第61話 乗り越えるべき壁④

「――――不眠……?」


「ぁっ……」


 すぐにミレニアは己の失言に気付き、ハッと口元を手で押さえるが、そんなことで一度飛び出てしまった言葉はなかったことには出来ない。

 ぎゅっとロロの眉間に皺が寄り、怪訝そうな顔がミレニアを覗き込む。


「不眠、なのですか?」


「ぅ……」


 最初はあくまで、仕事が忙しくて睡眠時間が短いだけだという論調で話せていたのに、当然ロロはミレニアの失言を聞かなかったことにはしてくれない。

 丁寧な言葉遣いでありながら、返答を有無を言わさず要求する圧の強さは、何なのか。

 しばらく、無言の圧に俯いて耐えていたミレニアは、悪戯が見つかった子供のように小さくなっていたが、やがて観念したように口を開いた。


「その……最近……少しだけ、夢見が、悪いの」


「夢見……」


「あまり、気分がよいものでもなくて……最近は……少し……眠るのが、怖い……」


 ぎゅっ……と膝の上で服の裾を握り締めて、ポツリと弱音をこぼす。

 こんな弱音を吐けるのは――世界で唯一、この男の前だけだから。


「どんな、夢を見るのですか?」


 当然の質問に、ミレニアはぐっと息を飲みこむ。きゅぅっと腹の底が痛むようだった。


「……昔の、夢」


「昔……?」


「えぇ。とても昔。ずっと、ずっと昔の、夢よ……」


 そのまま、続く言葉を次ぐことが出来ずに、ミレニアは押し黙る。

 しん……と部屋の中に静寂が降りた。


(あぁ――やはり、ロロは、ただ、黙って聞いてくれるのね……)


 答えた声が小さく震えてしまったことに、気づかぬロロではないだろう。

 だからロロは、決してミレニアを急かしたりしない。

 ただ、黙って、ミレニアが自然と打ち明けてくれるまで、じっと控えているだけだ。

 その優しさが、とても嬉しくて――切なくなる。


(今の私が欲しい”優しさ”は、それじゃない――)


 駄目だ。久しぶりに、相当心が弱っている。

 自覚しながらミレニアは、縋るように胸元の首飾りへと手を伸ばす。

 ロロを早く追い返したかったのは、ロロの体調を気遣ってのことだ。それは間違いないが――きっと、無意識で、気づいていた。

 こうして、ゆっくりと時間を設けてしまえば――甘えて、縋って、心の弱さをさらけ出してしまうことを。

 その結果は――きっと、ミレニアが望んでいるものに、ならない。


「姫……?」


 頭上から降ってくる気遣うような声にも、ぐっと俯くしかできない。

 今のミレニアが欲しいのは、全てを受け入れてくれる度量の大きさではない。

 もっと確かな――”愛情”の証。

 頭を撫でて、身体を抱きしめて、愛していると囁いて――そうした、誰の目にも明らかな、愛情表現。

 ――自分は確かに愛されているのだ、と自覚出来るような――


「……お前は」


 やっとのことで、歯の隙間から絞り出すように声を出す。


「お前は、どうして――そんなに、"強く"いられるの……?」


「姫……?」


 ミレニアの問いかけに、これ以上なく困惑した声が上から降ってくる。

 さすがのロロも、ミレニアの問いが、戦闘力における強さを問うているわけではないことくらいはわかったのだろう。

 だが、何について問われているのかまでは、よくわからない。


「お前は、辛い、苦しいと思ったとき、どうして挫けず独りで立つことが出来るの……!?弱音の一つも零さず、誰かを頼ることもなく、ただ己が掲げた目標に向かって脇目もふらず努力出来るのはどうして――!」


「姫……?何を……」


 怪訝そうな声が響いた後、躊躇うように言葉が紡がれる。


「弱音を、吐きたいのですか……?それなら――」


「違う、そうじゃない……!そうじゃないの――!」


 ぶんぶん、と小さな頭が横に振られて、夜空の色をした美しい髪が宙を踊った。


「私はただ、知りたいだけ――お前がどうして、そんなにも強く、独りで生きて行けるのかを、知りたいだけ……!」


「ですが――」


「私にはわからない……!私には、どんなに考えても、わからない――!」


 口を開くほど――鬱々と今まで必死に胸の内にため込んできた黒々としたものが、沸々と湧き上がってくる気配がする。


(あぁ――駄目、止まらない――)


