第70話 宴会の夜②

 宴もたけなわになり、会場はどんちゃん騒ぎが始まっているようだ。絶え間ない笑い声が響き、にぎやかな様子が休憩室にまで伝わってくる。


(ここは大丈夫そうね。北の商人たちは本当にすごいわ。酒に酔ったと言ってこちらに休憩に来るのは、皆帝国出身者ばかり……遺伝子的に、酒が強いのかしら?)


 事前情報を基に、かなり度数の高い酒を揃えたため、もてなすはずの商人たちが倒れてしまうのではと心配していたが、どうやら杞憂だったらしい。

 宴会場にいる者たちは、普段から酒に目がなく、今回の宴会をただで良い酒が飲める機会だと喜んでいたような者か、酌をする要因として駆り出されている夜の街出身の人間が殆どだ。

 自分は飲まずに相手に酒を飲ませる手管に長けている夜の女たちは、言うまでもなく自分が酔いつぶれることはめったにない。

 酒に酔ったと言って休憩室に来るのは男たちばかりだが、彼らとて普段から酒を飲み慣れているため、限界は自分でよくわかっている。奴隷社会で理不尽を強要されながらも上手にそれをいなす術も得ている彼らは、飲み比べになったとしても上手く切り上げ、別の者にお鉢を回すなどしてこっそりとこちらにやってきているようだ。


(とはいえ、それも前半戦まで……もう少ししたら、潰れる者も出て来るでしょうね。動けなくなった者のために、仮眠室の鍵は開けておいた方がよさそう。……そういえば、光魔法で酔いって醒ませるのかしら?)


 そんなことを考えながら、仮眠室の鍵を開けて回る。

 今日、ミレニアはルーキスと共に、最初と最後の挨拶以外は徹底的に裏方に徹するつもりだった。

 便宜上、ここの人間を束ねる立場にいる二人が会場にいると、肩ひじを張った会話になりかねない。それは、相手も――自分たちも、だ。

 親睦を深めながら、良き隣人として付き合う土壌を作り上げたい今、二人はあえて表舞台には顔を出さない方がいいだろう。


(さて……宴はあと半分くらい、ってところね。少し宴会場の様子を陰からこっそり見てこようかしら)


