第66話 目に見える愛③

「「!」」


 さすがはミレニア――とでも言えばいいのか。

 従者の些細な変化すら見逃さないのは、主としてはこれ以上なく優秀なことだが、こういうときは非常に困る。


(やはり、無理を言ってレティにでも頼むべきだったか――?)


 ごくり、とロロが喉を鳴らす。

 レティはミレニアのことを誰よりも深く想っている従者のうちの一人だ。男が傍にいるだけで呼吸困難になり、涙を浮かべて震えるか弱い一面を見せる癖に、革命の夜のように、ミレニアのためならばいざというときに信じられないほどの豪胆さを見せる。今回とて、レティに頼めば、ミレニアの体調のためならばと何食わぬ顔で魔法入りの茶をいつもと同じように給仕したことだろう。

 だが、本来今日の午後の給仕の役割を担っていないレティが部屋に現れることに疑念を持たれるかもしれないことと、同室内にロロが控えているためレティがいつもの恐怖症を出すかもしれぬと懸念し、他の侍女に任せることをよしとしたが、判断ミスだったかもしれない。

 見れば女は歳若く、経験が豊富とも思えない。怪しまれぬようにどうやってフォローをすべきかとロロが頭を悩ませると同時、侍女本人が口を開いた。


「申し訳ございません。この後、レティさんから、抜き打ちで業務チェックを行うと言われていて……今から緊張しているのです」


「まぁ。レティったら、そんなことをしているの?」


 出て来た言葉は、元々侍女がミレニアに不信を抱かれたときのために用意していたのか、レティあたりが陰で入れ知恵したのかは知らないが、ミレニアはすんなりと信じたようだった。

 筆頭侍女としての頼もしいレティの働きぶりを垣間見て、驚きながらも感心しているらしい。


「大丈夫よ。お前はとても勤勉で、仕事が丁寧だから。いつも通りの仕事ぶりを見せられれば、レティも太鼓判を押してくれるわ。頑張って」


「ぁ……ありがとうございます」


 ふわり、と浮かんだ女神のような柔らかな笑みで日常の業務をほめながら励まされれば、侍女は頬をほんのりと染めてぺこりと頭を下げた。

 恙無く準備を終えてから、チラリ、と退出する直前にロロにさりげなく視線をやって、アイコンタクトを取る。こくり、とミレニアから見えない角度で頷き、残りを引き受ける旨を伝えた。


「あの子、元々ブリアでは性奴隷をしていたの。望まぬ仕事を、生きるために、無理に続けていたせいで、心と体を壊す寸前だったから、ここでは侍女の一人として、一から色々覚えて働き始めてくれたのだけど――たった数か月で、頼もしくなったわね」


 見送るミレニアは、大きな翡翠を緩めて感慨深そうな声を出す。

 こうして、一緒に過ごした期間の長短に関わらず、一人一人の働きぶりを認め、成長を心から楽しみに見守ってくれる主の元で過ごせて、あの侍女も幸せだろう、とロロも想いを馳せた。


「でも……ふふ。お前は本当にどこへ行ってもモテるわね」


「……は……?」


「あら、気づかなかった?先ほど、茶を頼んだ時も、今退室する前も――お前にさりげなく視線を送っていたじゃない」


「……あぁ……」


 それは、別の理由があるからなのだが、ミレニアに打ち明けるわけにいかない。

 よく見ている主だ、と思いながらロロは睫毛を伏せて口を開く。


「興味はありません」


「でも、さすが元性奴隷なだけあって、とても美しい子だと思わない?」


「女の美醜をどうこう思ったことはありません」


「まぁ。……ふふ、でも、お前らしいわ」


 間違いなく絶世の美女と表現しても異論は出ないラウラを前にしたときですら、他の女を前にしたときと変わらぬ態度を貫くロロは、本当に女の美醜で印象を変えることはないのだろう。

 酒にも、食事や葉巻や――女にさえも、この男は興味を示すことはないらしい。

 どこまでもロロらしい反応に、ミレニアは苦笑を浮かべて、そっとカップに手を伸ばす。

 我知らず、ロロに緊張が走った。


「お前が、その人生で一番最初に、一心不乱にのめり込んでしまうものは何なのか、とても興味があるわ」


 『自由の国』を建設すれば、そんな未来を見ることも叶うのだろうか――

 そんなことを考えながら、ミレニアはいつも通りカップに桜色の美しい唇を付けた。


「――!?」


 口を付けた途端、視界が揺れる。

 一瞬、疲労による眩暈かと錯覚し――すぐに、我慢が出来ないほどの強烈な眠気に襲われた。


(ぇ――何、これ――どうして――)


 疲労回復の魔法の効力が切れたのは随分前。しかし、さすがに疲労の発露というには無理がある急激な睡魔に、ミレニアは混乱しながら、薄れゆく意識を必死につなぎとめ、ガチャン、と乱暴にカップを机に戻しながら、別の手に魔力を集中する。

 覚醒の魔法の威力を伴ったそれを、頭に触れさせようとしたところで――


「いけません」


「ロ――ロ……?」


 淡い光を纏った繊手を優しく取って引き留めたのは、心から信頼をしている従者だった。


(ロロが、私に、触れて――これは――緊急、事態――?)


 意味のある何かを考えるより先に、視界がゆっくりとブラックアウトしていく。


(あぁ――駄目……今はまだ、眠るのは――)


「怖い――……」


「大丈夫です。……お傍に、おります。ずっと――ずっと」


 愛しい紅玉が、切なく眇められる気配を感じながら、ミレニアはそっと魔法に導かれるままに意識を手放したのだった。

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