第68話 目に見える愛⑤
ついに、宴会の初日を迎え、その日は朝からバタバタと皆がせわしなく動いていた。
幸い、天候にも恵まれ、商人たちは行路を予定通りに進んで、到着時刻も当初の想定通りだという。
「楽器の配置は完了したかしら?会場の端まで音が届くか、最終確認を忘れないでね。調理場の人員は足りている?追加で頼んだ酒が到着する時刻は変わりないかしら?」
ミレニアは、会場や調理場のいたるところに顔を出しては、指示を出して確認をしていく。
夕焼けが空に広がり、茜色に世界が染まるころ、宴会を始める手はずになっているのだ。
決して失敗のできない初日の宴会なのだから、どれだけしても確認しすぎということはない。
「次は――えぇと、休憩室――!」
「姫」
「ひゃっ」
焦りを顔に滲ませながら踵を返したところに、ぬっと気配も無く現れた黒衣の長身に驚いてのけぞる。
「ロロ……!お、驚かせないで……!」
「申し訳ありません。……休憩室ですが、指示書通りに家具を運び込みました。暖炉には、俺が魔法で火を入れたので、朝まで絶えることはないと思います」
休憩室とは、酒に酔って気分が悪くなった者や、喧騒を離れてゆっくりしたい者、目まぐるしく働いたせいで疲れた者などのために作ったもの。ソファや机、本棚などを置き、誰でも自由に、好きなタイミングでくつろげるスペースにした。
「あ、ありがとう。ちょうど確認に行こうと思っていたのよ。助かるわ」
「いえ……」
静かに目を伏せて軽く礼をする従者は、いつも通り必要最低限の言葉しか話さない。
「仮眠室の方は?」
「そちらも、滞りなく。大部屋が二つ、個室が三つ。それぞれ指示された通りの配置で寝台を入れています」
「そう。ありがとう」
自身も大きな家具を運ぶ労働者の一人でありながら、こうしてミレニアの動きを予測して絶妙なタイミングで報告を上げてくるのは、ひとえにロロが彼女との付き合いが長いためだろう。
痒い所に手が届く働きをしてくれる従者に満足しながら、ミレニアはそのいつもと全く変わらない無表情を少しむっとした顔で見上げる。
「……?何か」
物言いたげな視線に気づいて、涼やかな顔がミレニアを見下ろす。
むっとむくれたまま、ミレニアは口を開いた。
「私、まだお前のこと、怒っているわ」
「……申し訳ございません」
「もうっ……従者たちを抱き込んで、私を無理矢理に眠らせるなんて――どこでそんな悪知恵を付けてきたの」
ぷっと小さく膨れる頬は、彼女なりに怒りを表しているのだろうが、さほど膨らまないので可愛らしいとしか思えない。
数日前――ミレニアは従者に嵌められたことを知り、茫然とした。
確かに、寝不足だったことは認める。だが、目覚めたら燦々と煌びやかな朝日が差し込んでいた時の絶望と言ったらない。
過保護なロロが気を回したのだろうというのはすぐにわかった。茶を飲んですぐに倒れるように寝入ってしまったことからも、侍女をはじめとする従者たちが結託したことも理解した。
慌てて執務室に行けば、ルーキスの筆跡で、午後に片付けようと思っていた書類たちが全て整理されていたことから、想像以上にたくさんの者たちを巻き込んで計画されたことだったというのも悟った。
夜になって、しゃあしゃあといつも通り、現場報告の書類を持ってきたロロをジト目で睨んだ。しかし、たっぷり眠って血色がよくなり晴れやかな顔をしたミレニアを前にすれば、ロロは全く反省していないかのようないつもの無表情で「申し訳ございません」と言葉で謝罪するだけだった。
「結果としてゆっくりと眠れたのは良かったけれど――だまし討ちのようなことをするのは、良くないわ」
「はい」
従順に頷く顔は、いつも通りの無表情で、わかっているのかいないのかわからない。
癪に障るのは、おかげで沈んでいた気分すら上向いてしまったことだ。
寝不足は、気持ちを憂鬱なものにしやすい。知らず知らずのうちに、寝不足に端を欲するネガティブな思考ループに入り込んでしまっていたようだ。
何かが解決したわけではないが、最も気分がふさぎ込んでいたころのように、鬱々とすることは少なくなった。
(それに――何かしら。あまりよく覚えていないのだけれど……あの日の夢は、いつもより、ほんの少しだけ――心が温まる、そんな夢だった気がする)
「そ、それからっ……ひ、人の寝顔を、まじまじと眺めるのも、いかがなものかと思うわっ……!」
「?」
ミレニアが一番怒っているのは、そこだ。
頬を染めながら、不服そうにミレニアは苦言を呈すが、ロロはどうやら言われている意味がよく分からないらしい。
「
「……はぁ」
わかっているのかいないのか、曖昧な返事が返ってくる。軽く眉根が寄っているところを見るに、きっとよくわかっていないのだろう。
目が覚めた後、慌てて従者たちに事情説明を求め――ミレニアは、己の行動を後悔する。
従者たちは、申し訳なさそうにしながらも、しっかりと当日の話を聞かせてくれた。
ロロが午前に休息を取っていたなどというのは当然のごとく嘘っぱちで、日の出とともにルーキスに直談判して計画し、午前中いっぱいをかけて、巧妙にミレニアを陥れる準備を整えたこと。
ミレニアが眠った後、ロロがその身体を大切そうに横抱きにして、悠々と施設内を歩いて、衆目を気にするそぶりもなく寝室まで運んだこと。
そのまま、夕食も取らずにずっとミレニアの部屋から出てくることはなく、夜中になってやっと自分の部屋へと帰っていくのを目撃されていたこと。
(そ、そんな長時間、ずっと――も、もしも涎なんか垂らしていたら――あぁ、もう、恥ずかしいっ……!)
さらに、従者たちから聞かされた話は、もう一つの理由で、ミレニアの顔を茹で蛸のように真っ赤にさせた。
紅玉宮にいたころは、書斎と私室が繋がっていたため、寝落ちて運ばれたとしても人々に目撃されることなどなかったのに――
(き、きっと私、昔のように抱き上げられたのだとしたら、無意識にロロに甘えていたわ……!そ、そんな姿を皆に見られるなんてっ……!)
日常でロロがミレニアを抱きしめることなどありえない。だからこそ、昔から、寝落ちて身体を運ばれるときは、無意識にロロに甘える癖がついていた。
逞しさの塊ともいえる厚い胸板に緩み切った頬を寄せ、胸いっぱいに彼の落ち着く香りを取り込む。そんな、子供みたいな甘ったれた仕草を、ロロだけならともかく、多くの従者にまで見られていたと思えば、羞恥が極まった。
そして何より――ゆっくりと眠って、すっきりとした心と頭が、告げている。
きっと、無意識の最中でも、彼にそうして久しぶりに大切そうに身体を抱きかかえられ、思う存分に甘やかされて、心の中にいた”幼いミレニア”のいくらかが満たされたのだろう。
あれほど思い悩み、八つ当たりまでしてしまったと言うのに、たったそれだけで満たされた現金すぎる結果を思えば、より一層気恥ずかしさは募った。
「きょ、今日の宴会は、お前の役割も大切なのだからっ……し、しっかり働けば、許してあげるわ」
「はい。努めます」
ぺこり、と礼をして、従者は踵を返した。人手を求めている現場を探しに行くのだろう。
ドキドキと思い出した羞恥で甘く胸が高鳴るのを抑えながら、ミレニアもまた次の確認場所へと足を向けるのだった。
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