第55話 北の大地へ③
結論から言うと、ルーキスと、北にルーツを持つ奴隷たちを味方に加えられたことはこれ以上ない収穫だったと言わざるを得ない。
彼らからは、なかなか書物などで手に入れることが出来ない北の大地の風土や常識を聞くことが出来た。
また、北の商人たちがよく通るルートを聞くことが出来たのも大きかった。それは、待ち受ける厳しい旅路の中で最も安全な行路と言えるからだ。
そんなこんなで、旧帝国領を脱し、北方地域の端に辿り着いたのは夏の入り口。
ミレニアたちは、北の商人たちが途中の休憩地として使用する簡易な建物が点在する場所を中心に、開拓を進めることにした。ゼロから居住区を作り始めるよりも、ある程度の設備がある場所を発展させる方が楽だったためだ。
「北の集落では、基本的に商人と職人が力を持っています。まずは、商人たちに理解を得て、この休憩場所を発展させて利があると伝えていき、その後、集落に住まう者たちにも好印象を持ってもらいましょう」
ルーキスはそう言って、スラスラと異言語で文を書くと、それを北方地域出身の奴隷たちに持たせ、幾人かの護衛と共に連絡係として旅立たせた。
故郷へ戻れると奴隷たちは喜び、手紙を渡すだけではなく、ミレニアらが何をしようとしているかを真摯に現地の言葉で住民たちに伝えてくれるからだ。
それとは別に、行商のために休憩に立ち寄る商人たちを捕まえては、彼らをもてなし、新しくこの地を発展させていくつもりであることを伝え、賛同を得て行った。
スラスラと現地の言葉で会話するルーキスはもちろん、一生懸命に覚えたばかりの言語で誠意を込めて己の意図を伝えようと苦心するミレニアの姿は、商人たちに好意的に受け入れられ、反対感情が出ることはほとんどなかった。
「さぁ、これからが忙しくなるわよ!男たちはとにかく力仕事!資材や物資を街で買い付けて運ぶ部隊と、森へ分け入って自分たちで調達してくる部隊と、建設業務にあたる部隊と!女たちはとにかく男たちのフォローをするのよ。力仕事でなくても出来ることはたくさんあるから、効率的に男たちと分業して!最初の冬が来る前に、少なくともここで私たちが暮らせるようにしていかねばならないのだから!」
ミレニアは実際にその足で現場を回りながら、指示を出し、労い、時には王国や北の集落へと赴いて外交のようなことを行いながら、目が回る日々を過ごしていく。
程なくして、労働力の殆どが奴隷であることは、ミレニアの当初の予測を大きく上回った。
彼らの”普通”は一般的な労働者の”普通”とはかけ離れている。
今までは枷を嵌められ、食事や寝床も満足なものを与えられることなく、虐待をはじめとする理不尽な暴力に怯えながら従事していた奴隷たちだったが、今や枷を外され、たっぷりと栄養のある食事やしっかりと休める寝床を与えられている。その上で労働環境に配慮した日々を提供してやれば、旧帝国で奴隷を投入した大規模公共事業の実績を参考に描いていたミレニアのスケジュールは大幅に前倒されていき、秋が深まるころには、連れてきた人員たちの大半の居住を確保できるまでに開拓が進んだ。
「ひとまず、冬に寝床の確保の不安を抱えながら作業をする心配が無くなったのは良かったわ。道路の開拓はまだまだ余地があるけれど――物資を運搬するのに不便だからと、同時進行で王国との流通経路だけはしっかり整備出来たのも大きい」
「えぇ。商人たちも、より大きな荷馬車を運搬できるようになったと、非常に喜んでいました。北の集落でも、我らに対して好意的に捉えている者が殆どだとか」
「そうね。これからは、北に向けての道路整備を優先すべきかしら」
