第57話 欠点のない男②

 ぴくり、とコップを握るロロの指が小さく震えたことに、ヴァルは気づかない。


「まぁ確かに、自由に憧れる気持ちはすげぇわかる。枷を外されたときの、どこへでも行ける無敵感は、ヤバかった。誰かに、何かに縛り付けられるのが御免だって気持ちも、よくわかる。お前の場合、女ってのをひと括りにして、アイツらは全員自由を阻害してくる面倒くさい存在モノだ、って認識なら、あのオヒメサマも相当厄介だろう」


「――厄介、などとは」


「いやいや、厄介だろう。ブリアの剣闘の時、特別観覧席で、国王陛下相手に『五月蠅い』っつって怒鳴りつけるほどアンタの試合に熱中してたって聞くぞ。ブリアの女たちより熱心だったんじゃねぇか?」


「あんな男にはその程度の扱いでいい」


 むしろ、特別観覧席に宿敵クルサールと一緒に閉じ込められていると思えば、いくらエーリクや他の護衛たちも一緒にいるとはいえ、ずっと気が気ではなかった。一試合が終わる度に観覧席の男に向かって殺気を飛ばし続けたくらいだ。


「おまけにニアは、ここでの最高権力者だ。いつだってお前に、その権力を以て命令が出来る」


「……別に、命令されることが嫌なわけでは」


「でも命令ってのは、お前にとっちゃ、自由を阻害されることだろう?求婚っていうのも、『結婚してくれ』っていうより『結婚するぞ』って感じで、決定事項だ、みたいに告げられたらしいじゃねぇか。お前の意志なんか聞かない、って意思表示だろ」


「それは――」


「俺たちには、そんな力任せの命令みたいなこと、されたことはねぇけど――恋愛相手にはそういう女王様気質な奴なんだろ。自由を求めるお前にとっちゃ相性は最悪だ」


「俺が、姫の申し出を拒否したのは、別に自由を阻害されるとかそんな理由では――……」


 口の中で、ロロは歯切れ悪く反論する。

 ――違う。

 そんなことを考えたことは、一度もない。

 そもそもミレニアを”女”の括りで考えたことなど、一度もないのだ。

 ロロの中でミレニアは、”ミレニア”でしかない。唯一無二の、カテゴライズなど出来ない絶対的な存在だ。

 仮に彼女がキャーキャーと黄色い声で喚こうが、執着されようが、己の時間を奪われようが、決して煩わしいなどとは思わない。

 それどころか、ミレニアに束縛され、自由を奪われ、生涯ずっと彼女の傍にと求められることは、ロロにとって何よりの喜びなのだから。


「いいって、いいって。お前さんも大変だな。そもそも、奴隷時代のお前を買い上げた奴なんだろ?かつて自分の生殺与奪の権利を持ってた圧倒的な権力者を前に、よく断れたな。勇気あるぜ」


「だから――」


「ああいう女王様気質な女は、エーリク坊ちゃんみたいな従順な男がお似合いなんじゃないか?お前みたいなのとは合わねぇよ」


「それに関しては全面的に合意するが、その本質は――」


「ま、ここに着いてからはずっと、お前さんへのアピールも鳴りを潜めてるしな。エーリク坊ちゃんとの文通も続いてるんだろう?あれくらいの若さじゃ、熱するのも冷めるのも早いのも仕方ねぇが、いつまでも見込みのない男は辞めて、本質的に相性のいい相手に乗り換えたんじゃねぇの?よかったじゃねぇか」


「それは――よかった、こと、だが……」


 ロロは視線を左下に落とし、ぐ……とテーブルの上で指を握り込む。

 この土地での建設作業が始まってからというもの、当たり前のようにロロも男手として現場に駆り出された。

 身内しかおらず、外敵に襲われる危険が殆どないこの土地で、毎日執務に追われて部屋の中に籠りっぱなしのミレニアの命が危険に晒されるようなことはない。故に、ネロが中心となって、まだ幼く身体が十分に育っていない力仕事を任せるには心許ない奴隷たちが、ミレニアの日々の護衛兼小間使いとして従事するようになっていた。


(適材適所だ……誰が考えても、文句はない差配だ……)


