どころか、本当にミレニアを愛しているのかすら正直怪しいと思われていた――ロロが、これ以上ないほど濃厚かつ情熱的な愛情表現を示したのだ。

 ドクドクと心臓は早鐘を打ち、これがトキメキなのか混乱や恐怖によるものなのか、もはやよくわからない。

 思わず緊張で息を詰めてベッドをしばらく見つめるも、よほど強く魔法をかけてしまったせいか、寝台の上の青年はピクリとも動かず昏々と眠っていた。


「っ……ば、馬鹿者っ……!け、結婚の返事を保留にしているくせに、一体何を考えているのよっ……!?」


 真っ赤な顔で罵ってみるも、当然のごとく男からの返答はない。

 つい先ほどまで濃厚な口づけをされていた唇に触れれば、ぐるぐるとまた目の前が回るような錯覚があった。


「ひ、一晩しっかり頭を冷やしなさいっっ!」


 相手にそれを聞きとる能力などないことはわかっていたが、真っ赤な顔で叱咤して、ミレニアは逃げるように足早に部屋から駆け出したのだった。

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