「そう思います。王国との経路をこの短期間で整備した実績は、何よりも説得力がある。北で力を持っている商人たちには、莫大な期待を寄せられていますから、さっさと開拓していきましょう。北の最奥集落までの流通経路が確立すれば、荷馬車を大きくすることが出来る分、一度に行商できる量が増えて、集落は一気に経済的に潤う。開拓が終わるまでは――ここで倉庫と荷馬車の貸し出し業をして、商人たちを手伝ってやれば小金も稼げますしね」
「……お前は本当に、こういうことを考えさせると右に出る者はいないわね……」
側近の相変わらずの守銭奴っぷりに呆れながら、ミレニアは半眼で呻く。
幸い、北の商人たちが取り扱うのはほとんどが宝石や宝石を基にした細工物だ。食料など腐るものは取り扱わないので、倉庫を用意してやれば、年間での行商計画を立てやすくなる。
ルーキスが出してきた貸し出し業の値段設定も絶妙だった。
王国などで同等の倉庫を借りようと思えば破格と言わざるを得ない価格。あくまで、超高級品を扱う上での最低限の管理費としての賃金設定だと説明すれば、金の流れに敏感な商人たちも、ミレニアたちがこれで不当に利を出して儲けようと思っていないことはすぐにわかるだろう。
とはいえ、倉庫の中に入れるのは宝石――所詮は石ころだ。特別な手入れが必要になるわけでもないそれらは、結局、管理費など殆ど掛からない。放っておけば空だったハコで、コスト無く金を生み出していることになるため、ルーキスが言った通り、ささやかな”小金稼ぎ”というわけだ。
「言語体系も独特で、商業以外での他国との交流が殆どない彼らは、基本的に保守的で警戒心を持っています。その彼らの心をこれほど短期間で掴む人心掌握術は流石としか言えませんね、ニア」
「ふふ。……まだ、やはり少し慣れないわね」
さらりと呼ばれた愛称に、くすぐったさを覚えて笑みを漏らす。
「慣れてください。ラウラを筆頭に、女たちが音頭を取って労働の合間に男たちに言語習得を進めていますが、言葉を使えるだけでは相手の心を掴めません。相手の文化に寄り添い、なじむ必要がある。武力で侵略しない、と決めたのであれば、寄り添う態度を露骨なまでに見せなければ」
「そうね。わかっているわよ、ルゥ」
苦笑しながら、ミレニアは慣れない愛称を口にする。
「貴女以上に、従者たちの方が慣れていないでしょう。紅玉宮時代の者たちは、未だに貴女に”様”を付けて呼ぶ」
「ふふ、それはもう仕方ないわ。譲歩して”ニア様”と呼んでくれているだけで、良しとしなければ」
当初、全員呼び名を北の言語体系の中でも呼びやすい呼び方に変える、と伝えたとき、蒼い顔をした従者たちを思い出す。
しかし、少しずつ彼らも言語を習得していけば、特殊な発音ばかりの言語の中で”ミレニア”と呼ぶのが難しいこともすぐにわかった。
いつかは、彼らも日常言語を北の言葉へと変えていく。――そう思えば、”ニア様”と呼ぶというのが、譲歩できるギリギリのところだった。
「しかし……全く。貴女の一番の”お気に入り”は頑なですね。さすがの奴隷根性なのか、言語習得に関しては驚くべきスピードでこなしたくせに、未だに呼称を改めない」
「はぁ……それを言わないで。私も参っているのよ、あの頑固者には」
揶揄するような物言いに憂鬱なため息を漏らして、ミレニアはこめかみに手を当てる。
ミレニアの役に立つために必要なことは、どんな小さなことでも貪欲に取り組むロロの筋金入りの奴隷根性は、言語習得においても発揮されていた。誰より早く言語をマスターしたことで、ミレニアが北の集落へ交流を持とうと訪れるときの護衛も任されるレベルだった。
最初の北の住民たちへの印象は特に大事だ。彼らに徹底的に寄り添い、武力侵略をする意図などは一切ないのだと理解してもらうための第一歩に、現地の言語がわからない者を同行させることは出来ない。
――そう伝えたときの、ロロの顔は忘れられない。
