第74話 宴会の夜⑥

 しれっと当たり前のような顔で言われた言葉の意味が分からず、思わず間抜けな声を出す。

 ロロは、どうして自分の言葉の意図が伝わっていないのかわからない、という顔で、言葉を続けた。


「俺には、アンタが求めている”家族の愛”とやらがわからない」


「え……えぇ……」


「だから、それを知っていて、惜しみなく与えてくれる男と一緒になるのがアンタの幸せだと思っている」


「ぅ……は、反論したい気持ちもあるけれど、いったん聞くわ。それで?」


 いつか聞いたことのある論理に、ぐっと言葉を飲み込んで辛抱強くロロの言葉を待つ。

 おそらく、今日のロロは、いつも隠してしまう本音をぺらぺらと喋ってくれる。

 彼の本当の心がどこにあるのかを聞くには、今日を逃すわけにはいかないのだ。


「アンタに”家族の愛”とやらを与えてくれる男は、探せば世界中にたくさんいる。誰でもいい。アンタは、世界で一番美しくて、優しくて、優秀で、非の打ちどころのない女だ。アンタに惚れない男はいない。アンタが好きになった男は、必ず落とせる」


「なっ……!!?」


 とんでもない言葉を当然のような顔で吐き出したロロに、カァッと頬が熱を持つ。

 そんなミレニアには構わず、ロロは言葉を続けた。


「アンタは誰とでも、簡単に相思相愛になれるだろう。別に、一人に決めなくてもいい。何人と浮名を流してもいい。好きなだけアンタが昔憧れていたような恋をして、楽しんで、その中で一番アンタが惚れこんだ男と結婚すればいい」


「なっ……お、お前、なんてことを言うの!」


 さすがに黙っていられず口をはさむ。


「わ、私が、他の男を愛しても、お前には関係ないとでも言うの!?す、好きだと言うなら、し、嫉妬したり、独占欲を露わにしたりしなさいよ!」


 カッと頬を染めて怒鳴るミレニアに、きょとん、とロロは目を瞬く。


「?……関係ないだろう」


「なっ――なんで――!」


「だって――――アンタが生涯、誰にどれだけ愛されようが、俺以上にアンタを愛す男なんか、現れるわけがない」


「――――……へ?」


 今度は、ミレニアが目を瞬く番だった。

 妙な沈黙が流れる。

 ロロは、視線を巡らせながら、拙い己の弁舌でミレニアにどう伝えればいいか考えて、口を開いた。


「アンタが自分の人生の中で、一番、命を賭けて惚れる男は誰だか知らない。それは俺じゃないんだろう。だが――アンタが人生で星の数ほどの男と出逢ったとしても、その中でアンタを一番深く、強く愛する男は俺だ」


「…………」


「俺の命を賭けてもいい。……例え剣闘で負けることがあっても、俺は、この勝負で他の男に負けることは絶対にない」


「な……」


 妙に誇らしげに自信満々に言い切られて、思わず絶句する。言葉の意味を理解し、じわじわと頬が熱を持ち始めた。

 帝都で無敗を誇った伝説の黒布が、一体何を言っているのか。


「どんなに男がアンタに甘く愛を囁いても、所詮、俺以上に愛しているわけがないと思えば、何も思わない。アンタがどれ程その男を愛していたとしても、同じだ。いざというとき、アンタのために命を張れるのは俺だし、アンタがどんな姿でどんな状況に追い込まれても、俺はありのままのアンタを変わらず愛す」


「!」


「言ったはずだ。俺がアンタを守るのは、仕事だからじゃない。命令されたからでもない。ただ、俺が、大手を振って公の場でもアンタの傍にいるにはそれしか方法がないからだ」


 さらり、とロロは胸に抱いたミレニアの髪を優しく撫でる。

 トクン……と心臓が甘く脈打つ音がした。


「アンタは、俺が人生で初めて寝食を忘れてのめり込むものが何か気になると言っていたが――もう、ある」


 大きくて無骨な掌が、慈しみを持って、ミレニアの小さな頭を撫でる。


「――ミレニア。アンタだ」


「――!」


 紅い瞳がしっかりと絡んで、サラリと当たり前のように名前を口にしたことに驚き、息を呑む。


「俺はいつも、寝ても覚めても、アンタのことしか考えてない。一分一秒を惜しんで、俺の人生の時間の全てをアンタに捧げたい。建築現場での作業は"仕事"だから、アンタに会えなくても我慢するが――"休み"だと言うなら、アンタの傍に居させてくれ。……趣味、みたいなものだ。俺はもう、アンタなしでは、生きていけない」


 ミレニアを失った世界は、酷く味気なくて、途方もなく広くて――息の仕方すらわからなくなる。


「それ以外に趣味なんぞいらない。アンタ以外に時間を使っている暇なんかない。俺みたいな男が、アンタの傍にいるには、それくらい全部を捧げて丁度いいんだ」


 涼しい顔で特大の愛情を告白され、ぼぼぼぼ、とミレニアの頬が熱くなる。


「アンタがどんなに弱くても情けなくても、構わない。どこの誰をどれだけ愛してもいい。世界一の醜女になったとしても、関係ない。例えこの世の全員がアンタに失望し、敵になったとしても――俺だけは、ずっと、今と変わらない。アンタの傍で、俺が息絶えるまでずっと、世界で一番アンタを愛し続ける」


 淡々と、当たり前のことのように告げられる言葉に、ジワリ、と翡翠の端に涙が滲んだ。

 それは、幼く弱い"ただのミレニア"が――ずっとずっと、欲しかった言葉。

 すっぽりと小さな身体を覆い隠すように抱きしめてくれる力強い腕も、愛しそうに優しく頭を撫でてくれる大きな手も、全部、全部、幼いミレニアが心から渇望していたものだった。


「……?……泣いている」


 紅い瞳が困惑したように揺れて、心配そうに覗き込む。

 無骨な指が涙を拭ってくれる優しさに目を細めて、ミレニアはふわりと笑った。


「大丈夫よ。これは――嬉し涙なの」


「?」


「とっても幸せだ、と言っているのよ」


 ぼんやりとした瞳で疑問符を上げる男に笑いかけ、そっと額を預ける。

 もう、『誰でもいいから愛してほしい』と泣きじゃくる、幼いミレニアはどこにもいない。

 たった一人の愛しい男から、海より深い愛情を真摯に注がれる、世界で一番幸せな女がいるだけだ。


「お前、これからはたまに酒を飲みなさい。……もっと、普段から、口に出して」


「何を……?」


「ちゃんと、言えるじゃない。『愛している』も――『ミレニア』、も」


 すねた声で甘える。逞しい胸に額をこすりつければ、チャリッと首飾りが小さく音を立てた。

 ロロは、甘えるように身体を寄せた少女を受け止めるように、優しく頭を撫でてやる。


「私ね。お前の前でだけ、時々こうして甘えたくなるの」


「……別に、いつでも甘えればいい」


「本当?じゃあ、その時は、『ミレニア』と呼んでくれる?こうして抱きしめて、頭を撫でてくれる?」


 髪の手触りを堪能するように何度も撫でていた手が、ピタリと止まる。

 少しの沈黙が降りた。

 チラリ、と視線を上げれば、紅い瞳がいつもの定位置に固定されている。何事かを考えているらしい。


「……アンタが、泣くのは困る」


「えぇ」


「独りで抱え込んで、相談もされず、突き放されるのは、正直堪える。どんなことでもしてやりたいと思う」


「えぇ」


「だが――俺は、アンタに触れていいような男じゃない」


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