第72話 宴会の夜④

「ひゃっ!?」


 ロロはミレニアの後頭部に大きな手を添えると、己に良く見えるように、ぐっと引き寄せた。

 不意を衝かれてつんのめり、寝台に前のめりに倒れそうになってしまう。


「ろ――ロロ!?」


 緊急時でもなければ決してミレニアに手を触れることなどない男が、自分から手を伸ばして接触してくること自体が稀有なことだと言うのに、普段から地の底まで謙る彼が、ミレニアにこんな不敬を働くことなど、天変地異の前触れとしか思えない。

 咄嗟に肘をついて身体を支えてから、粗野な振る舞いを非難するように青年の顔を見返せば――


「あぁ――やっぱり、今日も、綺麗だ」


「――――へ――――――?」


 とろん、と溶けるように甘く緩んだ紅玉の瞳が、ミレニアの頭を固定したままじぃっと覗き込む。


「何度見ても――アンタは、世界で一番、美しい」


「――――……」


 うっとりと囁く言葉は、少し掠れて、熱っぽく。

 緩んだ紅玉の瞳には、隠しもしない灼熱が渦巻いていて。


(え――……っと……?)


 鼓膜を震わせた音の意味を、一瞬脳みそが処理できずにスルーしていき――一拍遅れて、その意味を悟った。


「!!!????」


 ボフッ

 頭が爆発したような錯覚を起こし、全身の血が一瞬で頭部に集中する。


「な――ななななななな何を言って――」


「……真っ赤だ」


「お、おおおおおお前が変なことを言うからでしょう!!?」


「?……いつも思っていることだ」


「いつも!!!?」


 思わず声が裏返る。

 いつも通り表情らしい表情を顔面には乗せないままで、日常では決して口にしないような甘ったるい言葉を吐くため、脳みそが混乱を極める。

 しかし、酔っ払っている彼は特におかしなことを言っているという自覚はないらしい。

 ミレニアの頭を引き寄せる手はそのままに、逆の手でつぅ――とミレニアの頬から首筋に掛けて指を辿らせる。


「ふぁっっ!?」


「アンタはいつも、肌の色がどうのと気にしているが――雪みたいに白い肌が、こうして紅葉を散らしたように紅く色づくのは、何度見ても綺麗で、色っぽい」


「いっ――いいいいいい色っ……!?」


「褐色の肌だの、黒い瞳だのの女を羨む必要なんかない。――俺が人生で、美しいと思った女は、アンタだけだ」


「!!!!????」


 ふ、と微かに口元を緩ませながら口説き文句を口にした、今目の前で暴力的なまでの色気をまき散らす男は、一体誰なのか。

 ミレニアは急にわからなくなって、真っ赤な顔のままで目を白黒させる。


「お、おおおおお前、何を言っているの!?し、ししししっかりしなさい!」


 自分から「一度は言わせてみたい」と興味本位で眠りから起こした事実などすっぱり忘れて、ミレニアは必死で言い募るが、ロロはどこかぼんやりとした目で疑問符を浮かべるだけだ。

 呼吸がしやすいようにとはだけさせた胸元のせいで、色気が五割増しで襲ってきて、質が悪い。

 目のやりどころに困って、ミレニアが俯きながら目を泳がせると、ピクリ、とロロの眉が跳ねる。

 ――彼が、不愉快を感じたときの仕草。


「――よく見えない」


「きゃ!?」


 後頭部に添えられていた手で顔を上げさせながら、軽く身を起こすと、もう片方の手で寝台に肘をついて崩折れていたミレニアの華奢な腰をぐいっと引き寄せ、無理矢理寝台へと引きずり込む。

 さすがの腕力は、ミレニアの小柄な身体の小さな抵抗など物ともしない。

 結果――意図せず、同衾する形になってしまった。


「ろ――ろろろろろろろロロ!!!?」


「あぁ……これで、よく見える」


 ゴロリ、と横になった状態のまま、寝台の上で密着しながら顔面を固定されるようにして至近距離から覗き込まれ、心臓がバックンバックンと尋常ではない音を奏でるが、目の前の美丈夫は妙に満足げだ。


「ずっと、アンタが恋しかった」


「はい!!!????」


「この地へ来てから、アンタと過ごす時間が減った。毎日毎日、恋しくて堪らなかった。どんな些細な理由を付けてでもいいから、少しでも長く傍にいたいと思っていたのは、俺だけか?」


「そっ――そそそそれはっ……!」


 いったいどこの甘い恋人の会話だ。


「昔から、どんなに忙しくても、少しでも時間を見つければ、この気味の悪い色をした瞳を覗き込んで、『美しい』と言ってくれただろう。だが、ここへ来てから、それすらなくなってしまった。――もう、この瞳には、飽きてしまったか?」