その時点で北の言語を十分に操れる人間は、ミレニアと、ラウラとその取り巻きと、ブリアで仲間にした北出身の奴隷たちだけ。
その日から、ロロは不眠不休だったのでは、と思うほどに昼夜を問わず言語習得に取り組んだ。
おそらく、付き合いが浅くどこまで信頼できるかわからないブリアの奴隷たちだけを護衛に伴う旅路を酷く心配した、過保護の賜物だったのだろうとは思うが。
そうして北の言語を操るようになっても、彼は呼称を旧帝国語の”姫”から決して改めることはなかった。
「発音しにくいだろう」と水を向けても「全く」と鉄壁の無表情で言い切られてしまうから、ミレニアはいつもむくれることになる。
――――誰より一番、彼にこそ名前を呼んでほしいのに。
「全く……細々した不安はあるものの、順調すぎるほど順調で、怖くなりますね。ロロが、生粋の帝国民とわかるあの肌の色でも、保守的な北の住民に受け入れられていたのは驚きでした。おかげで、北の集落から出たことのない者たちでも、褐色の肌の帝国民にも抵抗を感じず受け入れてくれる可能性が出たのは完全なる幸運でしたが――何でしょうか、美男子は国境を越えて大陸共通で受け入れられるものなのでしょうかね?」
「ふふ、そうかもね。若い女衆が、軒並み全員頬を染めていたのがいっそ愉快だったわ。皆、普段はしないお化粧をして出て来たと言っていたわね。彼女らにとっては、頬の奴隷紋も特に意に介した様子はないようだったし」
クスクス、とミレニアは当時の来訪を思い出して笑い出す。
ロロの頬に刻印された忌まわしい焼き印を見て、「帝国ではあれが流行っているのか」「いや、あれは国に認められた美男子の証なのかもしれない」などと女たちが色めき立っていたのを聞いたときは、あまりの文化の違いに驚いたものだ。
ここでなら、きっと新しい価値観の国を作っていける――ミレニアが確信した瞬間だった。
「私としては、あんな男の何が良いのか、わかりかねますね。確かに顔は良い、身体も良い。武術の腕は天下に比類なく、余計なことを口にすることもない。どんな仕事も与えられたことは忠実にこなし、主のためなら不眠不休で働く。そう聞けば大した欠点らしい欠点がないですが――その分、男としての面白みもないでしょう。ラウラにしろ、貴女にしろ、どうしてあんな男に心酔するのか」
「まぁ。やきもちかしら?」
「まさか。ラウラに関しては、多少浮気の虫を騒がせているくらいが、屈服させる醍醐味があって良いですね」
真昼間から、変態性癖を職場で炸裂させないでほしい。
にやり、と嬉しそうに人の悪い笑みを浮かべた蛇のような男に呆れてため息を吐く。
「ラウラの手綱を取っておくのはお前の仕事よ。浮気の虫など騒がせないで」
「それはご安心を。趣味と実益を兼ねた仕事ぶりをお約束しますよ」
涼しい顔で爛れた宣言をする従者に頭を抱える。
「ラウラの趣味がわからないわ……あれほどロロに心酔していたくせに、どうして次に嵌るのがこんな欠点だらけの男なの……」
「おや、心外ですね。魅力に溢れる男と言ってください。……そもそも、欠点があるくらいの方が、人は魅力を感じるものですよ」
「お前は、ただ純粋に性格が悪くて、人並み外れた嗜虐趣味を持っているだけでしょう……」
脳裏に描くロロは、言われた通り、欠点らしい欠点が見つからない。それ故に女たちを数多引き寄せる男だ。ブリアの剣闘騒ぎや、来訪した北の集落で、あっという間に女たちの人気を集めたことからも、彼が一般的な男としての魅力を備えていることは誰の目にも明らかだ。
張り付いた笑顔を振り撒いて、初対面の段階から”うさん臭さ”を前面に出し、そして中身もその印象通りのルーキスとは、正反対と言わざるを得ない。
「まぁ……欠点といえば、度が過ぎた被虐趣味なところじゃないかしら……」
