第56話 欠点のない男①

 ガヤガヤと五月蠅い食堂で、ロロが少し早めの昼食を取っていると、目の前にヴァルがやってきた。


「おぅ。ここ、いいか?」


「あぁ」


 ガタ、と椅子を引きながら言うヴァルの頭には、溶け切っていない白い雪がまぶされている。

 チラリ、と外を見ると、ガタガタと耳障りな音を立てながら、一面真っ白な猛吹雪が外を覆いつくしていた。


「いやぁ、参った参った。いきなり吹雪いてくるもんだから、慌てて作業中断だよ。そっちも大丈夫だったか?」


「問題ない」


 端的に答えて、ズズ……とスープを啜る。相変わらず酷く寡黙な男を前に、ヴァルは苦笑に近い笑みを浮かべてから、手にした食事の入った器をテーブルに置き、頭の雪を払ってから腰掛けた。


「こりゃ、しばらくは再開できねぇな。長めの昼休憩になりそうだ。……話には聞いてたが、冬の到来も雪が降るのも早すぎるだろ。それも、こんな猛吹雪とか、生きてきて初めて見るぜ」


「そうか」


「相変わらず、愛想の欠片もねぇなぁ」


 これが、伝説の黒布というから、驚きだ。

 ブリアで最後の剣闘を催した際、ヴァルも赤布の一人として参加したが、次元の違う強さに、ロロに魔法を放たせることすら叶わずあっさりと打ち負かされてしまった。


(噂で聞いてた頃は、伝説の剣闘奴隷ってのはてっきり、もっと筋骨隆々の苛烈で恐ろしい残虐趣味の大男なんだと思ってたが――こんな綺麗な顔した、無口で何考えてるかよくわからん男が、黒布だったとは)


 嘆息しながら己の食事に手を付ける。外の天候を鑑みてなのか、メニューは身体を温める物が多かった。

 チラリ、と視線を上げれば、表情筋を死滅させたまま黙々と己の食器を開けていく美丈夫がいる。


「お前さん、苦手なもんとか、無いのか?」


 問われている意味が分からず、チラリと視線を上げ、疑問符を上げる。

 ヴァルが見ている先が食器であることに気が付き、食事の好みを聞かれていると察した。


「食い物に好きも嫌いもない。腹に入りさえすれば、なんでも」


「マジか……」


「ブリアの奴隷小屋では、食事を選り好み出来るような環境だったのか?」


「いやまぁ、それを言われると俺も、腹に入れられるだけマシだと思うけどよ……」


 ヴァルは口の中で呻きながら砂を噛むような顔で口の中を咀嚼する。昔のことを思い出すと、どうにも気分が悪い。

 当然、素材の選り好みが出来るわけでもなく、味の良し悪しをどうこう言える立場ではなかった。仮に多少腐りかけていたとしても、文句を言わず食うしかない。

 身体が資本の剣闘奴隷だ。空腹で試合中に力が出なければ、それはすぐに死へと直結する。四の五の言っている場合ではなかったのは本当だ。

 だが、今はそんな状況ではない。

 紅玉宮に長年務めていた料理長のカドゥークを筆頭に、栄養バランスと味付け、盛り付けにまで配慮された美味な食事を日々提供されているのだ。

 食事を楽しむ、とはどういうことか、ここへきて初めてわかるようになった――とヴァルは思っていたのに、どうやら目の前の無表情な男は、未だに奴隷小屋にいた頃と感覚が変わらないらしい。


「ったく……じゃあ、食い物に限った話じゃなくてもいい。何かないのか。苦手な物とかこととか――不満とか」


「……やけに絡んでくるな」


 食事を食べ終え、最後に水を飲みながら、ロロは訝し気な視線を目の前の男に投げる。

 思わず軽く眉根を寄せると、ヴァルは軽く肩をすくめてその視線を受け流した。


「別に、アンタの弱みを握りたいとか、そういうわけじゃない。単純に、気になっただけだ。――アンタ、人間味がないんだよ。ただでさえ、化け物みたいな強さの男だってのに……感情が揺れ動いているとこすらほとんど見たことがねぇ。作業現場でも、そのゴリゴリの筋力活かして黙々と無駄口も叩かず作業するから、アンタがいる現場は滅茶苦茶捗る、って評判だぜ」


「指示されたことをやっているだけだ」


「奴隷出身の癖に、勤務態度に反抗や怠惰を感じさせる素振りは微塵もない。北の言語だって誰より早く覚えてた。男たちは意中の女の尻を追いかけるために必死になって覚えてるのに、そういうのは一切なく独学で覚えたって言うからには、頭だって悪くないんだろう。……んで、顔は、そんだけ整ってる。何か一つくらい、致命的な欠点とか、性格の悪い所とかがないと、割に合わねぇだろ」


