第59話 乗り越えるべき壁②
ハッ……と目を覚ますと、ここ最近でやっと見慣れた天井が見下ろしていた。
「ぁ――……」
ハッ、ハッ、と全力疾走した後のように息が上がっている。全身に汗をかいて、真夏のようにぐっしょりと濡れそぼっていた。
「また――いつもの、夢……」
身体を起こして上がった息を必死に整えながら、ミレニアはぐしゃ、と髪を掻き上げる。
ここ最近、よく見るようになった夢だ。
父がまだ存命で、自分はロロと出逢うよりも前の背丈で。
夢の中の春の陽気は、今も外で窓をガタガタと吹雪が揺らすこの北の大地とはかけ離れている。
「お父様――お母様――……」
無意識に胸に手をやると、安心する硬質な冷たさが返ってきて、ギュッと握りしめて小さく弱音を吐く。
ここ最近、似たような夢を見るようになってから、心の安寧を求めるように、眠る時でも必ず紅い首飾りを下げるようになっていた。
夢というのは、残酷だ。
直視したくなくて心の奥底に仕舞い込んだはずの、深層心理をしっかりと浮かび上がらせる。
父は、ミレニアを溺愛していたが、死ぬまで決してミレニアの本心を理解し、愛すことはなかった。
いつだってミレニアの後ろに亡き母の影を見て、ミレニアの才能を女の身で無用の長物だと心で嘆いていた。
(お母様が、生きてさえいてくださったら――私はお父様に、お母様の代用品としてではなく、”ただのミレニア”として愛して貰えたの……?)
心の中で問いかけても、答えは返ってこない。
当たり前だ。
――こんな問答は、幼い頃、毎日のように母の肖像画の前で何度も繰り返した。
今更、この問いかけに答えてくれる者がいないことくらい、嫌というほどわかっている。
「落ち着いて……大丈夫……大丈夫……」
こんな夢を見てしまうのも、下らない問答を胸中で呟いてしまうのも、理由は自分が一番よくわかっている。
――不安なのだ。
順調過ぎるほど順調に、道路や住居が出来上がりつつある。北方民族も、ミレニアたちを好意的に受け入れてくれる。付いてきた奴隷たちが中心となったかつての民は、のびのびと自由を生きている。
ミレニアは、己が信じる信念に従い、奴隷たちが笑って暮らせる国を作り始めた。
(住居が揃えば、いよいよ”国”作りに向けて、本格的なステップに入る――商業の発展と、人口の増加。そして、それを効率的に行っていくための制度作り……)
眩暈がした気がして、ぎゅ……と瞳を閉じて、目頭のあたりを抑える。
(私が今まで得た知識は、全て旧帝国の歴史とお父様から得たものばかり……だけど、私が作ろうとしているのは、旧帝国とは全く別物。当然、宗教で統治をしている王国とも異なる。全く未知の、新しい世界――)
いつだって、不安になった時、立ち戻るのは父の教えだった。
そこにはいつも”正解”があった。
何度も繰り返した時間軸の中、深く深く魂に刻まれたのだろう父からの教えを忘れたことは一度もない。どの教えも、いつだって空で唱えることが出来るほどに、息をするようにこの身に染み付いているものだ。
だが、これから先、作りたい国家は、父が良しとした世界とは明確に異なる。
そこに”口を利く道具”は存在しない。
戦争で口減らしをされて当然の存在など、どこにもいない。
「お父様に言えば、欲張るな、綺麗事を――と言われそうね……」
ふ……と口元に浮かんだのは、自嘲の笑みに近かった。
そして、きっと父は心の中で思うのだろう。
――これだから女は、と――
「……わかってる……」
ぎゅっともう一度首飾りを握り締める。
目指す世界の理想は頭の中にあるのに、そこに到達するため自分なりに描いたその道筋が――正しい、とも、間違っている、とも判断する術がないのが、不安なのだ。
だから、夢を見る。
いつだって、ミレニアに”正解”をくれた父の夢を。
「お父様は、もういない……私は、私の手で、”正解”を導き出さなければいけない――」
そうでなければ――自分を信じてついてきてくれた、数多の民を路頭に迷わせる。
彼らの命と生活を、一手に担っているのだ。
その自負が、齢十六歳の少女を力強く突き進ませ――同時に、その巨大な重責が、細い肩に一挙にのしかかってくる。
(商業の発展のために必要なことはわかっている……数々の歴史の成功事例が、どうすればいいか教えてくれている。問題は、人口の増加――)
人口の増加に必要なのは、勿論、移民や他集落の統合といった要素もあるだろう。
だが、何よりも――まずは、民が”家族”を作ることだ。
大きなコミュニティの中で、いくつもの小さなコミュニティを作り、その中で出来た人間関係の中で、他者を愛し、愛され、伴侶を得て、子供を成していく。
その循環図が確立できない限り、本質的な人口増加の解決には至らないだろう。
「家族――」
――怖い。
怖い。
ミレニアは、震える吐息をか細く吐いて、瞳を閉じる。
「愛し、愛される――って……何……?」
幸せな”家族”が形成されるために必要な要素を――ミレニアは、知らない。