「それも、貴女にだけでしょう。ラウラがあれほど心酔しているのです。容赦のない嗜虐趣味の男だ、と彼女は言っていましたよ」
「それはもはや、ラウラと私の埋めることのできない決定的な見解の相違だから……」
むぅ、とミレニアは口をとがらせる。
「……でも、言われてみると、確かに、私に対しての隷属意識が高すぎる以外は、大した欠点らしい欠点ってないわね……ロロに苦手なものとか、出来ないことって、あるのかしら」
「貴女もご存じないと?それは、少し興味がありますね」
「ちょっと。息をするように他人の弱みを探るのをやめなさい」
如何なく性格の悪さを発揮する男に釘をさす。
ミレニアのムッとした表情に、ルーキスは軽く肩をすくめて笑った。
「まぁ、貴女の言う『隷属意識の高さ』は度を超していますからね。私も、旦那様への敬愛を引き合いに出されてはあまり人のことを言えませんが、彼は私と違い、主である貴女に恋愛感情を抱きながら全力で隷属して謙るという、少々一般人には理解しがたい拗らせ方をしていますから――端的に言えば、その拗らせ方そのものが、一般的にはドン引きの対象です。目をハートにしていた北の若い女衆も、ストーカー一歩手前と言ってもおかしくないあの男の拗らせたわかりにくい恋愛模様を知れば、潮が引いて行くように百年の恋も冷めるのではないでしょうか」
「お前……今日も相変わらずのキレッキレの毒舌ね……」
「私は敬意を表しているのですよ。ドン引き必至の激重感情を一心にぶつけられていながら、それでもあの男にトキメキを覚えられると言う貴女も、相当な器です」
「……失礼にもほどがないかしら?」
「事実でしょう」
片眼鏡を押し上げしれっと言う側近に、悪びれる様子は一切ない。
「さぁ、雑談はここまでです。――冬の間に、北の住民を招いた宴を催すのでしょう?着々と準備を進めねば」
ルーキスが切り替えるように言うので、ミレニアも苦笑して頭を切り替える。
現地民との交流は定期的に持っておきたいところだが、一度もこの地域の本格的な冬を経験したことのない者たちだけで、一面の銀世界を長距離行軍するのは危険が大きすぎる。どれほど精鋭に絞ったとて、ミレニアはそのリスクを冒すつもりはなかった。
故に、冬の間は、移動にも慣れているはずの向こうから来てもらうことを提案したのだ。
大規模な交流会、と銘打って、ミレニアたちだけではなく、北に点在するたくさんの集落全てから参加者を募ることで、普段何かの用事でもなければ交流が生まれにくいそれぞれの集落の横のつながりも強めてもらえれば、という会にした。
それは、ミレニアたちが夏から秋にかけてすべての集落を回って、意外と彼らが横のつながりを持っていないと知ることが出来たからこそ提案できたこと。
「どんな催しが良いかしらね……出来るだけ、横のつながりが出来ることは利のあることだと実感できるようなコンテンツを用意したいわ」
「そうですね……例えば、一度にすべてを賄おうと思わず、複数回に分けて開催するのが良いのでは?それとなく招待状には、こういう人間が参加することを薦める、という文言を記載して日時を伝達すればよいのでは」
「なるほど!それなら、女たちが参加すると楽しい会、集落の長たちが参加すると有意義な会、なんて分け方がよさそうね」
「はい。こちら側の用意するコンテンツもそれに応じて考えればいいでしょう」
やはり、ルーキスを側近として迎えたのは正解だったようだ。
趣味と性格だけは死ぬほど最悪な男だが、仕事の相棒としてはこれ以上なく頼りになる。
ミレニアはホクホクと笑顔で次の仕事へと取り掛かるのだった。
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