「どうして……!?どうして、どうして!?お前は――お前も、”温かな家族”などわからないと言っていたでしょう!」


「姫……?」


「私も、わからない――わからないから、欲しいと願ってしまうの……!辛くて、苦しくて、堪らないとき、ついそんな欲望が顔を出す――!」


「姫、落ち着いてください」


「主でも、君主でも、元皇族でもない――”ただのミレニア”を愛してくれる、そんな誰かがいるなら、きっと私だって"強く"歩んで行けると思ってしまう……!そんなことで、目の前の問題は何一つ解決しないし、民を正しく導くことには繋がらないと頭ではわかっているのに、そんな幻想に縋って、現実から逃避したくて、堪らない……!」


「姫」


「それなのに、私と同じく、家族の愛を知らないお前は、自分以外の誰にも頼らず、縋らず、己の意志で己が信じる道をただ目標に向かって突き進むことが出来る――!そんな姿を見るたびに、私はいつもっ……!いつもっ……!」


 ぐっと目頭が熱くなる気配があり、息を詰まらせる。

 頭上から、困惑と動揺の気配が伝わってきた。


「……姫。俺には、姫がおっしゃっている意味が、まだよくわかりませんが……もしも今、何か、貴女が不安を抱えているのなら――」


 戸惑うように伸ばされた手を、バッと振り払って、睨むようにロロを見上げる。翡翠の瞳に涙が滲んでいたが、零れてはいない。


「優しくしないで!っ――どうせお前は、私を抱きしめてもくれないくせに!」


 感情に任せて大声で言い放ち――――我に、返る。

 目の前の、美しい紅玉が、驚いたように見開かれていた。


「ぁ――……」


(私、今――)


 きっと、言ってはいけないことを言った。

 大きく見開かれた紅玉には、驚きと、困惑が浮かび――ぐっと眉根が寄った後、苦悶の光を宿して、そっと視線が逸らされる。


(あぁ――……やっぱり)


 目の前の青年を、酷く困らせてしまったことを悟り、津波のような後悔の念が押し寄せる。

 ミレニアがぶつけたのは、質問ではない。弱い自分に向き合うことが出来ないことから逃げた上での、ただの八つ当たりであり、醜い嫉妬だ。

 そんな酷い仕打ちをしたにも関わらず、根気強く伸ばしてくれたロロの手を――力強く、振り払ってしまった。

 その上――彼には、逆立ちしたって出来ないことを、望んだ。

 彼がそれを叶えられないと、よくわかっているにもかかわらず、八つ当たりの延長で、それをぶつけた。

 感情に任せてぶつけてしまったその言葉は――きっと、ミレニアの心の底にあった、心からの望み。

 叶えられることはないと知っているからこそ、今まで決して口には出さなかったのに――口に出してしまった今、こうしてあからさまに苦悶の表情で目を逸らされれば、わかっていたくせに勝手に胸が刺し抜かれたように痛んだ。

 ロロは――結局、ミレニアの望む形で”愛情”をくれることは、ないのだ。


「ごめんなさい……決して、こんなことを言いたかったわけではないの」


 努めて冷静になろうと、息を整えながら、低い声で告げる。

 額に手を当てながら、頭を振る。


「忘れなさい。そして、もう下がって。一人にして頂戴」


「姫……俺は――」


「ごめんなさい。今は、寝不足と混乱で頭が上手く回っていないのよ、ロロ」


「ですが――」


「――


 苦悶の表情のまま、何かを言い募ろうとする従者に、ミレニアは強く名前を呼び、言葉を遮る。

 額から手を離し、ゆっくりと顔を上げ、笑顔を作ろうとしたが、上手くいかない。

 酷く不細工で間抜けな顔になっているとわかっていたが、それでも絞り出すようにミレニアは告げた。


よ、ルロシーク。……一人に、させて」


 強調して言われた言葉に、全ての反論を封じ込められる。

 ミレニアの――それはつまり、命令ではなく、ミレニアが全ての立場を取り払った一個人として懇願したいこと、だ。


「……必要とあれば、呼んで下さい。……いつでも、すぐに、お傍に駆けつけます」


 砂を噛むような苦し気な表情を見せながら、断腸の想いで言葉を絞り出したロロは、一つ礼をすると、静かに部屋を後にする。

 部屋の中には、ただ、ポツンと一人の少女が残されただけだった。

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