「割ってなんだ。くだらない……」


 面倒な絡み方をされている自覚はあるが、外は猛吹雪だ。仕事に戻るわけにもいかず、しばらくはこの食堂に足止めされる以上、ヴァルを無視することも出来ない。


「ルーキス――ルゥの野郎を見てみろよ。死ぬほど切れる頭があって、口から生まれてきたんじゃねぇかと思うくらい弁が立つが、性格と性癖が複雑骨折してやがる。人間、あれくらいでちょうどバランスがとれるもんだろ」


「何の話だ……」


 呆れたように深く嘆息する。

 ヴァルは口の中に飯をかき込みながら、謎の熱弁を振るった。――どうやら、ヴァルも暇らしい。


「今はルゥに転がされてる夜の女王も、昔はアンタに心酔してたらしいじゃねぇか。ブリアでも、初めて剣闘を見るお嬢さんたちが軒並みトロンとした顔してやがったし――何より、”第二の傾国”と呼ばれたお姫様に好かれるなんざ、羨ましすぎて禿そうだ。何か一個くらい、人より劣ってるところとか、腐ってるところとかがあってほしいと思うのは変じゃねぇだろ」


「はぁ……馬鹿馬鹿しい」


 大きく嘆息して、もう一口水を煽る。さっさと吹雪が止んでくれないものか。


「与えられた任務に文句がないなら、反抗する必要はないだろう。昔と違って、理不尽な暴力を振るわれるわけでもない。しっかり食事と休憩を与えられ、専門的な知識を持った連中が組んだ計画に沿って進められている仕事だ。不満なんぞあるわけがない」


「それはそうかもしれねぇが……怠けたくなったりしねぇのか?」


「怠けて、仕事が遅れれば、自分たちが暮らす住居の建設が遅れる。いつかの奴隷小屋みたいに、暖房器具もない吹きっ晒しでこの極寒の中眠る羽目になる方が御免だ」


「う゛……いや、まぁ……それを言われると……」


 ごにょごにょ、とヴァルの勢いがしぼんでいく。


「女子供老人をそんな環境で眠らせる羽目になるのも、寝覚めが悪い。姫に関しては論外だ。第一、命の危険と隣り合わせの剣闘に比べれば、大して疲れるものでもない。定期的に健康に関しての問診があり、光魔法で疲労回復を受けられるときもある。……怠ける理由がない」


「理由がない、って言われちまうとなぁ……」


 人が怠けるのに、理由など求めたことがなかったヴァルは、嘆息しながら頭を掻く。


「言語に関しては、姫の専属護衛としての任務を果たすために必死になっただけだ。道中に魔物がいないとは聞いていたが、本当かどうかはわからないし、魔物以外のもっと驚異的な何かがいる可能性もあるだろう。訪れた集落で敵対し、武器を向けられる可能性だって無くはない。それを、付き合いの浅い連中に任せる不安の方が大きかった。――それだけだ。俺だって、何にでもそんな力が発揮できるわけじゃない」


 ロロにとっては、期日までに言語習得が出来ないことは、自分の知らないところでミレニアを失うかもしれないという危機と同義だった。その恐怖を前にすれば、どんな苦労も霞む。


「あとは、何だったか……女?それに好かれるのが、人生において、そんなに価値のあることか?」


「嘘だろ、オイ……最重要だろ」


 生命として種を残したいという本能はないのか。

 ひくり、と頬を引きつらせたヴァルに、ロロは不機嫌そうに呻く。


「女に、性欲を解消する以上の価値なんか見出せるか?キンキンと高い声でキャーキャー喚かれるのは煩わしいし、執着なんかされればもっと面倒だ。自分の時間を不当に奪われるのは御免だと思わないか?……せっかく、枷を外され自由の身になったんだ。誰かに縛られ、誰かの顔色を窺って生きることほど馬鹿馬鹿しいことはないだろう」


 不愉快そうに吐き捨てる様子は、どうやら本気で考えているから出て来る言葉らしい。

 ヴァルは、いっそ感心したようにため息を漏らした。


「なるほど……理解できた。――お前さんと俺たちとが、決定的に理解し合えない価値観で生きていることが」


「別に、誰かに理解してもらおうなんざ思っていない。俺は俺で、自由に、好きなように生きる」


 フン、と鼻を鳴らすロロに、ヴァルは残りの食事を平らげながら告げる。


「でも……なるほど、だからか」


「?」


「いや……ニアがお前さんに好意を持ってるとか、求婚したとか聞いてたが、あんな上玉をあっさり袖にするのはなんでなんだ、って思ってたんだよ」

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