 男女問わず惚れ惚れするほどのロロの筋肉美は、決して見せかけではない。実用的な筋肉が無駄なく発達したその雄々しい身体を、現場でフル活用しなくてどうするのか。

 故に、この土地に到着してからというもの、ロロはミレニアとまともに顔を合わせる日の方が少ない。

 唯一、北の原住民に会いに行く期間だけ、護衛兵としての役割を担うことが出来たが、それも束の間のことだ。戻ってきたらすぐにまた現場へと送り出された。

 だから、ブリアから合流したヴァルは知らないのだろう。

 ロロがミレニアの傍に護衛兵として控えているときの、誰が見ても明らかな、あからさまなまでの灼熱を湛えた切ない瞳を。


「何だよ。何か変なこと言ったか?俺」


 何やら苦し気な表情で押し黙ったロロに違和感を感じ、ヴァルは食事の手を止めて尋ねる。


「姫は……権力を振りかざして、俺に命令しているわけじゃない」


 ロロは静かに言葉を探した後、ぽつり、と小さな声で反論した。

 それだけは、しっかりと誤解を解いておきたい。――ミレニアが、そんな矮小な主であるなどと思われるのは、我慢がならない。


「俺が好きで、傍にいる。――姫は、いつも、俺に自由を与えようとしてくださる。だから、俺は、自由を得て――自分の意思で、姫の傍に控えることを望んだ。姫は、お優しいから、それを許してくださる。……奴隷の身で、穢れた存在である俺を、専属護衛などといって一番傍に控えることを許してくださる。俺にはもったいない処遇だ」


「…………」


 ぱちぱち、とヴァルは驚いたように瞬きを繰り返す。意外な返答だったからだ。


「そもそも、生きる世界が違う御方だ。俺ごときに好意を抱くなど、あってはならない。しばらく離れて、やっと目を覚ましてくださっただけだ。穢れた奴隷ごときに一時とはいえ懸想していたなんて事実は、将来恥ずべき汚点として残るだろう。さっさと忘れてしまってほしい。……その点では、エーリク殿との出逢いも、この地で護衛任務から外されたことも、良かったと思える」


 急に吐露されるロロの凄まじい下僕根性を前に、ヴァルは先ほどまで醒めた顔で女たちへの毒を吐いていた男と同一人物とは思えず、困惑する。

 しかし目の前の美丈夫は、世の中の女たちを色めき立たせる美貌に憂いをにじませ、瞳を伏せている。その表情は、決して冗談を言っているとは思えなかった。


「……一つだけ、今の仕事に、不満があるな」


「?」


 寡黙な男は、ぽつり、と先程の言葉を撤回する。

 ヴァルが疑問符を上げると、愁いを帯びた視線を伏せて、長い睫毛を際立たせながら、切ない声でロロが呟いた。


「今の仕事では――――姫のお傍に、いられない」


「…………は……?」


「お姿を見ることも、声を聴くことも出来ない。今、この瞬間、何をされているのかわからない。無理をされていないか、何か辛いことに心を痛めていらっしゃらないか、知る術がない。……それは、酷く、不満だ」


「いや……お前、毎日のニアへの報告義務を現場監督官からもぎ取ってただろうが」


 ひくり、とヴァルの頬が引き攣る。

 複数の建築現場にはそれぞれ監督を担う者が配置されていたが、本来彼らがすべき一日の報告任務を、ロロは自らが担うと言ってもぎ取ってしまった。複数人の報告を全て一人で請け負う形で、だ。

 それはひとえに、ミレニアの顔を一日の間で一瞬も見ることがないことに耐えかねた、ロロの我儘の産物だった。

 しかし、建築資材として積み上げられた煉瓦の五倍は重たい感情を吐露するロロは、真剣な顔でため息を吐く。


「たったの数分で、何がわかる。姫はいつもお忙しくされていて、特に問題がないなら詳細な報告はいらない、といってすぐに俺を下がらせる。だがそれは口実で、一日の肉体労働で疲れているだろうと、俺の身体を気遣ってくださるからだ。……俺は、姫のお傍に控えさせてもらえれば、肉体の疲労など、一瞬で吹き飛ぶと言うのに」


「――――……」


 何だろう。

 ――ちょっと、怖い。


「頭ではちゃんと理解している。今の俺が力を発揮すべきはこの現場で、姫のお傍ではない。姫の『自由の国』を建国すると言う野望のために、惜しみなく協力したい気持ちも嘘じゃない。だが――こうも、姫の存在を近くに感じられない日が続くのは、正直堪える」


「存在……」


 顔を見たい、声を聴きたい、等の表現ではなく、”存在”を感じたいという独特な欲望に、ヴァルは完全にドン引きした顔で、相変わらずの無表情を見つめる。


(え゛……何だコイツ……もしかして、方向性こそ違うものの、本質的にはルゥと同じレベルの変態性癖の持ち主なのか……?)