昔から、心を尽くして付き従ってくれる従者たちは、どこまで言ってもあくまで従者でしかなく、ミレニアが家族の愛を学ぶことは出来なかった。
ギスギスした兄弟姉妹との関係は、参考にならない。
唯一近いはずの父との想い出も――こうして夢に見てみると、自分が思い描く”幸せな家族”との関係ではなかったのではと思えてくる。
いつだって、ただ父に認められたくて、褒めてほしくて――夢の中のミレニアは、思ってもいないことを、口走るからだ。
「”口を利く道具”――なんて……思って、いないのに……」
夢の中で、父の発言を張り付いた笑顔で肯定した幼い自分の言動に嫌気がさして、罪悪感で死にたくなる。
だが、あれは確かに幼い日の自分の姿だった。
愛に飢え、愛を得るために、父が望む回答を考え、学び、思考を停止して、父の”正解”を受け入れていく。
――今、ミレニアに息をするように染み付いているその”正解”は、ミレニアが大切に想う仲間たちを”口を利く道具”と蔑む思想が根底にある。
そう思うと、恐ろしくてたまらない。
理想の世界を描いた未来に向けて、暗中模索で自分なりの考えをもとに歩んでいる今は、正しい道のりを進めているのだろうか。
身分制度が根強い旧帝国のような国にはしない、と強く心に描いて考えているつもりで――知らず知らず、染み付いた父の教えに影響されてはいないだろうか。
よかれと思って進んだ先、どこかで、かつての旧帝国の奴隷のような、哀しい境遇に陥る者を生み出さないだろうか。
家族の愛を知らない自分が作った法律も、施策も――それらは、民を真に幸せにすることが出来るのだろうか。
求められているのは、ギュンターの教えを受け継いだ”第六皇女ミレニア”と、肩書を失い新たな国を志す”ただのミレニア”がかけ合わされた、全く未知の”新しい”元首としての差配。
だが――今までの十六年間、”ただのミレニア”を認め、肯定し、愛してくれた人は、いなかった。
”ただのミレニア”が――愛に飢えた孤独で不完全な、まるで未熟な幼子のごとき少女が――考える施策で、果たして、信じてついてきた沢山の民を幸せに導く”正しい”道を辿れるのだろうか。
「怖いの――ロロ……」
ぎゅぅっとシーツを握り締め、膝を抱えて口の中で弱音を吐く。
思い描くのは、人生でたった独りだけ、”ただのミレニア”を「何よりも価値がある」と存在を肯定してくれた青年。
革命の夜、何もかもを失った抜け殻のような”ただのミレニア”をしっかりと抱きしめ、不器用な手で優しく頭を撫でてくれた人。
幼いころからずっとずっと欲しかったそれをくれたのは、他でもない彼だけだった。
(きっと、この弱音を打ち明けても、ロロは真摯に耳を傾けてくれる。主として相応しくないと見限るようなことはしない。それは、わかっているけれど――)
だけど、きっと、彼に心の内を曝け出したとて、この不安が解消されることはないだろう。
彼も又、家族の愛を知らずに育った人間であり――それでいて、彼は、家族の愛を求める心を持たず、独りで生きていける、"強い"人だから。
ミレニアが不安を打ち明けたところで、困った顔をして、きっと何も言わずにただそっと傍に寄り添ってくれるだけだ。
普段から、涼しい顔をして、淡々とした表情を崩しもしない男。
それが奴隷時代の経験のせいなのか、元々の性格なのかはわからない。だが、物心つく頃には既に奴隷小屋にいたという彼は、他の奴隷たちと違って、その生活から解き放たれた今も、新しい環境を享受して人生を豊かにしようと思うことなく、己を奴隷と蔑んで、過去と変わらぬ価値観の中で日々を生きている。
誰も頼れずとも独りで生き抜く術を追求した日々と、変わらぬ日常を過ごしているのだ。
(孤独を恐れず、どんなことも己で成し得て生きていくロロには――きっと、私のこの不安は、理解できない……)
ロロは、ある種己の欲求に忠実な男だ。
ミレニアを守りたいと思ったから、守る。ミレニアの遠征について行きたいと思ったからついて行く。必要があるなら、難しい異言語すら、寝る間を惜しんであっという間に習得してしまう。
己が成し得たいと思った出来事に対し、障壁が現れても、誰かの助けを借りるという発想はなく、己の努力で何とかする道を探す。勝手に思想を同じくして手を貸してくれる仲間がいるなら幸運だ、くらいの認識だろう。
基本的に、誰かに何かを期待したりしない男なのだ。
だから――ミレニアにも、愛を返してほしいなどと思ったりしない。
そんな、”強い”彼に弱音を吐いても――結局は、何も解決しない。それどころか、"弱い"自分が浮き彫りになり、辛いだけだろう。
だから、これは、ミレニアが自身と向き合い、乗り越えねばならない障壁なのだ。
「大丈夫……大丈夫よ、ミレニア……きっと、大丈夫……」
恐怖に震えそうになる吐息をごまかすように、首飾りを握り締めて口の中で何度も唱える。
凍てつく真冬の空から、刃のような白銀の光が、静かに部屋の中に降り注いでいた。
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