 酒や食事は十分に足りているか、トラブルは起きていないか、そうしたことを確認しておこうと、仮眠室の最後の個室の鍵を開けながら考えていると――


「ホラ、しっかりしろ。ったく……どんな筋肉量してんだ、クソ重ぇ……!大体、野郎にくっつかれて喜ぶ趣味はねぇんだよ、この馬鹿が……!」


「?」


 廊下の向こうから、見知った声がしたので、疑問符を上げながら振り返る。

 もしも声の主が予想通りの人物なら、飄々とした仕草でいつも皮肉な笑みを浮かべている彼が、こんな口汚い罵り言葉を口にするのは初めて聞く。

 第一、ああみえて意外と面倒見がよい所がある男だ。だから、今日もロロを安心して任せることが出来たのに――

 そんなことを考えていたミレニアは、曲がり角から現れた見知った姿に驚愕した。


「えっ――ろっ、ロロ!!!?」


 現れたのは、予想通りの男、ジルバと――彼に肩を貸されてずるずると半ば引きずられるようにして運ばれてきたロロだった。


「お?嬢ちゃんじゃねぇか。ちょうどいい所に――仮眠室の鍵開けてくれ。さっきからもう、うんともすんとも言わなくなっちまった」


 よっ、と軽く声を上げて重たそうにロロの身体を支え直す姿に、あんぐりと開いた口が塞がらない。

 今まで、ロロとは何度も修羅場を経験してきた。彼が傷つくところも、疲労するところも、何度も見てきた。中には、命の危機に瀕するのでは、というときもあった。

 だが――そのどんな時であっても、こんな風に、他人に担がれなければ立っていることすら出来ないほどの事態に陥ったことはない。

 何故なら彼は、名実ともに、大陸最強の男なのだから。


「ど――どどどどどうしたの!!!?」


「どうもこうも……見ての通りだ。酔い潰れたんだよ」


 翡翠の瞳を大きく見開き、素っ頓狂な声を上げるミレニアに苦笑して、ジルバはもう一度ロロを抱え直す。

 鍛え抜かれた長身が、ぐったりと力無くジルバに凭れかかっている。普段であれば、ロロの方が口汚く舌打ちをして悪態をついているだろう距離感だ。


「嬢ちゃんは知ってたか?コイツ――」


 言いながら、ジルバは不意に俯く。


「……ジルバ?」


「いや……ぶっ……くくっ……駄目だ、思い出したらまた笑えて来た……!」


「へ?」


 急に肩を震わせて笑い始めたジルバに、ミレニアはぽかんと口を開く。


「コイツっ……さ、酒、一滴も飲めねぇんだよ……!」


「……ぇ?」


 ふるふる、とジルバは笑いをこらえられないのか、震える声で絞り出す。明らかに腹筋が引き攣っている気配があった。


「せ、世界最強の男がっ……あんな、化け物みてぇな強さの男がっ……の、飲ませたら一発アウトって、何だよ……ぶくくっ……」


 ジルバが笑いながら大きく肩を震わせる度、うんともすんとも言わないロロのシルバーグレーの旋毛が合わせて揺れるのが間抜けだ。

 まだ事態がうまく呑み込めていないのか、ミレニアはぱちぱちと大きな翡翠の瞳を瞬くばかりだ。


「い、言われてみりゃ確かに、帝都にいたころから、こいつが飲んでるとこなんざ見たことなかった。こっちに来て、皆して酒で寒さをごまかしてる中、こいつだけは自分の火で暖を取れるせいか、いつだって冷めた顔して水しか飲んでなかった。近くで酒飲んでるやつがいると、不愉快そうに顔を顰めてるのは知ってたが――ま、まさか、匂いすらダメなレベルの下戸とは思わねぇだろ……!」


「ぁ――そういえば……」


 いつぞや、食堂でガルが飲んでいる場面に遭遇したときも、ロロは眉を顰めていたことを思い出す。

 あれはてっきり、酒で気が大きくなって、うるさくなったガルの声音が不愉快なのかと思っていたが、アルコールの匂いが受け付けなかったのだろう。


「じゃ、じゃぁ、今日の宴席は――」


「それについても爆笑もんの土産話があるんだが――ひとまず、部屋を開けてくれ。重くて堪んねぇんだ」


「あ、ご、ごめんなさい」


 苦笑するジルバに、慌てて先ほど鍵を開けたばかりの個室の仮眠室の扉を開く。

 脂肪よりも筋肉の方が重いのは常識だ。その上、意識を失っているに等しい今、ロロの彫刻のように見事な肉体美を誇る長身は、相当な重量となってジルバにのしかかっているのだろう。

 ジルバは筋骨隆々という表現からは程遠い痩身の男だから、なおのことだ。

 よっ、ともう一度掛け声をかけて気合を入れてから、ジルバは部屋に踏み入ってゴロンと乱暴にロロの身体を寝台へと転がす。

 大陸最強の男は、抵抗するそぶりもなく、素直にコロリとシーツの上を転がった。


「ろ、ロロがこんな風になるなんて……し、知らなかったわ。言ってくれればよかったのに――」


 知らなかったとはいえ、下戸である彼に、酒の席での接待をしろと命じるなど、無茶苦茶な要求をしてしまった。


「ま、本人も、ここまで弱いって知ってたのかはわからん。とはいえ、嬢ちゃんに困った顔で頼まれりゃ、ノーとは言えねぇ奴だからな。最悪、気合で何とかなるんじゃねぇかって思ってたんじゃねぇか?……どうにもならなかったわけだが」


 重たい荷を下ろして軽くなった肩をぐるぐる回しながら、ククッとジルバが笑う。


「強めの酒とはいえ、一口飲んだだけで意識飛ばして、あの伝説の黒布が机に顔面から突っ込んだのはマジで笑えたな。このお綺麗な顔で、だぜ?くく……欠点らしい欠点なんかねぇ奴だって思ってたが、こんなわかりやすい欠点があるとは」


「け、欠点っていうか……だ、大丈夫だったの?その……宴席の方は……」


 恐る恐る尋ねる。

 酒を一口飲んで意識を飛ばしたとなると、倒れたのは宴会が始まって割と序盤だったろう。今は、宴会の中盤だ。

 それまでの間、どうやってジルバが場を繋いだのか、ミレニアは心配そうに長身痩躯を見上げる。

 すると、長身の皮肉屋は頬を歪めてそれはそれは愉快そうに、もう一度声を上げて笑った。


「さすがに俺も面食らって――慌てて、頬何発か叩いて、その辺にあったコップの水ぶっかけて、無理矢理起こしたさ。嬢ちゃんから、今日は大事な日だって聞いてたし、商人の旦那らを興覚めさせるわけにいかねぇしな」