 思い至ってしまった考えを打ち消すように頭を振り、ヴァルは気を取り直して尋ねる。


「いやでも……お前さん、ニアからの求婚は断ってるんだろ?」


「当たり前だ」


 きっぱり言い切るロロにホッとする。


「そ、そうか、よかった。ちょっと敬愛が行き過ぎただけだよな。そういえばルゥも確かに”旦那様”にはちょっと盲目的なところがあったしな。うん。……あれだろ?主としては敬愛するし、護衛兵として守りたいという気持ちはあるが、こう、プライベートとは切り離す感じなんだろう?ルゥのやつも、自由に使えるプライベートの時間は割と奔放で、娼館通いも”旦那様”の存命時からずっとだったしな。つまり、こう、いかに優れた主でも、女としては見られない部分があると言うか――そんなこと言っても、結局お前にとっては性欲処理以外に価値を見出せない”女”って括りだから、護衛兵としての自分を捧げることは出来ても、個としての全てを捧げることは――」


「姫を”女”なんぞと思ったことはない。――例えるなら、女神だ。仕事もプライベートもない。文字通り全身全霊、俺の全てを捧げるに相応しい御方だ。俺に少しでも自由に使える時間があったなら、余すことなく全てを姫のために使いたい。逆に、姫のために使える”自由”な時間を、"女"なんぞに奪われるのは我慢がならん。煩わしい」


「いや……求婚断ってたんじゃねぇのかよ……」


 どうしよう。

 ――だいぶ、怖い。


(わ、わっかんねぇ……こいつの精神構造、どうなってんのか全っ然わっかんねぇ……!)


 ロロのヤバめな発言を聞けば聞くほど、かなり危ないレベルのぞっこん状態のはずなのだが、彼の言動が一致しない。

 ミレニアがもうロロに飽きたのでは、という発言には安堵を示し、他の男と進展していると聞けば全面的に応援しようとする。

 無感動で無表情な人間味のない淡々とした性格そのままに、”女”という生き物全般にも無関心だと告げておきながら、毎日の生活でミレニアの"存在"を感じられないことが、彼にとっての唯一の『不満』だと苦しそうに告げる。


(”エルム様”に傾倒してる信者の話を聞いたときですら、ここまで背筋が寒くなることはなかったぞ――!?)


 理解の出来ない価値観は、行き過ぎると恐怖に代わるというのは、本当らしい。興味本位で、ここまで話を深く聞いてしまったことを心から後悔する。

 外の吹雪ではない理由で、ぞくりと背筋が寒くなった気がした。


「そもそも俺は――」


 何かを言いかけたロロが、ふと紅い瞳を瞬く。

 視界の端――かなり遠い位置にある、食堂の入り口。

 遠目には豆粒に近しいそこに、まるで磁石が吸い寄せられるようにして、視線が縫い付けられた。


「?……なんだ?一体どうし――」


「――姫」


 ガタン

 怪訝な顔で視線を追いかけたヴァルには構わず、ロロは椅子を蹴って立ち上がる。


「おぉ……?確かに、ニアっぽい……けど、お前、よくこの距離でわかっ――って、オイ」


 目の前の同僚の言葉など、既に耳に入っていなかった。

 脇目もふらず、愛しい主の元へと駆け付ける。


「――――べた惚れかよ……」


 少女を見つけた途端、冷め切っていたはずの瞳に確かな灼熱を灯した男の背中に、呆れたような声が飛ぶ。


「……やっぱり、性癖の変態っぷりは、ルゥと同レベルだな……」


 ぼそりと結論付けるも、やっと見つけた完璧に見える男の欠点の闇は、あまりに深すぎて、深入りすることを躊躇うレベルだった。

 ヴァルはやれやれ、と呟いて、冷めてしまった付け合わせのスープをぐいっと喉の奥に流し込むのだった。

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