「そっ、そそそそんなことはっ……」


「俺は、飽きない」


 恥ずかしさに視線を逸らそうとするミレニアの顔面を無理やり己の方に向けながら、きっぱりと言い切る。


「初めて出逢った日からずっと、アンタの瞳が好きだ。仮にアンタが俺の瞳に飽きたとしても、それは変わらない。会えない日は、毎晩首飾りを眺めては、思い出す。――毎日、ずっと、アンタのこの宝石みたいな瞳を見ていたい。何度見ても、吸い込まれそうな美しさだ」


「ひゃ――わ、わかった、わかったから!!!」


 今まで、自分も散々ロロに向かって似たようなことを言ってきた気がするが、言われる側はこんなにも気恥ずかしいものなのか。

 うっとりと眺めながら近づいてくる紅い瞳から逃れるようにして、ぶんぶんと頭を振って大きな掌から逃れると、ロロは少しむっとしたようだった。


(こ、これ、本当に誰……!!!?)


 もはや、ロロの皮をかぶった別人としか思えない。

 頭を伏せれば、目の前に、はだけたシャツから覗く逞しい大胸筋がある。大事に大事に首に掛けられた宝飾は、至近距離で見ると、宝石の周囲の金細工が擦れて劣化していた。――何度も握り込んでいる証拠だろう。

 混乱する頭を少しでも整理しようと、必死に寝台から逃れようとすると、逃がしはしないとでも言いたげに腰をぐっと抱かれた。


「ロロ!?」


「離れるな。――もう少し、アンタを堪能したい」


「堪能って何!!!?」


 素っ頓狂な声で聞き返すも、ロロは気にした素振りもなく、ミレニアを恋人にするように大切そうに胸に抱き、己の肩口に小さな頭を預けさせる。

 そのまま、スンスン、と耳の後ろあたりで小さな音がした。


(ぇ……?待って、何を――)


 肩口に頭を固定された状態では、ロロが何をしているのか見えなかったが――ふんふん、スンスン、と聞こえる音ですぐに状況を察し、カッとミレニアの全身が沸騰する。


「ちょっ――馬鹿、何をしているの!!!」


「嗅いでる」


「当たり前のような顔をして言わないで!!!!」


 全力で抵抗を示して逃げようと画策するも、非力なミレニアが、がっちりとした逞しい腕から逃れることなど敵うはずもない。


「やめてやめて嗅がないで!!!一日バタバタ走り回って、まだお風呂にも入っていないのよ!!!」


「?……だから?」


「汚いからヤメテと言っているの!!!!!」


「?……アンタが汚い、という概念が理解できない」


「お前本当に何を言っているの!!!!???」


 赤くなるを通り越して蒼くなって叫ぶ。乙女として、許容できる範囲と出来ない範囲があった。

 さすがに本気の拒絶が分かったのか、ロロは少し力を緩め、ミレニアの顔を見下ろす。

 じっと見つめてくる瞳は、いつも通りの美しい紅玉をしていた。

 何もおかしなことはしていない、とでも言いたげな純粋な光が宿るその瞳に、なぜかミレニアの方が居心地が悪くなり、もぞっと身じろぎをする。


「そ、その……い、嫌だと言っているわけではないのよ……?で、でも、お前は今まで、一度も自分の気持ちを、私の前ではっきりと表してくれたことがなかったから――その、と、ととと戸惑ってしまうだけで……」


「気持ちを表す?」


「その……私のことをどう思っているだとか……こ、こうして、抱きしめたりとか……」


 もごもご、と口の中で呻くが、目の前の紅い瞳はきょとんとこちらを見ているだけだ。


「……キスしたことがあっただろう」


「そっ――れは、ね、眠っている時じゃない……!」


「起きていたと言っていた」


「は、半分眠っていたの!」


 動揺することもなく当たり前のように認められて、ミレニアの方が焦って早口になる。

 顔を覗き込まれているのが恥ずかしく、うつむきながらもごもごと反論した。


「その……お前が私のことを大切に想ってくれていることは、言葉など無くても、察せられるのだけれど……だけど、やはり、私も人間だもの。いつもいつも、結婚する気はないとか、他の男と結婚をするべきだとか、その気持ちは勘違いだとか、そんなことを言われ続けていると、不安に……なる、のよ……」


 きゅっと拳を握り込みながら、弱々しい本音を吐露する。


(あぁ……今なら、言えるかもしれない)


 ふと、何の気負いもなく、そう思えた。

 今のロロは、いつもの"強い"ロロではない。

 ミレニアのためにどんなことも涼しい顔のまま、己の努力一つで成し遂げてしまうロロではなく――ミレニアのために、と苦手なことにチャレンジしたものの、酔い潰れて醜態を晒してしまうような、そんなロロだ。

 欠点らしい欠点すら見当たらないと思っていた彼には、打ち明けても意味がないと強がってしまったが――今の彼になら、素直に弱音を吐ける気がした。


「あ……あのね、ロロ……聞いて、くれる……?」


 ごくり、とつばを飲み込んでから、ミレニアはそっと唇を開いた。

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