「そ……そう……」


 予想以上に乱暴な覚醒のさせ方に、ミレニアの頬が引き攣る。そこまでの対応を望んではいなかったのだが。


「そっからは、もう……ぶっ……っくくく……こいつの独壇場だよ」


「へ……?」


「安心しな。嬢ちゃんの護衛兵は、しっかり任務を果たしてた。商人の旦那らは、帰って娘たちに、『あいつはやめとけ。いい男だけどな』って言ってくれるさ」


「???」


 全く話がわからず、ミレニアは怪訝な顔でジルバを見上げる。

 ニヤニヤと、可笑しそうに笑う男の顔があった。


「酔っぱらったこいつは、何を思ったのか――きっと、普段隠してる感情、全部洗いざらい、聞かれるがままにぶちまけやがった」


「へ――?」


 笑いながらジルバはポン、とミレニアの肩を叩く。


「そりゃもう、聞いてるこっちが恥ずかしくなるくらいの、嬢ちゃんへのべた惚れっぷりを披露したのさ」


「!!?」


「最初は、クソ真面目に、嬢ちゃんに心の底から惚れてるから生涯どんな女とも結婚する気はない、つっただけなんだけどな。そんな酒の肴になる話、旦那らが放っておくわけないだろ?根掘り葉掘り聞かれたら、もう聞かれるがままに、素直に吐くわ吐くわ。酒でぼんやり焦点が合ってない眼で、いつも通りピクリとも動かねぇ無表情のまま、延々、嬢ちゃんのどこが好きだとか、どれくらい惚れてるかとか、どんな仕草にグッとくるだとか、お前誰だよって思うくらい、情熱的な話を披露するわけだ。普段を知ってる俺からすれば、もう、隣で笑い堪えんのに必死で必死で」


「な――どどどどういうこと!!!?」


 ボンッとミレニアの顔が火を噴く。

 語られる内容は、普段の彼を知る身からすると、もはや本当にロロの話なのか疑わしいレベルだ。


「嘘みてぇだろ?でもこれがマジなんだよ。……んで、そのうち、嬢ちゃんとの実際の進展はどうなんだって話になると、案の定急にクッソ重い拗れた愛情を披露するわけだ。元奴隷の身の自分は相応しくないとか、嬢ちゃんはもっといい男と幸せになるべきだとか。惚れすぎてて気持ち悪い自覚があるから、絶対本人に素直な気持ちは打ち明けられない、とか言い出したときは流石に爆笑したな」


「!!!??」


「その前に披露してた惚気話は何だったんだ、ってくらいのネガティブさに、酒が入ってることもあってか、旦那ら皆、こいつを励ます方に回ってな」


 くくく、と喉の奥で笑いをかみ殺す。

 商人たちに取り囲まれて、恋愛のアドバイスを受けているロロを見るのは、本当に可笑しかった。


「最初は、顔がイイだけの、女にキャーキャー言われても冷めた顔してるいけすかねぇ野郎だな、って認識だったはずなのに、『その顔があればいける!』だの『一途すぎるだろ、心まで男前か!』だの『これだけモテるのに本命にだけ振り向いてもらえないとか、お前どんだけ不憫なんだ!』だの、むしろ最初のマイナス印象が功を奏してんのはウケたな」


「な……何、それ……」


「で、最後は、満場一致で『ニアを落とすまで頑張れ!俺たちは全力でお前を応援する!娘たちのことは任せろ!』ってなったのさ」


 肩をすくめて、ジルバは笑いながら締めくくる。

 自分の知らないところで起きていた事件に、ミレニアはしゅぅぅ……と頭から湯気を出して羞恥に顔を赤らめる。

 ポン、ともう一度ジルバがミレニアの肩を叩いた。


「そのあとは、もうずっと『姫、姫』『会いたい』『傍にいたい』って譫言みてぇにうるせぇからさ。もう二、三口無理矢理飲ませて意識飛ばせて、こうして運んで来たんだ。……だから嬢ちゃんは、これからも安心してコイツを口説けばいい」


「!!!?」


「可哀想だから、ちょいとご褒美がてら、介抱してやってくれ。……いやぁ、それにしても、こりゃ相当笑える最高の弱みが握れたな。感謝するよ、嬢ちゃん」


 かつてのライバルの予期せぬ弱みを掴んで、上機嫌のままジルバは部屋を後にしてしまう。

 パタン、と扉が閉められると、ミレニアはロロと二人きりの仮眠室に残された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る